18. 湖の乙女
ぜひ、と目を輝かせるオリーを伴って、シエルテ達は玄関から屋敷の外に出た。
木々を縫って吹いた風がオリーを通り抜ける。
「風がある……!」
屋敷の中から見た時と同じく、日差しがあり、空があり、森があり、そして小さな湖があった。
魔女の蔵は切り取られた世界だというが、決して狭くはない。端は見当たらず、湖の対岸にも森が見えた。
「お屋敷の中から見た時も信じられませんでしたが、この世界には湖があるのですね」
「後入れだがなぁ。オレより後輩よ」
「後入れ……」
シエルテを先頭に木々を抜け――その先に広がる湖まで来ると、シエルテ達は水を含んで泥濘んだ湖畔に立った。
寄せる波音を聞きながら、シエルテは小さな声で「アプラディ」と名を呼ぶ。
――わずかな間の後、湖の中心が泡立ち波打ち始めた。
水面がシエルテ達の前まで揺れて近付き、膨らむように水柱が立つと人の形を取った。
透明な人形に絵筆で色を塗るように、徐々に蒼い髪をした美しい女の姿が現れる。
「お呼びでございますか月のひと」
女にシエルテが頷く。
「客に君を紹介しようと呼んだんだ」
まあ、と声を上げた女はオリーのすぐそばまで迫り、困惑するオリーを様々な角度から眺めた。
「月のひとがここに誰かを招くなんて珍しい。私達は『アプラディ』と申します」
「オリー・アーシェルと申します。は、はじめまして」
アプラディが微笑みかけた。――整いすぎて作り物のような笑みだった。
「アプラディ様は、その、水に棲む妖精なのですか?」
微笑んだままアプラディは首を振る。
「私達は湖に棲むのではなく、この湖そのもの――」
その先の言葉はシエルテが引き受けた。
「彼女は湖の精霊。消えかけていたところでたまたま出会い、頼まれてこの蔵への移住を許可した」
「元精霊、でございますよ月のひと」
「まあ、そうか。今は限りなく精霊に近い妖精みたいなものだな。この世界の管理を任せている」
「そ、それはまさしく精霊の在り方では」
オリーの目にまた好奇心の光が宿り、様々な角度からアプラディを眺め始め――今度はアプラディが困惑気味に微笑みながら、シエルテに助けを求める視線を向けた。
「幼子の知りたがりと同じだ。諦めなさい」
「まあ。そうですの。相変わらず幼い娘子がお好きなのね、月のひと」
「……誤解を生むようなことを言わないでもらえる?」
「まあ動揺して。風の少女も大変ね」
アプラディに、風の少女と呼ばれたリィナはにっこりと笑った。
「あたしもシエルテ様のこと大好きですから問題ありません」
「あらあらまあ」
「……アプラディ。用は済んだからもう戻れ」
怒らせてしまったわ、と微笑んでアプラディは湖の中に溶けていった。
シエルテが疲れると呟き、ため息を吐いた。
「……リィナ、お茶を頼む」
「承知しました」
屋敷の前庭にある木製のテーブルに着いたシエルテとオリーの前に、リィナは紅茶を淹れたティーカップを置いていく。
カップを綺麗な所作で手に取ったシエルテは、ひと口飲むと、「美味いよリィナ」と声を掛けた。リィナが恭しくお辞儀をする。
「美味しい。淹れ方が上手なのね」
「たくさん練習しましたので。あたし手作りのクッキーもどうぞ」
前庭までティーセットを運んできたティートローリーから、リィナはクッキーがのせられた皿を出した。
オリーは手を伸ばし、クッキーを口にする。
「……ふむ。一応、報告だけしておこうか。トランクはいつものようにホテルの部屋に置いてある。メガネのお嬢さんは、ここから出るとホテルの部屋だから覚えておくように」
「わかりました」
リィナが驚いた顔をする。
「シエルテ様がおひとりで、ホテルにたどり着けたのが驚きです」
「ふむ」
シエルテが誇るように半眼を細めて小さく笑った。
「本気を出せばこのくらい当然」
「本当ですか?」
「……駄賃を渡して子供に案内してもらった」
「なら大丈夫ですね」
「それはどういう……いやいい。それよりリィナには他にも話がある。魔術師組合で聞いたが、どうやらサリシラーフへ行くのは中止になりそうだ」
リィナの肩がびくりと震えた。
「何故でしょうか」
「サリシラーフは内戦中らしい。船便がないと教えられた」
「……」
落胆か、安堵か。リィナは大きく息を吐くと、そうですかとだけ答えた。
「お二人は、サリシラーフに向かう途中だったのですか」
「そう。ここから船が出るだろうと思ってね」
「……その。空を飛んで行くのではダメなのですか?」
二人とも箒で空を飛べることを知っているオリーには当然の疑問だった。
「一、二時間程度で着く距離ならそれでもいいが、それ以上になると、何もない一面青いだけの海上飛行は危険だ。休憩も出来ない」
想像し、オリーはなるほどと呟いた。
「それ以前に、内戦中であるなら近寄らない方が賢明だろう。リィナには悪いが」
シエルテにつられるようにオリーもリィナを見た。
「サリシラーフは、リィナさんの故郷?」
リィナは「一応は」と言って苦笑した。
「叔父の顔をぶん殴ってやろうと思っていたんですけどね……」
怪訝な顔をするオリーに笑って、リィナはシエルテとオリーのカップに紅茶のおかわりを注いだ。
「ではこれからどうします?」
「さてな……今いる国を観光するか、東の方に行くか」
「あの、王都にお越しでしたら、わたしがご案内します。勤め先の大学があるので」
「……ふむ。それもいいか。――リィナはどう思う」
「そうですね。アーシェルさんとこのままお別れも寂しいですし……そうです! それより前に。アーシェルさんの具合が悪かった原因です。気になって観光どころでは――」
「それなら原因はわかっている」
シエルテの言葉に、オリーとリィナが同時にシエルテを向いた。
「原因は【逆流】だ」




