第3話 黒字化計画と、汗と、土と
たった1個の芋が、1850円。
その衝撃的な事実を胸に、俺は改めて、自分が手にしたスキルのとんでもなさを噛み締めていた。
『等価交換』。
これは、ただ便利なだけのスキルじゃない。
俺の才覚次第で、無限の富を生み出す可能性を秘めた、超弩級のビジネスツールだ。
「よし……やるか!」
俺は、俄然、やる気が湧いてきた。
スローライフ、大いに結構。だが、先立つものがなければ、そのスローライフさえ維持できない。
まずは、この異世界での生活を、赤字から黒字へと転換させる。
それが、今の俺の最優先目標だ。
幸い、俺の目の前には、最高のビジネスパートナーがいる。
「ポム?」
俺の気合の入った声に、コロポムが不思議そうに首を傾げた。
「お前の手伝いが必要なんだ、コロポム。俺たちの未来のために、一肌脱いでくれ!」
「ポミュ!」
分かっているのかいないのか、コロポムは元気よく返事をした。
俺たちの当面の事業計画は、シンプルだ。
あの『名もなき滋養の芋』を、可能な限り多く栽培し、安定した収入源を確保する。
そのためには、まず、しっかりとした畑が必要不可欠だ。
俺は、先週『コーホク』から届いたばかりの、新品のクワとシャベルを手に取った。
ずしりと重い。だが、その重さが、今は心地よかった。
これは、未来への投資だ。俺の人生を懸けた、新規事業への設備投資なのだ。
俺は再びタブレットを取り出し、YouTubeを開く。
昨日まで見ていた「週末農家のげん爺」チャンネルを、今度は、ビジネス書を読むような真剣さで見つめた。
土作り、水はけ、日当たり、連作障害。
知らなかった専門用語が、どんどん頭にインプットされていく。
学生時代、あんなに苦手だった勉強が、今は楽しくて仕方ない。目的が明確だと、人間の吸収力はこうも違うものか。
「よし、理論は覚えた。あとは、実践あるのみだ!」
俺は、湖のそばの、日当たりの良い開けた場所へと向かった。
まずは、硬い地面を耕すところからだ。
俺は学んだ通り、腰を落とし、体全体を使ってクワを振り下ろす。
ザクッ!
「ぐっ……!」
確かな手応え。だが、やはり硬い。
数回繰り返しただけで、腕が痺れ、息が上がってくる。
情けないが、これが、何年もデスクワークしかしてこなかった、なまりきった32歳男性のリアルだ。
俺が汗だくで悪戦苦闘していると、コロポムが足元にやってきて、「任せろ!」と言わんばかりに、ぽすんと地面に飛び込んだ。
すると、どうだ。
俺が苦労していた硬い粘土質の土が、まるで魔法のように、ふかふかの、栄養満点な黒土へと変わっていくではないか!
「コロポム……お前、やっぱり神だよ!」
「ポム!」
得意げに胸を張るコロポム。
こいつの土壌改良能力は、この事業の生命線だ。最高の相棒であり、最高のビジネスパートナーである。
それからの作業は、驚くほど捗った。
俺がクワで大雑把に硬い土を掘り起こし、コロポムがそれを柔らかな土に変えていく。
俺は、ひたすら体を動かした。汗が、滝のように流れる。
だが、その汗は、会社でかく冷や汗や脂汗とは、全く違う。
自分の力で、自分の未来を切り拓いている。
その充実感が、辛さを忘れさせてくれた。
半日後。
俺たちの目の前には、昨日までの倍の広さを誇る、立派な畝が何列も並んでいた。
小さな、本当に小さな、だけど、俺たちの「事業の土台」の完成だ。
「できた……! やったぞ、コロポム!」
「ポミュ〜!」
俺とコロポムは、顔を見合わせて喜び合った。
土と汗にまみれた体は、心地よい疲労感に包まれている。これこそが、俺が心の底から求めていた「生きている実感」だった。
俺たちは、コロポムが見つけてくれた『名もなき滋養の芋』を、丁寧に畑に植えていく。
これが、俺たちの最初の「商品」だ。大きく、美味しく育てよ。
作業を終え、一息ついていると、
ふと、コロポムが、畑の隅の方で、また地面をカリカリと引っ掻いているのに気づく。
芋を探しているのかと思ったが、様子が違う。
今度は、さっきまでの黒土とは違う、しっとりとした、きめ細やかな灰色の粘土を掘り出していた。
「粘土か……。これで、何か器でも作れたら便利だよな」
そう思った、その時。
俺のビジネス脳が、ピコン!と閃いた。
待てよ。この、人の手が一切入っていない、異世界のピュアな天然粘土。
これ自体、もしかして「売れる」んじゃないか?
日本の陶芸家とか、高く買ってくれたりしないだろうか?
俺は、泥だらけの手で、その粘土をひと塊、すくい取った。
そして、スキルを発動する。
「売却」――鑑定!
『アイテム名:森の恵みの粘土(1kg)』
『査定額:850円』
「……マジか!」
値段は、芋ほどじゃない。
だが、ほぼ無限に手に入る「土」が、金になる。
これは、デカい。
芋の栽培が軌道に乗るまでの、貴重な収入源になるぞ。
俺の異世界ビジネスに、早くも2つ目の商品ラインナップが加わった瞬間だった。
俺は、自分の才覚を、少しだけ誇らしく思った。
いや、違うな。
これも全部、コロポムのおかげだ。
「ありがとうな、コロポム。お前は、最高の営業部長だよ」
「ポム?」
きょとんとする相棒の頭を、俺は優しく撫でた。
この世界での俺の事業は、まだ、始まったばかりだ。