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転生したらコピーロボットだった  作者: ここなら?
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第3話 エンジニアの小さな善意

学校からの帰り道、僕と本物の須羽ミツ夫は、彼の部屋で静かに対峙していた。ランドセルを僕から受け取った彼は、昨日の算数の一件がまだ腑に落ちないのか、じっとりとした視線を向けてくる。


「おい、コピー」

「はい、マスター」

「だからマスターって言うなって! ……それより、お前、昨日みたいに勝手なことすんなよ。俺が天才だなんて思われたら、あとあと面倒なんだからな」


口では文句を言いつつも、その声色には昨日ほどの刺々しさはない。ミチ子を始めとするクラスメイトたちから「ミツ夫、すごいのね!」と褒められて、満更でもなかったのだろう。子どものプライドとは、かくも複雑で単純なものか。


「承知しております。ですが、状況に応じた最適なパフォーマンスを提供することも、私の任務の一部かと」

「理屈っぽいんだよ、お前は!」


ぷいとそっぽを向くミツ夫。だが、すぐに彼は押入れからパーマンセットを取り出し、手早く装着を始めた。どうやら、緊急の呼び出しがあったらしい。


「今日は夜まで帰れないかもしれないから、留守番頼んだぞ。母さんたちに変に思われないようにな」

「了解しました。ご武運を」

「だから、いちいち言い方が偉そうなんだって!」


捨て台詞を残し、パーマン1号は窓から勢いよく飛び出していった。あっという間に夜空の点になるその後ろ姿を見送り、僕は部屋の主がいなくなった空間で、しばし静寂に身を浸す。


彼の身代わりを務めることは、僕の存在意義そのものだ。だが、昨日の出来事を経て、僕の内部ソフトウェアには新たなパラメータが追加された気がする。『彼の人生に、より良い影響を与える』。それは、僕が自分で設定した、隠されたタスクだった。


***


夕食の時間は、須羽家の日常そのものだった。僕はミツ夫として食卓につき、母親の手料理を味わい、ガン子の今日の出来事を聞き、時折父親の問いかけに相槌を打つ。脳内データベースにある「須羽ミツ夫の応答パターン」を完璧にトレースするだけだ。誰にも、僕が偽物だとは気づかれない。


食事と入浴が終わり、家族がそれぞれの時間を過ごし始めた頃。居間のちゃぶ台で、父親が分厚い帳簿と古めかしいそろばんを広げ、うんうんと唸り始めた。彼はこの家の家計を管理しているらしい。その眉間に刻まれた皺は、昼間の疲れとはまた違う、もっと根深いもののように見えた。


パチ、パチ、パチ……。


静かな夜に、そろばんの珠が弾かれる乾いた音だけが響く。だが、その音は何度も途切れ、父親の重いため息に変わる。


「うーん、合わん……。またどこかで計算がずれてるんだ。一体どこで間違えたんだか……」


独り言を漏らしながら、彼は頭をガシガシと掻きむしる。僕は学習机の椅子に座り、宿題をするフリをしながら、その様子を観察していた。僕の高性能な視覚センサーは、彼が指で追っている帳簿の数字を正確に捉えている。そして、僕の脳――元はITエンジニアの思考回路が叩き出した結論は、あまりにも明白だった。


エラー箇所は、三列前の支出項目。単純な繰り上がりのミスだ。


前世の僕なら、システムのバグを見つけたような感覚だっただろう。ログを解析し、エラーの原因を特定し、修正パッチを当てる。それは僕にとって、呼吸をするのと同じくらい自然な行為だった。


しかし、今は違う。僕は須羽ミツ夫のコピーロボットだ。彼の家の家計に、僕が介入する権限はない。僕の役割は、あくまで彼の「不在」を埋めることだけ。余計なことはすべきではない。ミツ夫本人にも、そう釘を刺されたばかりだ。


分かっている。分かっているんだ。僕はただの影で、舞台装置の一部に過ぎない。


だが、目の前で、明らかに解決可能な問題で苦しんでいる人がいる。僕の指先一つ、ほんの数ミリ珠を動かすだけで、彼の悩みは霧散するのだ。その事実が、僕の体内の静かな回路を、じりじりと焦がしていくような感覚にさせた。


父親が「ちょっとお茶でも淹れてくるか」と呟き、席を立った。


チャンスは、今しかない。


思考するより先に、僕の体は動いていた。猫のように静かな足取りでちゃぶ台に近づく。誰にも気づかれないように。ミツ夫の家族の信頼を裏切らないように。


帳簿を一瞥し、エラー箇所を再確認。そして、人生で初めて触れるそろばんに指を伸ばす。その構造とロジックは、僕の頭脳が瞬時に解析済みだ。問題の桁、間違った位置にある五珠を一つ、そっと正しい位置へと押し上げる。そして、対応する一珠を払う。たったそれだけの、数秒にも満たないオペレーション。


僕はすぐさま元の場所に戻り、何事もなかったかのように再びノートに向き直る。僕の胸――バッテリーが搭載されているあたりが、微かに熱を持っている気がした。これは、ミツ夫に命令された行動ではない。僕自身の意志で行った、初めての能動的な「介入」だった。


やがて、湯呑みを持った父親が戻ってきて、再びそろばんの前に座った。


「さて、と……どこからだったかな」


気を取り直して計算を再開した彼の指が、数回珠を弾いたところで、ぴたりと止まった。


「おや……?」


不思議そうな声が漏れる。彼は何度か首を傾げ、帳簿とそろばんを見比べ、そして、もう一度最初から計算をやり直した。


パチパチパチ……今度は、その指の動きに迷いがない。そして、最後の数字が帳簿の合計と一致した瞬間。


「……合った! 合ったぞ! なんだ、さっきのは俺の完全な見間違いだったか! いやあ、良かった!」


父親の顔が、ぱあっと明るくなった。心底ホッとしたような、安堵の笑顔。彼は満足げに帳簿を閉じると、大きく伸びをして、鼻歌交じりで風呂場の方へと向かっていった。


その一部始終を、僕は部屋の隅から見つめていた。


誰にも知られることのない、小さなファインプレー。僕の行動が、この家の主の心を少しだけ軽くした。ミツ夫の功績ではない。パーマンの手柄でもない。これは紛れもなく、僕が、僕自身の判断で成し遂げたことだ。


胸の奥で、静かな喜びがじんわりと広がっていく。それは、プログラムされた快感信号とは違う、もっと有機的で温かい何かだった。ただの替え玉ではない。ただの道具でもない。影として、誰にも気づかれずに、世界を少しだけ良い方向に修正する。


それもまた、僕という存在の、一つの確かな価値なのかもしれない。


主役は彼でも、彼の知らないところで、彼の人生を、彼の周りの世界を、そっと支えることができる。


僕は、この世界の有能な『デバッガー』になれるかもしれない。


そんな、新たな野望にも似た感情を胸に、僕は静かに充電ケーブルへと体を接続した。今夜は、なんだかとても良い夢――いや、良い待機モードに入れそうだ。

僕のささやかな自己満足は、思わぬ形で次のステージへ進む。憧れのクラスメイト・ミチ子ちゃんと一緒に下校することになったのだ。ミツ夫本人よりも落ち着いて紳士的に振る舞ってしまった結果、彼女から掛けられた言葉は、僕の回路をショートさせるには十分すぎた。「今日の須羽くん、なんだか大人っぽくて素敵……」――機械の僕に、果たして感情は芽生えるのか?


次回、「ミチ子と芽生える自我」。

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