第10話 遺跡調査と、世界を示す地図
俺は、東京都大田区の安アパートで、コンビニの弁当を無心で胃にかき込んでいた。
会社のモニターと一日中にらめっこし、疲れ切った体。味なんて、よく分からない。
だが、俺の意識は、この窮屈な6畳1間の部屋にはなかった。
それは、遥か遠く、ドアの向こう側の、あの苔むした石の遺跡へと飛んでいた。
月曜の朝、現実世界に強制送還されてから、ずっと、あの遺跡のことが頭から離れない。
会議中も、営業先への移動中も、俺の脳裏には、蔦に覆われた巨大な門や、意味の分からない文様が刻まれた壁が、こびりついて離れなかった。
あの遺跡は、一体、何なのか。
誰が、いつ、何のために作ったのか。
そして、なぜ、滅びたのか。
週末までの、あと2日間が、永遠のように長い。
いてもたってもいられなくなった俺は、仕事帰りに、神保町の巨大な書店へと足を運んだ。
考古学の入門書、古代文明の謎に迫るドキュメンタリー本、測量技術の専門書。
気がつけば、俺は、今まで全く興味のなかった分野の本を、何冊も買い漁っていた。
さらに、コーホクの通販サイトで、遺跡調査に必要そうな道具も、次々と注文する。
より強力なLEDヘッドライト、何十メートルもある丈夫なロープ、岩登り用のハーネス、そして、繊細な遺物から、優しく土を払うための、刷毛のセット。
もはや、気分は、インディ・ジョーンズだ。
俺の、のんびり週末スローライフ計画は、いつの間にか、壮大な古代文明ミステリー調査計画へと、変貌を遂げていた。
そして、待ちに待った金曜の夜。
俺は、新しく買い揃えた「考古学キット」を、巨大なバックパックに詰め込み、仲間たちが待つ我が家へと帰還した。
「みんな、集まってくれ! 今週は、ビッグプロジェクトだ!」
ログハウスの中心で、俺は、仲間たちを前に、高らかに宣言した。
「今日は、俺たちは、建築チームじゃない。『探検隊』だ! この島の、最大の謎を、解き明かしに行くぞ!」
俺の熱意が伝わったのか、仲間たちは、それぞれのやり方で、応えてくれた。
俺は、彼らに、今回の探検における「役割」を、真剣に説明した。
「キラミンは、先行偵察および、暗所での照明担当。安全を確保する、最重要ポジションだ」
「キュイ!」
「コロポムは、地面のスペシャリストとして、地面の崩落や、落とし穴の危険がないか、常にチェックしてくれ。俺たちの命は、君の足元にかかっている」
「ポム!」
「そして、モックル。君には、建築の専門家として、遺跡の構造や、使われている石材、建築技術について、意見を聞きたい。何か気づいたことがあったら、すぐに教えてくれ」
「モキュ!」
こうして、俺たち4人の、即席の「相川探検隊」は、一路、島の南部に広がる、謎の遺跡へと向かった。
遺跡の入り口に立つと、何度見ても、そのスケールに圧倒される。
苔むした巨大な門をくぐり、内部へと足を踏み入れる。
ひんやりとした、湿った空気が、肌を撫でた。
内部は、昼間だというのに薄暗く、キラミンの放つ光だけが、俺たちの進む道を、頼りなげに照らし出している。
俺たちは、モックルが「比較的、構造がしっかりしている」と判断した、中央の大きな通路を進んでいった。
壁には、例の、色褪せた壁画が、延々と続いている。
前回、遠目で見ただけの壁画を、俺は、ヘッドライトの光で、じっくりと観察した。
そこには、この島の、壮大な歴史物語が描かれていた。
最初のパネルには、巨大な船団が、嵐の海を乗り越え、この島にたどり着く様子が。
次のパネルには、人々が、森を切り拓き、街を築き上げていく様子が。興味深いことに、その中には、コロポムやモックルに似た、小さな精霊のような生物たちと、人々が、協力して作業している姿も描かれている。
どうやら、この島の人間と精霊は、古くから、共存関係にあったようだ。
そして、最後のパネル。
それは、大部分が崩落し、何が描かれているのか、判別が難しい。
だが、残された部分には、空を覆うほどの、巨大な「何か」の影と、それに立ち向かう、翼を持つ竜の姿が、微かに見て取れた。
この都の滅亡には、何か、大きな戦いが関係しているのかもしれない。
俺たちは、さらに奥へと進んだ。
やがて、ひときわ大きく、天井の高い、ドーム状の広間へとたどり着く。
おそらく、この遺跡の中心部。神殿か、あるいは、王宮のような場所だったのだろう。
その、広間の中心に。
それは、まるで、主の帰りを、何百年も、何千年も、待ち続けているかのように、静かに鎮座していた。
高さ2メートルほどの、黒曜石で作られたかのような、滑らかな石碑。
その表面には、今まで見てきた壁の文様とは、明らかに違う、より洗練され、整然とした、文字らしきものが、びっしりと刻まれている。
残念ながら、俺に、この文字を読むことはできない。
だが、重要なのは、そこじゃなかった。
石碑の上部。
そこには、この世界の地理を示すかのような、巨大な『地図』が、驚くほど精密に彫り込まれていたのだ。
「……地図……!」
俺は、その地図に、釘付けになった。
中央に、見慣れた形の島がある。間違いなく、今、俺たちがいる、この島だ。
だが、その周りには、今まで、水平線しか見えなかったはずの海に、いくつもの、大小さまざまな島々が描かれているじゃないか。
そして、いくつかの大きな島には、街や城を示すかのような、印までついている。
ご丁寧にも、島々の間には、点線で、船が通る「航路」らしきものまで、示されていた。
俺の島は、孤島じゃなかった。
広大な海に浮かぶ、巨大な諸島、その一部に過ぎなかったのだ。
そして、この地図が正しければ、そう遠くない場所に、今も、人が住む、文明社会が存在しているはずだ。
石碑の片隅に、俺たちの島の名前だろうか、『始まりの島』と、読めそうな文字が刻まれていた。
俺は、どうすべきなんだ?
このまま、この島で、誰にも知られず、ひっそりと、週末だけの楽園生活を謳歌し続けるのか?
それとも……。
勇気を出して、この地図を頼りに、外の世界へと、漕ぎ出してみるのか?
外の世界には、何があるんだろう。
どんな人々が、どんな暮らしをしているんだろう。
俺の持つ、日本の道具や知識は、そこで、どう評価されるんだろう。
そして、俺が売っている、この世界の産物の、本当の価値とは……?
俺は、石碑に刻まれた地図を、ただ、呆然と見つめていた。
ログハウスが完成し、楽園での生活が、ようやく軌道に乗り始めた、その矢先に。
俺の目の前には、あまりにも広大で、そして、あまりにも魅力的な、新しい「世界」への扉が、開かれようとしていた。
俺の週末スローライフは、大きな、大きな、岐路に立たされている。
その選択を、今、俺は、迫られていた。