第6話 森の職人と、信頼の斧
森の、静寂に包まれた一角。
そこには、奇妙な三者面談の光景が広がっていた。
俺、相川健太、32歳。
そして、俺の足元で心配そうにこちらを見上げる、土の精霊コロポムと、肩の上で状況を窺うように光を揺らす、光の精霊キラミン。
対峙するのは、身長30cmほどの、木彫りの人形のような生物。ドングリの帽子をかぶった、小さな大工さんだ。
「モキュ……」
小さな大工さんは、俺が手に持っている真新しい斧を、羨望の眼差しで見つめている。
その瞳に宿っているのは、子供が新しいおもちゃを見るような、純粋な好奇心と、職人が優れた道具を見るような、プロフェッショナルな探究心だった。
敵意はない。それは、キラミンの落ち着いた光と、コロポムが威嚇をしていないことから明らかだった。
だが、どうする?
どうやって、コミュニケーションをとる?
言葉が通じる可能性は低いだろう。俺の『絶対友好』スキルが、この『カチカチ』してそうな相手に通用するかも分からない。
俺は、サラリーマン時代に叩き込まれた、ある交渉の鉄則を思い出していた。
『初対面の相手には、まず、こちらの価値と誠意を示せ』
今の俺が、この小さな職人に対して示せる、最大の価値と誠意とは何か。
それは、間違いなく、この手にある斧だ。
コーホクの通販サイトで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った、プロ仕様のハンドアックス。鍛え上げられた鋼の刃と、手に吸い付くような白樺の柄を持つ、俺の最高の商売道具だ。
これを、差し出す?
いや、もし持ち逃げでもされたら……ログハウス計画は、その瞬間に頓挫する。
リスクは、高い。
だが、リターンは、それ以上に、計り知れないほど大きいかもしれない。
この小さな職人が、もし、仲間になってくれたなら……。
俺は、意を決した。
賭けだ。だが、やる価値は、ある。
俺は、ゆっくりと、本当にゆっくりと、相手を刺激しないように腰をかがめた。
そして、自分の商売道具であり、このログハウス計画の要でもある、コーホク製の高級斧を、そっと、俺と彼との間の、苔むした地面の上に置いた。
これは、俺からのメッセージだ。
「敵意はない」「この道具に興味があるんだろう?」「俺は、お前の価値を理解している」「力を貸してくれないか?」
そんな想いを、この一つの行動に、全て込める。
小さな大工さんは、俺の行動に、一瞬だけビクリと体を震わせた。
だが、俺が数歩、後ろに下がって、両手を広げて敵意のないことを示すと、おそるおそる、といった様子で、地面に置かれた斧へと近づいてきた。
小さな手が、斧の、磨き上げられた金属部分に触れる。
まるで、稀代の名器を鑑定する、熟練の目利きのように。
彼は、刃先を、指先で、つん、と突いた。
そして、柄の部分の木目を、確かめるように撫でる。
その仕草は、驚くほど、真剣そのものだった。
その瞬間。
彼の琥珀色の瞳が、カッ、と見開かれるのが分かった。
まるで、最高の芸術品に出会ったかのような、感動と、畏敬の念。
彼は、斧から一度も目を離さずに、俺の顔を、じっと見上げた。
その瞳が、問いかけているようだった。
『これを、俺に、使わせてくれるのか?』と。
俺は、黙って、こくりと頷いた。
言葉はいらない。信頼を示すには、行動だけで十分だ。
次の瞬間、小さな大工さんは、まるで宝物を扱うかのように、その小さな体で、よっこいしょ、と斧を持ち上げた。
重いだろうに、その足取りは、驚くほどしっかりしている。
そして、近くに転がっていた、嵐で折れた丸太へと向かうと、斧を、高々と振り上げた。
その構えには、一切の無駄がない。
トォンッ!!
軽やかで、それでいて、重く澄んだ音が、森に響き渡る。
俺が全力で振り下ろした時の、力任せの鈍い音とは、全く違う。
重心移動、遠心力、刃の角度。その全てが、完璧に計算された、洗練された一撃だ。
チップ状になった木片が、美しく宙を舞う。
さらに、トォン、トォン、とリズミカルに斧が振り下ろされるたびに、丸太は、まるでバターのように、いとも簡単に、正確なサイズへと断ち切られていった。
「…………すげぇ」
思わず、声が漏れた。
俺が30分かけて、ようやく1本切り倒すのがやっとだったのに。
この小さな大工さんは、ほんの数分で、太い丸太を、使いやすい薪のサイズへと変えてしまった。
とんでもない、技術力だ。
これが、本物の職人の仕事か。
作業を終えた小さな大工さんは、満足げに「モキュ!」と一声鳴くと、斧を丁寧に地面に置き、俺に向かって、ぺこり、と頭を下げた。
その時だった。
俺の脳内に、コロポムやキラミンと出会った時とは、また違う、新しい感覚が流れ込んできた。
それは、無邪気な親愛や、助けられたことへの感謝じゃない。
優れた道具を提供した「依頼主」と、最高の技術でそれに応える「職人」との間に結ばれた、硬質で、一点の曇りもない、プロフェッショナルな『信頼』の感覚だった。
『モックル』
脳内に、彼の名前が、自然と浮かび上がった。
この、森の小さな大工さんの名前だ。
こうして、俺のログハウス建築計画に、モックルという、これ以上ないほど頼もしい、3人目の仲間が加わった。
彼の驚異的な建築技術と、俺の持つ『等価交換』スキル。
この二つが合わされば、俺の夢のログハウスは、もはや夢物語ではなく、確実に手が届く「現実」へと変わる。
俺は、高鳴る胸を抑えながら、新しい仲間たちと共に、希望に満ちた拠点へと、足を踏み出した。
拠点に戻るなり、モックルは、俺が作りかけだった作業台や、タープの骨組みを、厳しい目でチェックし始めた。
そして、気に入らない箇所を見つけると、「モキュ!モキュ!(なってない!なってない!)」とでも言うように、俺に向かって抗議の声を上げる。
その姿は、まるで現場監督のようだ。
だが、不思議と、嫌な気はしなかった。
むしろ、頼もしくて、そして、少しだけ、可笑しかった。
俺たちのチームに、最高の「現場監督」が、ジョインした。
俺の、理想の週末は、ますます、賑やかで、楽しくなりそうだ。
俺は、空を見上げて、晴れやかな気持ちで、笑った。