4. 魔術師組合
空を流れる風に、黒いローブと束ねた金の髪が揺れる。
「いい天気です」
シエルテと同様、空の上で箒に横乗りするリィナがメイド服のスカートをはためかせてそう呟いた。
――早朝にブラシュ村を出た二人はそれぞれ箒に乗り、空の旅を再開していた。
ラングヒル大陸西端の小国、ストゥルテ王国。
二人は現在、そのストゥルテ王国の西側上空を南東に向かって飛んでいた。
やがて、大地が途切れて深い青色が見えてくる。
「シエルテ様。海が見えてきました」
リィナの言葉を受けて、シエルテは青の縁にある港街を探し、指差した。
「あそこだよ。リィナを拾った街」
港街の名はアイエラ。
かつてストゥルテ王国の辺境領都市としてあった、大きな港街だった。
空から見下ろした港街アイエラは、海に面した南側に港、北側には辺境伯の住んでいた古城があった。
街を区切るように城壁が三つ――城と街を外敵から守るための城壁が、街の拡張に合わせたのか、大きく間隔を開けて三つ建っていた。
それだけ歴史の長い街へと、二人は箒を降下させる。そのまま、比較的人気の少ない港の埠頭近くに着地した。
箒から降り立つと、シエルテとリィナは箒をトランクに仕舞い、そのまま船着き場へと向かった。
寄せる波の音。
沖合には青空へ向かって二本の煙突を生やし、汽笛を鳴らしながら吐き出した黒煙を潮風に流す大型蒸気船が見えた。
「――おたくら、ちょっといいか」
突然の声に、シエルテとリィナは同時に振り返った。
「ここは客船用じゃなくて貨物用の港だ。旅客なら向こうだぞ」
声を掛けてきた男は、若い港湾労働者のようだった。言われてみると確かに、少し離れた位置に積まれた木箱とそれを運ぶ男達の姿があった。
「それはすまない。……ふむ。ちょうどいい。聞きたいことがあるんだが」
「あ? ああ」
「海まで下りられる、砂浜なんかはこの辺りにあるか?」
男は日焼けした手で頭を掻いた。
「砂浜かぁ。ここらにはないなぁ。軍港が近いから、あっても立ち入り禁止だろ」
「どうするリィナ」
「はい?」
突然問われ、リィナが面食らった顔をした。
「海を見に行きたいだろう?」
「あたし、もうそんな子供じゃありません」
「……ふむ。そうか」
少し肩を落としたシエルテは、男に「街へ出るにはどこから出れば?」と訊ねた。
「あそこだ。俺が一緒に行って話してやるよ。――なあ、おたくら魔術師だろう?」
そう言って男は空を指差した。降りてくるところを見ていたらしかった。
「そうだが」
「俺の家族にも魔術師がいるんだ。よしみだ。不法侵入で警察呼ばれるのは面倒だろうから、俺から話してやるよ」
笑顔を見せる男に、シエルテは、なら任せようと答えた。
男の後に二人はついていく。
慌ただしく往来する多くの荷馬車を避けて、大小様々な荷物が壁になった道を男に連れられて荷捌き場の出入り口へと向かった。
守衛の元へ男はひとり向かう。
「――通っていいってよ」
守衛と話をつけてくれた男に礼を言い、二人はそのまま港を出た。
「さて。不法入国だなんだと揉める前に、とりあえずこの街の『魔術師組合』に移動報告しようか」
「はい。……シエルテ様、この街の組合の場所はおわかりに?」
「行ったことがあるからな。当然」
「……シエルテ様、方向音痴ですよね」
疑いの眼差しを向けるリィナを、シエルテは鼻で笑った。
「ならば、私の後についてこい」
アイエラという古く大きな街は、大別すると城壁ごとに三つの区域に分けられていた。
ひとつは交易や旅客、漁業を生業とする人々が住む、もっとも面積が大きい南の港湾、漁港区。
かつての城――今は観光地となった城を中心にした北の行政区。
そして、いくつかの商店通りと職人街を含んだ、中央の住宅地区。
『魔術師組合』もここにある。
「……」
港から歩いて向かったシエルテが今いる場所は、城壁と城壁の間にある中央の住宅地区、のはずだった。
馬車と自動車が走る石畳の道。
「迷ってますよね?」
「……ふむ。そう見えるかもしれないな」
緩くカーブを描く道に沿って、背の高い建物が密集する街並み。
通りを挟んだ対面の建物同士でロープを繋ぎ干された洗濯物が、二人の頭上で潮を含んだ風に揺れていた。
――この洗濯物をシエルテ達が見るのは、すでに四回目だった。
「迷ってますよね?」
「……そうとも言う」
ため息を吐いたリィナは銀の髪を揺らし、もういいです、とシエルテの先を歩き出した。
「あたしが探しますから」
「……」
相変わらずの半眼で、そのうえ少しだけ不満そうな顔をしていシエルテを先導して――リィナは石積みの古い街並みの中、何度か通行人に道を尋ねて進んだ。
そうして目的の『魔術師組合』にたどり着いたのは、二人が港から街に入って約一時間後のことだった。
「はぁ……着きました」
古いレンガ造りの、縦に細長い建物の前に立ち、リィナは見上げる。狭い入口の上に掛けられた『魔術師組合』の看板を確かめる。
「間違いないここだ」
入っていくシエルテに、リィナは頬を膨らませつつ続いた。
建物に入ってすぐ、木製の扉があり、シエルテはノックもせずにそのまま扉を開く。
――冷えた空気の漂う狭い室内。
壁には額に入れられた羊皮紙や肖像画が飾られ、売り物なのか空き樽に杖がいくつも差してある。カウンターがあり、そこにいた若い男とシエルテの半眼が合った。
「あー……どんな用です?」
若い男は明らかにやる気の感じられない態度だったが、シエルテの前に出たリィナが睨みつけると男は愛想笑いをした。
「今日からこの国でしばらく世話になる。その挨拶に来た」
カウンターに近付き、シエルテはローブの中から手帳を取り出し提出した。それに習ってリィナもメイド服のどこからか出した同じ手帳をカウンターに置いた。
「資格証明書の提示、どうも。えー……」
ボサボサ頭の男は、手帳開いて覗き込み――そのまま固まった。
「ま、魔女……シエルテ・ネペタ、様」
声を震わせる男に、シエルテは「資格証明書の提示、入国、滞在報告の義務は果たした」と告げる。
「あ、は、はい。もちろんでございます魔女様。こちら、ありがとうございました」
慌てて姿勢を正した男から返却された手帳――『魔術師組合組合員証および魔術資格証明書』を受け取り、シエルテは開いたページに組合独自の入国スタンプが押されているのを確認して、また懐にしまい込んだ。
「た、大変失礼いたしました」
シエルテが顔を上げると、カウンターの向こうにいたはずの男の姿が消えていた。
ボサボサ頭だけがカウンターの陰から見えている。
シエルテがカウンターを覗き込むと、男は震えながら膝を折り礼を取っていた。
シエルテはため息を吐く。
「気にしていない。いいから立て」
シエルテに言われ、怯えた目をした男が立った。
「『魔女への規定』通り、しばらくこの辺りに滞在することになる。仕事依頼があれば、聞く」
「は、はい」
「ふむ。では行こう、リィナ。そろそろ昼食だ」
「はい、シエルテ様」




