第7話 お嬢様が行きたい場所
氷室の提案で互いに行きたい場所を連れていくことになった。
「まずは、私の行きたい場所から案内するわ。ついて来なさい」
そう言って軽やかに歩き出したのを氷室を見て、俺は一歩遅れてその後を追う。
……氷室が行きたい場所。一体どこに行くんだ?
まったく予想がつかない。
ハイブランドの店とか、百年続く紅茶の名門店とか、いかにもお嬢様が行きそうな場所を想像していた俺だったが――
「ここよ。『もんじゃ焼き ひので』。私がよく行くお店よ」
と、氷室が指さしたのは、下町の商店街にぽつんと構える、年季の入ったもんじゃ焼き屋だった。
軒先には『おすすめ!明太もちチーズ』の文字が書かれたボード。ちょっと油で黒ずんだ暖簾が風に揺れている。
「……って、もんじゃ焼き屋!?」
あまりに予想外すぎる店に、つい声を上げる。
「どうしたの?いきなり大きな声出して」
そんな俺に氷室は首を傾げ、不思議そうにこちらを見る。
「いや、てっきりさ、もっと高そうな店に行くのかなと思ってたんだけど……」
「浅はかですね朝倉陽。お嬢様=高級店に行くというのは、凡人の短絡的な発想ですよ」
氷室の隣に控えていた鈴木が、ふうっと小さくため息を漏らした。
「お嬢様の抱き枕になるのであれば、これだけは覚えておいてください。お嬢様は節約を愛し、浪費を心底嫌う徹底した倹約家です。日用品の大半は百円ショップで調達し、口に入れるものはすべて、低価格でありながら美味なるB級グルメのみ。コスパを極限まで抑えつつ人生を謳歌する──それこそが、お嬢様の流儀です」
「……なんかそれ、私がすごくけち臭い人みたいに聞こえるんだけど」
「失礼しましたお嬢様……朝倉陽が無礼を働きましたこと、深くお詫びいたします」
「いや、俺!? お前が言ったんだろ?」
それにしても、氷室が節約家って……マジかよ。
氷室の家は、誰もが知ってるような大手企業グループ。間違いなく金持ちのはずだ。
百円ショップやもんじゃ焼きなんて、もっとも縁遠い存在かと思ってたのに。
そんな俺の戸惑いをよそに、氷室は戸を開けて入店する。後に鈴木、俺も店に入る。
店内は鉄板テーブルが並んだ、昭和レトロな空間だった。
壁に貼られたメニューはどれも手書きで、少し色あせているのが逆に味を出している。
奥から出てきたのは、エプロンをつけた優しそうなおばちゃん。どうやら店主らしい。
「いらっしゃい。璃月ちゃん、まゆちゃん」
氷室と鈴木の姿を見るなり、親しげに声をかけてくる。どうやら、ほんとに常連のようだ。
「今日はお友達も連れて来たとね?」
「抱き枕よ」
「抱き枕です」
息ぴったりに、意味不明な返答をする二人。
しかしもんじゃのおばちゃんは微笑んだまま、「そっかそっか。若いね~」と頷いていた。
話が嚙み合っていない気がするが、そこはツッコまずに「朝倉陽です」と軽く会釈をした。
「おばちゃん。いつものやつお願いね」
「はいよー」
○○○
氷室が注文したもんじゃが鉄板に届くまで、しばらく間が空いた。
店内はジュウジュウと焼ける音と、他のお客さんの笑いが聞こえた。
その中で、目の前に座る氷室は、背筋を伸ばしたまま静かに水を飲んでいる。
どこかの高級ホテルのラウンジかと思うくらい優雅だ。
ここ、もんじゃ屋なんだけどな。
……でも、このタイミングなら聞けるかもしれない。
気になってたことだ。というか、初めて言われたときからずっと気になってた。
「なあ、氷室」
「なに?」
「本当に俺と一緒に寝るつもりなのか?」
「ええ、もちろん」
即答すぎる。
「……やめといた方がいいって。普通に考えて、いろいろヤバいだろ」
俺が助言すると、氷室の隣で水を飲んでいた鈴木が無表情のまま口を開いた。
「抱き枕のくせにお嬢様に口出しをするのですか?随分偉くなりましたね」
「そりゃそうだろ?だって男と寝るんだぞ。しかも今日会ったやつと」
「なるほど。あなたがお嬢様に欲情して、寝こみを襲うかもしれないと」
「確かに、私の寝顔に見惚れてつい手を出してしまう可能性はあるわね」
「出さねぇよ!」
俺は思わずテーブルを叩きそうになって、なんとかこらえた。
「私の想定ですが、98パーセントの確率で襲うかと」
「ほぼ確定じゃねぇか!」
俺の抗議をよそに、氷室はふっと笑い、隣の鈴木の肩に手を置いた。
「でも大丈夫。陽と寝るときは、まゆも一緒に寝るから」
「は?」
「はい。私は璃月お嬢様のメイド兼ボディーガードでもありますから、就寝の際はご一緒させていただきます」
「陽を真ん中にして、私たちが両側から挟む感じにしましょう」
「そのほうが安全です」
「え?……3人で寝るの」
「そうだよね、陽は私とふたりっきりで寝たかったんだよね。でも、ごめんなさいね。いきなりはちょっと……」
「言っときますが、お嬢様にいやらしいことをした場合、即、首絞めですからね」
「いやいやいや、3人でもダメだろ?」
俺がツッコむと、鈴木がじっと睨んできた。
「……私では、あなたからお嬢様を守れないとおっしゃるんですか?抱き枕の分際で、ずいぶんと大口を叩きますね。いいでしょう、それでは試してみますか。あなたを抱き枕からサンドバッグにして差し上げます
「いや、そういう意味じゃなくて! わざわざ俺と一緒に寝る必要はないだろ?」
俺のセリフに氷室は目を大きくさせる。
「…………驚いたわね。まさか私と一緒に寝れるチャンスを逃そうとするとはね」
「同じく理解不能です。朝倉陽、あなた……そっち系ですか?」
「ちげぇよ!トラブルを避けるためだ!絶対ないと思うが……万が一のことがあったら氷室を悲しませてしまうだろ?だから抱き枕の話はなしということでいいよな?」
「却下よ」
「なんでだよ!?どうして俺をそんなに抱き枕にしたいんだよ?」
「ビビっと来たのよ」
「……ビビっと?」
「陽とぶつかったときに直感したの、陽なら私を深い眠りにさせてくれるって。いくつもの枕メーカーに特注を頼んだけど、あの感覚は初めてだったわ」
「陽!」と氷室は言いながら身を乗り出し、ぐっと顔を近づけてくる。
「私はどうしてもあなたがほしいわ!何としてでも手に入れたい」
「…………」
距離が、近い。
視線も、まっすぐすぎる。
氷室に熱弁に思わず黙ってしまう。
「だから引き続き、陽は私の抱き枕になる。それでいいね?」
「それにあなたはお嬢様に『なんでもします』と言ったはずです。撤回は認めません」
「……わかったよ。やればいいんだろ、やれば……」
俺がしぶしぶ頷いた、その時。
「お待たせ〜! 明太もちチーズと海鮮、それから豚キムチね〜!」
もんじゃのおばちゃんが元気な声を出しながら、もんじゃの素材を持ってくる。
「さて、陽が抱き枕をやるって言ったところで、早く食べましょ!」
「お嬢様、やけどには気をつけください。あと辛子明太子のもんじゃも頼んでいいですか?」
「いいわよ。あとついでにウーロン茶もお願い」
「かしこまりました」
正直、どの味も想像以上にうまかった。
今まで食べたもんじゃの中で、たぶん一番だ。値段はもんじゃを腹いっぱい食べて830円。かなりお買い得だ。
……今度の休みに、一人でこっそり来ようと思う。




