9. 妖精と人形
――この世界には【魔力】がある。
魔力はその発生元から二つの種類が存在した。
ひとつは自然。
人の生まれる前の世界には【マナ】という魔力しか存在していなかった。それは生物が持つ“生存本能”により生まれ、零れた力。やがてマナは、その濃さから様々な【神】や【精霊】を生んだ――。
もうひとつは人間。
人間もそのはじめは他の生命と同様、“生存本能”という欲求のみを持っていた。それがいつからか、生命維持から離れた欲――名誉欲、知識欲、金銭欲、情欲……そういった“欲望”を持つようになっていった。
欲望はマナを変質させると同時に願いを叶えた。
願いを叶えるその術を人は魔術と呼び――人間によって変質したマナは【エーテル】と呼ばれた。
やがてエーテルは、その濃さから様々な【悪魔】や【悪霊】を生んだ――。
「あの、娘は治るのですか。それともこのまま……」
ジルの切実な問いに、シエルテは「心配いらない」と答えた。
「治る。が、その前に聞きたいことがある。これは魔女の仕事に関わることだ」
不思議そうな顔をするオリーの横で、リィナが一瞬、顔をしかめた。
「妖精が憑依した――いや、妖精を憑依させた原因を探らなければならない。たとえば、この町には妖精にまつわる伝承などはないだろうか」
ジルとエリースは顔を見合わせ、同時に「あります」と答えた。
「この町――いえ、シズル村には妖精グーニチカのおとぎ話があります」
「おとぎ話か」
「村の北にある森に棲む妖精のお話です」
――昔々。
まだ当たり前に、妖精や悪霊が身近に存在していたころ。
古く、森に入る狩人や木こりは、その身の安全を森に住まう精霊や妖精に祈っていました。
シズル村の北にある森にも祈りを捧げられる妖精がありました。
妖精の名をグーニチカ。
人の、女性のような姿をしたグーニチカは、森の奥の奥にあって森を守る妖精として崇められていました。
そして同時に、妖精グーニチカだけじゃなく森の奥には化け物も棲んでいる――そう伝えられていたので、村では森の奥へと入ることは禁じられていました。
ところがある日。
村の木こりである青年オルカッタは、うっかり日暮れまで仕事をしてしまい、帰ろうとしたころには宵闇に森が包まれてしまっていました。
明かりなど持っていなかったオルカッタは森の出口を見失い、いつの間にか森の奥へ奥へ。
深まる暗闇。風に揺れる葉の音。頭上から聞こえる鳥の声。
自分の間違いに気づいたとき、すでにオルカッタはどちらから来たかもわからなくなっていました。
途方に暮れ立ち尽くすオルカッタ。
ふとその目に、木々の間を縫うぼんやりとした明かりが見えました。
オルカッタの目の前に現れたのは、それはそれは美しい娘でした。
オルカッタはすぐにその娘が妖精グーニチカだと気づき、膝をおり、祈りを捧げました。
「……木こりよ。なぜここに」
降る声に、オルカッタは夜の闇に惑わされ森の奥へと来てしまったことを正直に伝えました。
するとグーニチカは、手に持っていた白い火を灯す不思議なロウソクを燭台ごとオルカッタに手渡しました。
「木こりよ。帰りなさい」
おそるおそる受け取ったオルカッタは、何度も礼を言ってからその場を離れました。
その後は、明かりを頼りに森を歩き、なんとか村まで帰ることができました。
翌日。オルカッタは、グーニチカと出会った森の奥へとまた向かいました。
化け物に会わないよう祈りながら森の奥まで辿り着くと、燭台と捧げものを置いて帰りました。そうして、昨日あったことを村人たちに語りました。
村人たちはいまだ妖精グーニチカの加護が村と森にあったことを喜び、感謝しましたとさ。
「――というお話です」
エリースの話を聞き終わって、ふむ、とシエルテは呟く。
「このお話を元に、昔は毎年お祭りと、あと民芸品として人形が作られていたんです。……あれです」
そう言ってエリースが指差したのは、アデルの眠るベッド横の窓台。そこには小物に交じって木彫り人形が置いてあった。
手のひらサイズのその木彫り人形は、まるで陶器のように滑らかな曲線で出来た女性像だった。彫り出したままの木目でニス塗りもなく、貫頭衣を着て微笑んでいる。
シエルテは人形を手に取る。
「これは処分する」
「えっ……いいですか?」
エリースに訊かれて、ジルは戸惑いながら頷いた。
それを見てシエルテは、床に置いていた革張りトランクをリィナに開けさせ、その中に人形を放り込んだ。
「ふむ。これでだいたい情報は揃ったか。――では、そろそろ治療を始めようか」
治療開始の言葉と共にシエルテは、今度はトランクから道具を出して準備をしていく。
「憑依にも種類と段階がある。だが、治療の基本は同じだ」
話しながら用意したフラスコにシエルテが手をかざすと、何もないガラスの底から湧き上がるようにして水が溜まっていく。
十分な量の水が溜まったそこに、手に持った試験管のコルク栓を外して中身の“粉”を入れ溶かす。
「例え悪魔でも悪霊でも。大きな魔力をぶつければ憑依したモノが弾き出されてくる。苦手とするエレメントであれば尚更だ」
そのためにも大本への逃げ道を取り上げたんだ、と口にしながら、シエルテはフラスコの液体をガラススポイトで吸い取る。
「な、何ですかそれ……」
虹色をした、明らかに怪しいフラスコ内の液体を訝しげに見ながらオリーが訊いた。
「今は珍しい火吹きトカゲの火炎袋の乾燥粉末。それを溶かした水薬だ」
アデルの上体を少しだけ起こしたシエルテは、当たり前のようにスポイトの先を眠るアデルの口に差し、液体を流し込んだ。
ゴクリ、とアデルの喉が動く。一拍を置いて、アデルが大きく目を見開いた。
「ああああああああああ!」
アデルの上げる叫び声にオリーとジルが固まる中、白い煙のようなものがアデルの全身から立ち上り――そのまま、溶けるように消えた。
同時にアデルも静かになった。




