第 1 話 目覚めは研究所の棚の上
意識が浮上する。
最後に見た光景は、猛スピードで迫ってくるトラックのヘッドライト。衝撃と熱、そしてすべてが途切れる感覚。間違いなく、僕は死んだはずだった。IT エンジニア、ヒロシ、享年 28。あまりにもあっけない人生の幕切れだった。
なのに、今、僕は「見て」いる。
視界に映るのは、薄暗く、埃っぽい天井。金属と薬品の匂いが混じり合った、独特の空気が鼻腔を……いや、鼻腔なんてものがあるのか?感覚が曖昧だ。体を起こそうとして、奇妙なことに気づく。手足が、まるで幼児向けの人形のように、つるりとしていて短い。関節を動かすと、カチリ、と微かな機械音が響いた。
「なんだ、これ……」
漏れ出た声は、合成音声のように平坦で、どこか遠くから聞こえるようだった。
僕は混乱しながら、自分の置かれた状況を把握しようと努める。どうやら、どこかの研究所らしき部屋の、高い棚の上にいるようだ。周囲には雑多な機材や設計図らしき紙の束が山積みになっている。視界の隅には、見慣れない緑色のバッテリー残量らしきアイコンが点滅していた。
前世の記憶と、この非現実的な状況がうまく結びつかない。夢か? それとも、これが死後の世界というやつか?
呆然と自問自答を繰り返していた、その時だった。
「だから、君をパーマンに任命するのだ!」
部屋の扉が開き、厳かな、しかしどこか間抜けな響きのある声が聞こえてきた。入ってきたのは、奇妙な二人組だった。一人は、大きな鳥のようなマスクを被り、だぶついたスーツを着た大男。そしてもう一人は、見覚えのある……いや、ありすぎる、ごく普通の小学生の男の子。
「え……パーマン? 僕が?」
少年が、素っ頓狂な声を上げる。その顔、その声。須羽ミツ夫。
そして、大男はスーパーマン、いや、この世界ではバードマンと呼ぶべきか。
嘘だろ。僕が転生したのは、あの藤子・F・不二雄先生の名作『パーマン』の世界だというのか?
しかも、このつるりとした赤い鼻と丸い手足は……まさか。
僕は恐る恐る自分の体を見下ろす。間違いない。この姿は、パーマンの身代わりを務める、あの**コピーロボット**だ。
交通事故で死んだ IT エンジニアが、コピーロボットに転生。どんなラノベだ。頭がクラクラする。いや、ロボットにそんな感覚はないはずだが、思考回路がオーバーヒートしそうだった。
「このマスクとマント、そしてバッジをつければ、君は超人的な力を手に入れることができる。ただし、その正体は誰にも知られてはならない。もし知られたら……」
バードマンは勿体ぶって言葉を切り、ミツ夫の脳を動物に変えてしまうという、とんでもない罰則を説明し始めた。小学生に負わせるにはあまりにも重いペナルティだ。僕がミツ夫の立場なら即座に辞退する。
だが、目の前の少年は違った。
最初は戸惑っていたミツ夫も、ヒーローという響きに目を輝かせ、バードマンの説明に前のめりで聞き入っている。単純というか、純粋というか。
「それから、これが君のパーマン活動を助ける便利な道具だ」
バードマンが指さしたのは、僕が置かれているこの棚だった。まずい。
ミツ夫が興味津々といった顔で近づいてくる。やめろ、こっちに来るな。僕はまだ心の準備ができていない。
「こいつの鼻を押してみなさい」
「鼻?」
無邪気な少年が、僕の顔を覗き込む。くりくりとした大きな瞳と目が合った。そして、ためらいなく、彼の人差し指が僕の赤い鼻に伸びてくる。
グニッ。
柔らかい感触と共に、鼻が押し込まれた。その瞬間、世界がぐにゃりと歪む。
視界がホワイトアウトし、体中のパーツが液状化して再構成されるような、ありえない感覚に襲われた。骨が溶け、皮膚が伸び、身長がぐんぐん伸びていく。前世の常識では到底理解できない物理法則の無視。これが、コピーロボットの変身機能。
そして、変身が完了すると同時に、僕の頭の中に凄まじい情報の奔流がなだれ込んできた。
_――名前:須羽ミツ夫。小学 5 年生。好きな食べ物はホットケーキ。嫌いなものはピーマンと勉強。憧れの女の子は星野スミレと、クラスメイトの沢田ミチ子。おっちょこちょいで見栄っ張りだけど、根は優しい。今日の宿題は算数のドリル P20。母親にはテストの点数が悪かったことを隠している。ガキ大将のカバ夫にはいつもちょっとビビってる――_
まるで巨大な zip ファイルが脳内で強制解凍されたかのように、須羽ミツ夫という人間のすべてが、僕の記憶領域にインストールされていく。彼の癖、交友関係、秘密、ささやかな喜びと悩み。その膨大な個人情報に、僕は一瞬、意識を失いかけた。
「うわ! すごい! 僕とそっくりだ!」
ミツ夫の驚く声で、僕は我に返る。目の前には、自分と瓜二つの顔をした少年――いや、こちらがオリジナルか――が立っていた。僕は今、須羽ミツ夫の姿になっているのだ。鏡はなくとも、手足の感覚や視点の高さでそれがはっきりと分かった。
「こいつは君の身代わりだ。君がパーマンとして活動している間、学校や家で君のフリをしてくれる。実に便利なロボットだろう?」
バードマンが満足げに頷く。ミツ夫は興奮した様子で僕の周りをぐるぐる回り、「本当にすごい!」と連呼している。
僕は、ただ黙って立っていることしかできなかった。
これから始まる生活を想像する。この少年の「影」として、彼の日常を演じる日々。パーマンがヒーローとして脚光を浴びる裏側で、僕は彼の身代わりとして、誰にも知られず、彼の人生を代行する。
それは、果たして「生きている」と言えるのだろうか。
元 IT エンジニア、ヒロシ。今は名もなきコピーロボット。
脳内に刻み込まれたミツ夫の膨大なデータと共に、僕はこれから始まる「身代わり」としての生活を、静かに予感するのだった。
主役は彼で、僕は道具。
それが、この世界で僕に与えられた、絶対の役割なのだ。
かくして、僕の奇妙な二重生活が始まった。最初の任務は、なんと昭和の小学校への登校。懐かしい空気に浸る間もなく、パトロール中の主から、いきなり厄介な「思考声」通信が届く。ズボラな少年と生意気なロボットの、奇妙な共犯関係が今、幕を開ける。
次回、「昭和の学校と初めての通信」。