第14話 メイドと掃除
ゴシゴシゴシゴシ――
ブラシをこする音が、やたら広い浴場に反響していた。
宿舎一階、大浴場。女子風呂。
天井は無駄に高く、視界の端までずらりと並ぶ洗い場。
掃除しなきゃいけない場所が、とにかく多い。
洗い場のタイル、シャワーの金具、壁の水垢、浴槽、排水口――
見れば見るほど仕事がある、地獄だな。
タイルの床にぬるい水が薄く溜まり、踏むたびにぺちゃりと音が鳴る。
終わりの見えない作業に、思わずため息が漏れた。
「はぁ……めんどくせ」
床に向かって文句をこぼしながら、モップを怠そうに押し引きする。
騒いだ俺が悪いのは、百も承知だが……
それにしても広すぎる。広すぎて、苦行すぎる。
「文句を言ったところで床は綺麗になりませんよ。手を動かしてください」
淡々とした口調で俺を注意したのは、鈴木だった。
俺と同じように、上は体操服、下はジャージという動きやすい格好。
だが動きはキビキビしていて、ブラシをこする手もまったく止まらない。
俺は思わず手を止めて、鈴木のほうを見た。
「なんですか?サボらないでください。ブラシで殴られたいんですか?」
「いや脅しに使う道具じゃねぇだろ、それ……なぁ、なんで手伝ってくれるんだ? 別にお前は何もしてないじゃないか?」
俺と違って、鈴木はテスト中に騒いでいなかった。
本来なら自由時間のはずで、休んだり氷室と過ごしたりできたはずだ。
それなのに、わざわざ時間を割いてまで、こんな怠すぎる風呂掃除を手伝ってくれている。
……もしかして、こいつ意外と優しいとか?
普段は俺を拘束したり、罵倒を言っているが、まさかいい奴なのか?
俺が問いかけると、鈴木は手を止め、こちらに軽く視線を向けた。
「勘違いしないでください。あなた一人だけ掃除をさせられて可哀想だから、なんて同情はしていません。あなたはテスト中に騒ぎ、皆の迷惑になった。罰を受けるのは当然です」
なんだろう。
ここで顔を赤くして「勘違いしないでね!」みたいなツンデレ展開だったら可愛いんだが。
鈴木からはデレの気配が一ミリも感じられない。
鉄壁のクール。デレのかけらもない。
「今私が手伝っているのは、あなたが掃除の時間を利用してカメラを設置し、璃月お嬢様の裸を盗撮する危険性がありましたので、監視のために付き添っているだけです」
「信用ゼロかよ!! しねぇよそんなこと!!」
……全然いいやつじゃなかった。
「でも、まぁ……結果的には助かってるけどな。俺は覗きなんてしないけど、お前も一緒に掃除してたって知れば、女子も安心して風呂に入れるだろうし。俺も俺で手伝ってもらえて楽だし」
「そういうことです……まったく、あなたがバカなことをしたせいで、私に余計な仕事が増えたことは忘れないでください」
「はい」
言い返す言葉はなかった俺は黙々と、床のタイルをブラシで擦る。
ゴシゴシ……ゴシゴシ……。
…………
俺も鈴木も無言で作業に没頭しているせいで、妙な沈黙が生まれていた。
さっきまでの会話がぷつりと途切れ、広すぎる浴場に、ひたすらブラシをこする音だけが響く。
そういえば……鈴木と二人きりって、初めてじゃねぇか?
何を話せばいいのか分からない。
いや、話したところで絶対「黙ってやってください」言われる。
間違いなく言われる。
そんな予感しかしない。
気まずさに耐えながら手を動かし続けていたその時。
「朝倉陽。腕時計はつけてますか?」
鈴木が突然、声をかけてきた。
「え?……あぁ。ちゃんとつけてるぞ」
聞かれて、俺はつけている時計を見せた。
黒のごつい時計。衝撃にも水にも強そうな時計。
宿泊施設に着いて、テストが始まる前に、鈴木から渡されたものだ。
「そうですか。合同学習会のときは肌身離さずつけてください」
「なぁ、なんでこれつけないといけないんだ? 言われて一応つけてるけど」
「その時計は、心拍数や体温を常時計測できる特製モデルです。合同学習会中、あなたの心拍の変化を記録し、璃月お嬢様と月ノ瀬夢乃のどちらがあなたをときめかせたかの勝敗を決めます」
「……何それ?俺、何も聞いてないんだけど?」
「聞かれなかったので」
「いや、時計渡すときに言えよな」
「時計のことは黙っていたほうが、都合が良かったので」
「都合って……。そもそもなんで心拍で勝負なんだよ。普通、俺が決めるんじゃないのか?」
「決められるんですか? 本当に?あなたがどちらか一人を選ぶ未来が、私にはまったく見えないのですが」
図星すぎて反論できない。
確かに、情けないと思うが、たぶん俺は絶対どっちも選べない。
鈴木は淡々と続ける。
「朝倉陽に判断を委ねると、永遠に勝敗が出ないと懸念されました。したがって、もっとも中立的で、もっとも誤魔化しのきかない生体反応を採用しました。記録はすべて私が管理し、最終日に公正な判定をいたします。そして勝ったほうには正式な彼女――つまり朝倉陽を抱き枕にする権利が与えられます」
「公正って……お前、氷室のメイドだろ?そっちに肩入れするってことはあるんじゃないのか?」
「ご安心ください。忖度は氷室お嬢様がもっとも嫌がる行為です。そんなことをすれば、私が夕食を抜かれてしまいます。それに忖度するということは、お嬢様を信じていないという意味になります。お世話する人間を信じられなかったらメイドなんて務まりません。ですので、私はお嬢様の勝利を信じつつ、公平にジャッジいたします。発表時にはデータも開示しますので、ご心配なく」
鈴木はまっすぐ俺の目を見て、はっきりと言った。
その真剣さに、思わず「そっか」と納得しかける。
……だが同時に、胸の奥で小さな違和感が引っかかった。
――璃月お嬢様が有利になるよう、あらゆる手段を使うのはメイドとして当然のことです。
宿泊施設に着いて班が決まったとき、鈴木が確かにそう言っていた。
あの時の鈴木は、間違いなく氷室側に肩入れする気満々だった。
「まさか……くじを細工したこと、氷室に怒られた?」
俺がそう尋ねた瞬間、鈴木の肩が、びくりと小さく跳ねた。
「いえ。別に」
即答はしているものの、声が一瞬裏返っている。
「でも」
「いつまで口を動かしているんですか? 早く掃除してください」




