第7話 驚異の建築技術と、黒字への道
日本の喧騒と、異世界の静寂。
その2つを、ドア一枚隔てて行き来する生活にも、すっかり慣れてきた。
平日の俺は、相変わらず、死んだ魚のような目をしたサラリーマンだ。だが、その心には、確かな炎が灯っていた。
それは、『ログハウスを建てる』という、巨大なプロジェクトへの情熱の炎だ。
会議中、俺の頭の中は、丸太の組み方と、必要な釘の数でいっぱいだった。
佐藤部長の嫌味は、心地よいBGMにしか聞こえない。
「相川君、聞いてるのかね?」
「はい、部長。仰る通り、強固な土台(基礎)こそが、プロジェクト成功の鍵かと存じます」
「……? う、うん、まあ、そうだが……」
奇妙な返答に、部長が訝しげな顔をするが、どうでもいい。
俺の頭の中では、すでに、週末の建前が始まっているのだ。
そして、待ちに待った金曜の夜。
俺は、ここ数週間の残業代と、コツコツ貯めた『光精の綿毛』マネーのほとんどを叩いて注文した、大量の資材と共に、異世界へと降り立った。
「ただいま! モックル、みんな! 新しい道具、買ってきたぞ!」
俺が段ボール箱を開けると、中から現れたのは、プロ仕様の建築道具の数々だ。
2人で持って使う、巨大な両刃ノコギリ。
様々なサイズの刃がセットになった、本格的なノミ。
丸太の皮を剥ぐための、ドローナイフという専用道具。
正確な垂直を測るための、下げ振り。
その一つ一つが、コーホクの職人の魂が宿ったかのような、機能美を放っている。
「モキュゥ……!」
モックルが、その道具たちを前に、感嘆の声を上げた。
その瞳は、今まで見たことがないほど、キラキラと輝いている。
まるで、伝説の剣を手にした勇者のようだ。
最高の職人には、最高の道具を。
この投資は、絶対に間違っていなかった。
俺は、先日ノートに描いた設計図を、大きな木の切り株の上に広げた。
これが、俺たちのプロジェクトの、キックオフミーティングだ。
「よし、みんな聞いてくれ! 今週末の目標は、基礎作りと、壁の1段目までを完成させることだ! モックル、木材の伐採と加工は、君がリーダーだ。頼んだぞ!」
「モキュ!」
「コロポムは、この設計図通りに、地面を平らにして、固めてくれ。基礎の精度が、家の寿命を決めるからな。重要な仕事だ!」
「ポム!」
「キラミンは、夜間の照明担当だ。安全第一で頼む!」
「キュイ!」
俺の言葉に、3匹は、それぞれのやり方で、力強く応えてくれた。
言葉は通じなくとも、俺たちの心は、一つの目標に向かって、固く結ばれている。
こうして、俺たちのログハウス建設は、本格的に始動した。
まずは、基礎作り。
俺が地面に引いた線に沿って、シャベルで溝を掘っていく。
そこに、コロポムが、土や石を運び込み、その小さな体で、トントンと地面を固めていくのだ。
その仕上がりは、もはや芸術的だった。
俺が水平器を当ててみると、ミリ単位の狂いもない、完璧な水平が出ている。
こいつ、土木工事の天才か……?
基礎作りと並行して、モックルによる木材の伐採が始まった。
俺とモックルで、巨大な両刃ノコギリの両端を持つ。
「いくぞ、モックル!」
「モッキュウウウウ!」
モックルの雄叫びを合図に、俺たちは息を合わせてノコギリを引く。
ギコ、ギコ、ギコ……。
心地よいリズムが、森に響く。
やがて、ミシミシと、木が悲鳴を上げ始め、モックルが指し示した方向へと、寸分の狂いもなく、ゆっくりと倒れていった。
ドッッッッッッッッシーン!!!
地響きを立てて倒れる巨木は、圧巻の一言だ。
だが、本当に驚くべきは、ここからだった。
モックルは、まるで自分の手足のように、大小さまざまな道具を使い分け、驚異的なスピードで、丸太を加工していく。
ドローナイフで、するすると、面白いように樹皮が剥がれていく。
そして、ログハウスの壁となる部分には、『ノッチ加工』という、丸太同士を組み合わせるための切り欠きを、斧とノミだけで、まるで機械で加工したかのように、正確に彫り上げていくのだ。
俺も、見様見真似で挑戦してみたが、切り口はガタガタで、全く組み合わせることさえできなかった。
「……はは、こりゃ、敵わん」
俺の役割は、完全に、モックル先生の助手だ。
加工し終わった丸太を運んだり、次の作業の準備をしたり、道具の手入れをしたり。
会社では、人に指示を出すばかりだった俺が、今は、誰かの下で、汗水流して働いている。
それが、不思議と、少しも嫌じゃなかった。
日が暮れると、キラミンの出番だ。
彼の放つ優しい光が、作業場全体を煌々と照らし、安全な夜間作業を可能にしてくれる。
俺たちは、文字通り、寝る間も惜しんで作業に没頭した。
そして、日曜の夕方。
休憩中に、コツコツ集めておいたキラミンの綿毛と月長石を、スキルで換金する。
スマホに表示される、プラス7万3000円の文字。
この資金で、来週は、窓枠や、ドアの材料を買おう。
この、汗を流して働き、その成果が、目に見える「家」という形になり、さらに、異世界の恵みが「お金」に変わって、次のステップへと繋がっていく。
この、完璧な循環。
これこそが、俺がやりたかった「ビジネス」の、理想の形かもしれない。
ふと、顔を上げると、俺たちの目の前には、ログハウスの壁が、俺の胸の高さほどまで、組み上がっていた。
まだ、屋根も、窓も、ドアもない。
ただ、四方を丸太で囲まれただけの、空間だ。
それでも、その空間に足を踏み入れると、不思議な安心感に包まれた。
風が、直接体に当たらない。外の世界から、守られているという、確かな感覚。
「……ここが、俺たちの、家か」
俺は、組み上がったばかりの丸太の壁に、そっと手を触れた。
ひんやりとした、だが、どこか温かみのある木の感触が、掌に伝わる。
俺は、焚き火で焼いた、湖の魚を、4人で、その壁の中で食べた。
まだ家と呼ぶには、ほど遠いかもしれない。
それでも、この場所は、雨風をしのぐだけのタープとは、全く違う。
俺たちが、力を合わせて作り上げた、最初の『我が家』だった。
俺は、香ばしい魚の味を噛み締めながら、この上ないほどの、達成感と幸福感に浸っていた。