第2話 今日は、お泊まりですか!?
その日の夜、俺は自分の部屋でひとり、天井を見上げていた。
昼の出来事が、まだ頭から離れない。
今日保健室で、月ノ瀬夢乃と一緒に添い寝をした。
あいつの寝顔、吐息、匂い……忘れようとしても無理だった。
あと、ひなたから食らった腹パンのダメージがまだ残っている。
「……あいつ、マジで何なんだよ」
布団に顔を埋めたそのとき、突然チャイムの音が鳴った。
――ピンポーン♪
誰だよ、こんな時間に。親は帰るのは遅いはずだし、今日宅配便が来る話も聞いていない。
玄関を開けると、そこに立っていたのは――
「やっほ~」
制服姿のまま、にっこり笑って挨拶しているのは、月ノ瀬夢乃だった。
「は……? え、なんで……!?」
頭がフリーズしていると、ポケットからスマホの通知音が鳴る。
『陽。言い忘れてたんだけど、今日は夢乃ちゃんが来るから仲良くしてね^^』
『は?』とすぐさま返信。
『実はお母さんと夢乃ちゃんのお母さんは、小学生からの友達なのです!でね、今日久しぶりに一緒に飲みに行くから、今日だけ夢乃ちゃんをうちで預かることにしたの^^』
『勝手に決めてるんじゃねぇよ!俺、夢乃と話したことないぞ!』
『それじゃよろしくね^^』
『おい!』
こいつ無視しやがった。
普段ならなんとも思わない^^も、今日はなんだか腹が立つ。
「ん~?どうしたの~陽くん?」
さっきから携帯を扱っている俺に不信に思った夢乃が首を傾げる。
「え?あ、いや、急だったからよ………もしかして今日うちに泊まるのか?」
「うん。ママが陽くんの家に泊まりなさい言ったから~ちゃんと着替え持ってきたよ」
「……親父も今日帰り遅いから、俺と二人っきりで夜過ごすことになるんだぞ?」
「大丈夫だよ。私チャーハンつくるの得意だよ。」
「別に飯の心配はしてぇねよ。だから家にはお前と俺しかいないんだぞ?いいのか?」
「もちろん、オーケーだよ~」
本人は泊まる気満々だ。
せっかく来てくれたのに、ここで追い返すのは可哀想なので、
「そ、そうか、じゃ狭い家だけど上がってけよ」
俺は夢乃を家に入れることにした。
……本当に家に入れてよかっただろうか?
○○〇
「おじゃましま~す」
靴を脱ぎながら、夢乃がリビングをきょろきょろと見回す。
「ここが陽くんの家か~。なんか、落ち着くね~」
今日会話をしたばかりの相手が、当たり前のように家に上がっている。
まだ現実感がない。何を話せばいいのかもわからず、俺はただ立ち尽くしていた。
すると、夢乃がこちらを振り向いてくる。
「ねぇねぇ、陽くん。お腹空いてる?」
「え?」
言われてみれば……
俺が答えるよりも先に腹から鳴ってしまった。
「まあ……腹減ってきたな」
「それじゃ、私に任せて~! キッチン借りてもいいかな?」
「え、あ、うん。別にいいけど……」
夢乃はさっそくキッチンへ向かう。
どうやら家に来る前に買い物もしていたらしく、レジ袋から卵やネギを取り出しては、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいる。
「……まさか、作るのか?」
「うん。今日泊まらせてくれるお礼をしないとね。陽くん、チャーハン嫌い?」
「いや、むしろ好きだけど」
「よかった~♪ じゃあチャーハン作るね。陽くんはダラダラしてていいよ?」
「いや、さすがに全部任せるのは悪いだろ。俺も手伝う」
「えへへ、ありがとう。じゃあ……陽くんは玉ねぎ、お願いしていいかな?」
「おう! 任せとけ!」
とは、言ったものの。料理なんてやってことない。
包丁なんて持ったのは小学生の料理実習ぶりだ。
正直指を切りそうでめちゃくちゃ怖いが、女子の前でカッコ悪い姿は見せれない。
「細かく刻めばいいんだよな?」
「うん」
まな板と包丁を用意し、俺は勢いよく玉ねぎを刻み始める。
――五分後。
「……あああああああっ!! 目が!目がぁっ!」
涙が止まらない。視界がぼやけて、玉ねぎどころじゃない。
「夢乃さぁぁん!助けてくださいぃぃっ!」
「ぷっ……あははっ、陽くん、泣いてるの?」
笑いをこらえきれず、夢乃が肩を震わせる。
「笑いごとじゃねえぇっ……これマジで拷問だぞ……!」
「ふふっ、しょうがないなぁ。じゃあ、こっちのネギ切ってもらおうかな?」
「そっちも目に染みるだろ!」
「がんばって♪」
夢乃が見せた笑顔は、まるで戦場に向かう兵士を送り出す司令官のようだった。
下ごしらえが終わると、俺は大人しく役目を交代する。
料理経験ゼロの俺が炒めたら、どう考えても黒焦げエンドなので、ここは潔く夢乃に任せることにした。
俺はキッチンの隅で、邪魔にならないように見学を始める。
じゅー…………
フライパンに卵を流し込むと、夢乃は真剣な表情でヘラを操り出した。
手元に一切の迷いがなく、リズムよく炒めていくその様子に、つい見入ってしまう。
「……すげぇ、なんか、手慣れてるな」
予想以上に本格的だ。
ちょっと前まで保健室で俺に抱きついて寝てたやつと、同一人物とは思えない。
そして――
「いただきまーす!」
夢乃がちゃちゃっと仕上げたチャーハンは、黄金色に輝いていた。
仕上げに青ネギをぱらりとかけた姿は、まるでラーメン屋の一皿みたいな完成度。
俺はスプーンを手に取って、ひと口。
「はむっ」
パラリとほどけた米粒に、卵のコクとハムの塩気が絶妙に絡み合う。
シンプルなのに、止まらない。というか……うまい。マジでうまい。
「うまっ!」
思わず叫ぶと、夢乃が嬉しそうに笑った。
「よかったよ~」
自然と目が合って、ふたりしてくすっと笑う。
でも、正直に言って、予想以上だ。うますぎて、俺は気づけばリスみたいに口いっぱい頬張ってしまう。
……そういえば、よく考えたら、これって女子の手料理じゃないか?
そう思った瞬間、なんだか妙に意識してしまった。
さっきまでがっつくように食べていたのが嘘みたいに、スプーンの動きがふっと止まる。
――これ、夢乃が作ってくれたんだよな。
そう思うと、もったいなくて急いで食べるのが惜しくなった。
一口ずつ、ゆっくり味わうように、噛みしめるように、慎重にスプーンを運ぶ。
すると、夢乃がふと口を開いた。
「今日、陽くんと一緒に寝たい」
……は?
スプーンを持った手が固まる。脳内で、何かがバチンと音を立ててショートし、持っていたスプーンが床に落ちる。
「……え?」
ようやく出た俺の声は、情けないくらい裏返っていた。
夢乃はというと、何事もなかったかのようにチャーハンをもぐもぐ咀嚼している。
「いや、え、ちょ、お前今なんて……?」
「ん? 今日、陽くんと一緒に寝たいって言ったよ?」
言った本人は至って真顔。むしろ、純粋な目でこちらを見てくる。
「……お前……マジで言ってるのか?」
「本気だよ。今日ね、陽くんと一緒に寝たらすっごく気持ちよかったの。いつもは寝ても寝ても眠たいのに、今日はスッキリしてて……なんかすごい不思議な感じだった」
その声には、ふざけた様子なんて一切ない。
本当に、素直な気持ちを口にしているだけなんだと分かってしまうから、余計に困る。
「ねぇ、いいでしょ?私、寝相いいほうだよ?」
やばい。何か言わないと。このままだと、押し切られる。
でも「ダメだ」とも言い切れない。なんか……断ったら傷つけそうで。
かといって「いいよ」とも言えない。俺が精神的に持たない。
……そうだ。
「じゃあ……ゲーム、しようぜ」
「ゲーム?」
「サッカーのゲームだ。アルティメット・イレブン。俺が勝ったら、お前は一人で寝る。負けたら……一緒に寝てやってもいい」
夢乃がぱちくりとまばたきをして、それからにっこり笑った。
「いいよ。受けて立つよ~」
よし。勝負に乗ったな。
夢乃には悪いが、このゲーム、アルティメット・イレブンは3日間連続で徹夜するほどハマり込んだゲームだ。
オンラインで無双しまくっているし、まず夢乃に勝算はない。
そう思った束の間…………
キックオフから30秒。いきなりゴールを決められる。
「え、ちょ、おい。なんでそんなうまいの?」
「ん?フツーにやってるだけだよ~?」
2点目、3点目……次々と点を決められる。
なぜだ。こっちは歴代のレジェンド選手が集まった最強チームだぞ。
負けるはずがない……負けるはずが。
「陽くんそこオフサイドだよ~」
「くそぉ!」
対戦が始まってから30分後。ホイッスルが鳴り勝負が決着した。
最終スコアは0対13。これがもし現実に起こったら、観客はブチ切れて途中で帰っているだろう。
「ふっふっふっ、陽くんもまだまだだね」
夢乃は勝ち誇った顔をしている。
こっちは膝から崩れ落ちそうだった。
「……お前なんでうまいの?」
「私もゲーム好きなんだ。休みの日でも学校が終わった日でもずっとゲームしている。アルイレ面白いよね~私もこれ300時間ぐらいやってるよ~」
「やりすぎだろ!?」
そういえば、夢乃はみんなから『眠り姫』って呼ばれているほど、学校で寝ているんだったな。
まさか、こいつがいつも寝ている理由は……
ゲームのしすぎかよ!
「ねぇ陽くん……」
夢乃は俺の服の袖をちょこんとつまんで、上目づかいで見つめてきた。
「一緒に寝よ?」




