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2. プロローグ 治療

 早速シエルテは、飴色トランクに掛かっている金具のロックを外して開ける。

 感情の読み取りづらい無表情、半眼のままにシエルテは“真っ暗”なトランクの中に手を突っ込み、水銀の体温計、ビーカー、魔法陣の描かれた手のひら大の紙片、コルク栓のされた試験管三本、聴診器――と、次々取り出していく。

「『これを脇に挟んで』」

「『は、はい』」

 シエルテが振ってから渡した体温計を、リィナは脇に挟む。

 その間に、シエルテは魔法陣の描かれた紙片をリィナの額にぺたりと貼り付けた。

「【――()()()()】」

 シエルテの“言葉”に呼応して、紙片の魔法陣が淡く輝き、紙片全体が青色に変わる。

「やはり感染症ではないな。ふむ。『君と同じように手が黒くなった人が身近にいなかったか?』」

「『……』」

 リィナの言葉が詰まる。

 ――それでも、リィナは意を決したように目に力を宿し、話し始めた。

「『……弟がおんなじように手足が黒くなって、死にました』」

「『……そう』」

 肩を震わせるリィナに、シエルテは目を細める。

「『他に家族は?』」

 いません、とリィナは首を振る。

「『両親も、もういません』」

「『そうか。――体温計を見せてくれ』」

 体温計を受け取ったシエルテが確認すると、水銀の示す目盛りは36.2。

「『やはり平熱か。次は体を診せてもらおう』

 リィナの了解を取ってから、シエルテはリィナの目や赤黒くなった手指、足指を触診しながら痛みなどを確認していく。

「『君、歳は』」

「『たぶん、九歳、です』」

「『……ふむ。痩せ過ぎだな』」

 最後に、服を胸の辺りまで捲り上げるよう言うと、聴診器を胸や腹、背中に当てて音を聞いていく。

「……間に合いそうだな。『服を戻していい』」

 リィナが頷き、捲り上げていた服を戻した。

「『ひとつ訊きたい。君はどこかで、しばらく“黒くなった麦”を食べていなかったか?』」

「『……!』」

 リィナの体が、あからさまに強張った。

「『別に(とが)めたりする気はない。ただの問診だ』」

「『もんしん?』」

「『……ただ訊きたいだけだ』」

 言葉の意味と意図を理解したらしいリィナがぽつりと、「『村で……食べるものがなくて……』」と言った。

「『サリシラーフ国でか』」

 シエルテの言葉に、リィナは怯えた目のまま、こくりと頷いた。

「『……ふむ。その麦が、君の指を腐らせた毒の正体だ』」

「『毒の麦……』」

「『麦角菌中毒という病だ』」

「『ばっかくきん……?』」

「『リィナが食べていた黒くなった麦。その麦を黒くしていた麦角菌というカビを、食べたことで起こる中毒のことだ』」

 古くから、原因こそわかっていなかったものの症状は知られていた病。

 ――カビ菌の一種である麦角菌は、ライ麦や大麦、小麦などにできる。

 この麦角菌に感染した麦は穂が黒く変色する。

 黒い麦、麦角菌は長雨などで不作の年に多く発生する。本来であれば収穫時に取り除かれるが、稀に何らかの理由で取り除かれることなく製粉され、パンなどに加工されてしまうことがあった。

 それらをある程度の期間、食べ続けることで起こる中毒が麦角菌中毒だった。

「『麦角菌中毒は、麦角菌の種類によって様々な症状が出る。吐き気や倦怠感、けいれん、妊婦であれば流産。さらに酷くなると、血流障害から手足が黒く変色する壊死、そして幻覚症状が現れることがある。――君のように』」

「『……』」

 リィナが指の欠けた自分の手を見る。――その手をシエルテが取った。

「『言っただろう。治すと』」

 そう言ってシエルテは、リィナの両手をテーブルの上に乗せた。

 ――右手の人差し指と中指。左手は薬指と小指の先が欠けている。

「『これから指の再生をする。……あー、少し気持ちの悪いことになるが、我慢してくれ』」

「『え……?』」

 告げるなり、シエルテは出していた試験管のひとつ――緑色のゼリーを、コルク栓を開けてリィナの右手に掛けていく。――途端、指の欠けた部分で緑色のゼリーが生き物のように脈動し始めた。

「『ううぅ』」

 リィナに痛みはなかったが、ゼリーは指の黒い部分を明らかに溶かして食べていた。

「『左手にも掛けるぞ』」

 もう一本、試験管を開け、同じ緑色のゼリーを今度はリィナの左手に掛けた。

「『こ、これは、何なんですか……?』」

 自分の指を食べているゼリーを眺めながら、顔を引きつらせてリィナは訊ねる。

「『ふむ。これは、深い森の奥にいる妖精の一種だ。死んだ動物を食べる森の掃除屋。それに君の指の壊死(えし)した部分を食べさせているところだ』」

「『よ、妖精……食べてるの……?』」

 意識を失ってもおかしくないような光景にリィナが耐えているその間、シエルテは紙片をテーブルに置き、さらにその上にビーカーを準備する。

 取り出していた試験管の最後の一本を開け、中に入っていた灰色の粉をビーカーに入れた。

「【――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()】」

 シエルテの詠唱の終わりと共に紙片が燃え上がり、ビーカーの中にあった灰色の粉から煙が上がった。

 あっという間に、粉は溶けて液体へと変わり、ビーカーの底に溜まっていった。

 煙が収まるのを待って、シエルテはビーカーを手に取る。

「『いいと言うまで、動くな』」

 言いながらシエルテはビーカーを傾けていき、中の灰色液体をリィナの指でうごめく緑ゼリーの上から掛けていく。ゼリーは灰色の液体に包まれ――やがて、失ったはずの指先の形になった。

 灰色の指。

「『もう動いていい』」

 リィナは不思議そうな顔をしながら、手を動かす。

「『それはまだ仮の指だから、自分の指になるまでは無理な力を加えないように。次は足の指だ』」



 シエルテは治療の手を止めることなく、リィナの足も同じ手順で治療していった。

「『足の指もこれでいい。次は体全体の治療をしていこうか。――今、まだ続くのか、と思っただろう?』」

 指摘され、リィナは銀髪をぶんぶんと振る。

「『体はまだ弱ったままだからな。魔術、というより呪術のほうが近いが。君の体に印を描いて、自己治癒能力を上げる』」

 シエルテはトランクにまた手を入れ――取り出したのはインク瓶と白い羽根ペン。

「『これから、君の体中にこのインクで、そうだな、絵を描いていく』」

 断る理由も勇気もないリィナが頷くと、シエルテはふっと口の端に笑みを浮かべた。

「『では服を脱ごうか。全部』」

「『ぜ、全部ですか』」

「『そう全部。描くのは全身だからな。……別に恥ずかしいこともないだろう?』」

「『は、はい……』」

 リィナが服を脱ぎ終えると、シエルテはやせ細った体のリィナを立たせ、自身はしゃがみ込んだ。

「『始める』」

 ――インク瓶の蓋を開け、羽根ペンの先をインク瓶に入れる。インクを含んだペン先が最初に向かうのは、リィナの腹部。ペン先が褐色の肌を這い、幾何学模様の魔法陣が描かれていく。

「くう……ぅ……」

 痛みはなく、代わりに感触のくすぐったさと、格好の恥ずかしさにリィナは顔と耳を真っ赤にした。

「『我慢しろ』」

 ペン先は腹部から胸、胸から腕、腕から指先へと黒い線を伸ばし、その部位ごとに描いた幾何学模様を繋げていく。

「うう……はぁ、はぁ……」

「『こっちは終わった』」

 ペン先が離れたのを見て、リィナが安堵の息を吐いた。

「『終わった……?』」

「『いや。次は足だ』」

「『えっ』」

 インクをたっぷりと付けたペン先が、リィナの腹部から下へと這っていく。

「『あ、ちょっ……いやぁー!』」

「『……』」



 裸で宙を見つめたままのリィナに、シエルテは魔術で温風を当てて、てらてらとしたインクの黒を乾かしていく。

 そうして最後に、リィナの腹部に描かれた魔法陣に手を当てた。

 ――途端に、リィナの体全体に描かれたインクが淡く輝き出した。

「『周囲の魔力が集まることで光っているだけで、害はないから安心しろ。むしろ、君の自然治癒能力を高めてくれる。……どうかしたか?』」

 いまごろになって、シエルテは手で顔を覆ったリィナに気付いた。

「『……はずかしめられました』」

「『大げさな。生きてればこんなこと、よくある』」

「『よくはないと思います……』」

 リィナは何度目か、不安げな表情でシエルテを見る。

「『あの』」

「ん?」

「『あたし、お金なんて持っていません』」

「『だろうな。――そんな顔をしなくていい。別に、騙して何かさせようとかそういうつもりもない。……まあ理由もなく施されるのは怖いか』」

 頷くリィナに、シエルテは「『ただの気まぐれだ』」と軽く言った。

「『気まぐれ……でも、あの、お礼を……何かお返しできるものがあれば』」

「『いらない』」

 きっぱりとシエルテは言い切ったが、それでもリィナは食い下がる。

「『ならせめて、身の回りの雑用だけでも、働かせてください』」

「『いや……はぁ。ならば私の助手、いや、メイドでもするか?』」

「『メイド……?』」

「『そうだ。身の回りの雑用で働いてもらうならその方がいい。衣食住は保証するし、給金も出す』」

 リィナは改めて、目の前にいるシエルテをまじまじと見た。

 半眼で見つめ返してくる、金髪の美少女。

 目付きこそ悪いが、リィナがこれまで見てきた、人を騙してやろうという人間と同じ悪感情は伝わってこない。

「『よろしくお願いします。魔女様』」

「『ふむ。よろしく』」

「『はい』」

 決意を表すようにリィナは力強く頷いた。



 ……それから、七年の歳月が流れた。

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