第15話 テンパるメイド
俺たちは会話をいったん切り上げ、風呂の掃除に集中した。
「はぁ……はぁ……ふぅ」
横を見ると、鈴木が額の汗を手の甲でぬぐい、腰をトントンと叩いている。
長時間のブラシ作業で無理な体勢が続いたせいだろう。
無表情を崩さないが、さすがに疲れが出てきたようだ。
「今さらだけど、ありがとうな鈴木。お前のおかげで風呂掃除早く終わりそうだ。あとはゆっくり休んでくれ。ここからは一人で掃除するから。お前、正直疲れてんだろ?」
「私をなめているのですか?この程度でへばっていたらメイドは務まりません。いらない心配です」
きっちりとした姿勢でモップを押し引きしながら、鈴木が横目で俺を睨む。
その仕草は普段通り落ち着いて見えるが、目元にうっすら疲れの色が滲んでいた。
無理もない。
テストが終わってから、休憩なしの風呂掃除、男子風呂を掃除しただけでも相当な体力を削られたのに、次は女子風呂。
掃除する場所は広く、二人がかりでもしんどい。
「そうか」
そう言っているけど、さっきから鈴木の手元、若干震えてるんだよな……。
呼吸もほんの少し荒い。
こいつ……疲れてるのに、絶対無理してるよな。
けど、止めたところで鈴木は絶対に手を止めない。
言っても無駄か。
「頼もしいな」
「あなたと違いますから」
「……お前、いちいち罵倒しないと喋れないの?」
鈴木はピタリと動きを止め、無表情のまま俺を見た。
「事実を述べているだけです」
淡々と返したその声に、わずかに棘がある。
けれど、どこか強がりのようにも聞こえた。
たぶん鈴木は、弱音吐かずに無理して頑張るタイプだ。
だったら、俺もちゃんとやらないとな。
「よし、俺も本気出すか!」
俺がブラシを握り直すと、鈴木が横目でちらりと見てくる。
「……今まで本気じゃなかったのですか?」
「え?」
「私がこんなに頑張っている間、あなたは手を抜いていたんですか?」
「いや、その…………」
詰め寄る鈴木の圧に負け、思わず視線を逸らす。
「死ぬ気でやってください。例えあなたが倒れても、私はブラシで叩いて無理やり働かせますからね」
怖っ……!
そんな脅迫めいた言葉が飛んできた、その直後――
――ガラガラガラッ
脱衣所の扉が開き、声がにぎやかに響き始める。
きゃっ、きゃっ、と楽しげに笑う複数の女子の声だ。
「……ん?まだ入浴時間じゃなかったよな?」
「はい、18時からだったと思います」
鈴木は眉をひそめながらスマホを取り出し、合同学習会のスケジュールを開いた。
すると、
カラン、と鈴木の手からモップが床に落ちた。
「……嘘、です……よね……?」
「お、おい鈴木?」
鈴木はスマホを凝視したまま、顔を青ざめていた。
俺は急いで鈴木の横に行き、画面をのぞき込む。
そこにははっきりと書いてあった。
――女子:17:00〜18:00
――男子:18:00〜19:00
そして腕時計の針は、17時02分を指している。
「………………」
「………………」
俺と鈴木、二人同時に固まった。
脳の処理が追いつかない。
「あの……す、鈴木さん……女子は18時からって」
「じゅ、じゅ、17時!?な、なんで」
「お前が男子の時間と見間違えただけだろ!!」
「う、うそ……私が……ミスを……?そんな……そんなはず……ないのに……」
まるで世界が終わったかのような表情を見せていた。
鈴木は完璧主義なのだろう。だからこそ、失敗したときのダメージが大きい。
顔面蒼白で震えながら、鈴木は呟く。
「わ、私は……こんな初歩的な確認すら……できなかった……?」
いや、そこまで自分を責めるレベルのミスじゃない。
ただの見間違いだ。誰だってある。
――でも今だけは、洒落にならない。
女子の笑い声はすでに近い。
あと数秒で浴場に入ってくる。
まずい……超まずい!!
「朝倉陽! とにかく、どこかに隠れてください!!」
「隠れるって……どこにだよ!?」
俺は大浴場をぐるりと見回す。
広い。とにかく広い。
だが、隠れられる場所はほぼゼロ。
脱衣所に戻ればそのまま女子と鉢合わせ。
風呂場の隅に縮こまろうにも遮蔽物は一切なし。
完全に詰んだ。
「こ、このままでは……わ、私たち……全裸で遭遇……っ、いえだめですだめですだめです……!!!」
鈴木お前、混乱しすぎだろ……
普段は氷室の横で涼しい顔して無慈悲メイドをやってるくせに、今は完全にオロオロモード。
手が震えてるし、声も裏返りまくってる。
「にごり湯……!!」
鈴木の目がカッと見開かれた。
その視線の先には、大きなにごり湯の浴槽。
白濁した湯が湯気を立て、内部はほとんど見えない。
……こいつ、まさか。
「ここに隠れましょう!」
「いやいやいや! 正気か!?そんなの2分も無理だわ!」
「ス、スペインでは、22分34秒の潜水でギネス認定されたという話があります……!不可能ではないはず」
「不可能だわ!! ギネスなめんな!……とりあえず落ち着けよ。幸い、まだ誰も入ってないんだ。お前が事情を説明して」
俺の声は完全に届いていなかった。
鈴木は突然、勢いよく自分の服を脱ぎ始めている。
「見ないでください!!」
腕で隠くしながら言われ、慌てて目をそらすも、鈴木の白い肌と豊満な胸が視界の端に一瞬映り、脳に焼き付いてしまう。
「いやなんでお前が脱ぐんだよ!!?」
「不審に見えないようにするためです!!体操服のまま浴室に入っていたら、怪しいでしょう!!!」
「ちょっと待って、いったん俺の話を」
聞いていない。
鈴木は完全にテンパっていて、俺の言葉はもう脳内に届いていなかった。
次の瞬間。
「朝倉陽!! 早く!! 潜ってください!!」
「待てって!! ぐほぉっ!」
鈴木の華奢な脚が、まさかのキレッキレの蹴りを放つ。
ドボォン!!
俺はそのままにごり湯に無理矢理入れさせられた。
「あなたをしばらくここで沈んでいてください!」
「冗談言うな!! 死ぬわ!!」
「5分だけ耐えてください!私がなんとかしますから!」
「無理だわ!!!」
「仕方ありません……私が上から押さえつけます!」
「やめろごぼぼぼぼぼぼぼ!!!」
鈴木はそのまま湯へ飛び込み、俺の肩を掴むとぐっと押し込んできた。
にごり湯が顔にかぶさり、視界が白く泡立つ。
く、くるしい!
そのとき――
「わぁ~広い~」
「テスト、疲れたよぉ」
「ねぇ背中洗いっこしようよ~!」
女子たちの明るい声が、大浴場へ流れ込んできた。
もう、にごり湯に潜るしかなくなった。
鈴木は、震えながら入り口の方向を見る。
「み、皆さん!! ここには……入ってはいけません!!」
女子たちがピタッと足を止める。
「え? なんで?」
「なんかあるの?」
鈴木の口がぱくぱく動き、明らかに追い込まれている。
「このお風呂には…………………えーと…………ゆ、幽霊がいます!!この風呂に入ると……足を掴まれて……最後はお風呂の底に引きずられるんです!!」
ちょっと、鈴木さんんんんんんんん!
なにが私がなんとかします、だ!
無理そうなんですけどぉぉぉぉ!
もちろん女子たちは一瞬沈黙。
「ゆ、幽霊?」
「鈴木さんってそういうキャラだっけ……?」
「なにそれ~こわ~い」
「メイドでありエクソシストである、この私が、今、退治していますので!! 皆さんはしばらく避難してください!!!」
鈴木は焦りMAXで、もはや言うことが支離滅裂だった。
「に、ごり湯入りたいんだけどな~」
「行こ行こ~」
女子たちが浴槽へ近づく。
あ、これ無理だ……
その瞬間。
「きゃっ!いった!」
「大丈夫~ゆかっち?相変わらずドジなんだから」
誰かが滑って転んだみたいだ。
「違います! これは幽霊の仕業です!!皆さんに警告しているんです!このにごり湯には入るなと!!」
「何を言ってるの?鈴木さん」
女子たちは完全に「変な人を見る目」になっていた。
鈴木の必死のホラー演出も、まったく効果なし。
「とにかく入ってはダメです!お願いです!」
もう説得する方法がなくなったのか、とうとう鈴木は頭を下げた。
無理そうだ。そして俺もやばい!
「ごほっ……!」
お湯を飲んでしまった俺は、むせて酸素が完全に抜けてしまった。
このままでは俺は溺れてしまう。
俺は押さえている鈴木をタップして、限界を伝えようとした。
「ひゃ!」
鈴木が突然、変な小さな悲鳴をあげた。
同時に俺の手に柔らかい感触が伝わる。
……な、なんか当たった!?
「ど、どうしたの鈴木さん?」
「なんでもありません。れ、霊の、攻撃です!」
恨みを買ってしまったのか、鈴木は水中にいる俺へ拳を振り下ろしてきた。
痛っ! 痛い痛い痛い!!
溺れながら殴られるとか、なんの新手の拷問だよ!!
「あー! もしかして、にごり湯独り占めしようとしてるでしょ?ダメだよ~そんなの!」
「そんな気持ちいいの? 私も入る~!」
女子たちは完全に勘違いしている。
鈴木のホラー演技はもう通じていない。
「ちょ、ちょっと……待ってください!!」
鈴木ももはや説得不可能な状態だった。
女子たちがにごり湯へ足を入れた――その瞬間。
ボコォォッ!!!
酸素の限界を迎えた俺が、水面から勢いよく飛び出した。
「げほっ……げほッ……! し、死ぬ……!!」
「ぎゃあああああああああああ!!」
「で、でたぁぁぁぁ!!!」
「ゆ、幽霊っ……ホントに出たぁぁぁ!!」
女子たちは一瞬で大パニックになり、絶叫しながら逃げ散った。
鈴木の与太話のおかげで、どうやら俺は本当に“風呂の幽霊”だと思われたらしい。
浴場は一気に無人になる。
「……はぁ……はぁ……殺す気か……お前」
「よ、よかった……朝倉陽、任務完了です……」
「どこがだよ!!!」
本当は怒鳴りたいが、今は逃げるほうが先だ。
「……今のうちに脱出……」
湯から上がり、俺は急いで出口へ向かった――その時。
浴室の入り口で、夢乃と鉢合わせになった。
「……っ!!?」
夢乃は、バスタオルすら巻いていない“ありのままの姿で立っていた。
湯気に包まれ、肌の色とラインがあまりにも生々しくて――
俺の脳が一瞬でショートする。
やばいやばいやばい!!!!!
全身が硬直する。
心臓は爆音みたいに跳ね上がり、もう逃げることも呼吸することもできない。
――だが。
「ん……? だれか、いる……?」
夢乃は、ゆっくりと首をかしげた。
俺の顔をじっと見ているようで、焦点が合っていない。
そうだ!こいつ、コンタクトしてたんだった……!
夢乃は俺の横をスルーして歩き出した。そのままにごり湯の縁に手を添え、温度を確かめるように湯に指を入れる。
「ふわぁ……あったかそ……」
その無防備すぎる横顔を横目に見ながら――
今しかねぇ!!
俺は脱衣所へ全速力で走り抜けた。
風呂掃除より何倍も疲れた。
天国のようで地獄のイベントだった。




