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6-青い鳥たちのディスコミュニケーション

 俺がトイレからリビングへ戻ってくると、明らかに一色の様子がおかしくなっていた。目は虚ろで、話しかけても曖昧に返事を返すだけで、いつもより覇気がない。

 対応に困った俺はとりあえず自分の学校の課題に集中することで、場をごまかした。

 キリのいいところで手を止めて、外を見ると太陽がとっくに沈んでいた。俺は急いで帰り支度をして、意識的にいつも通りの声で一色に別れの挨拶を告げて、まるで逃げるように玄関に向かおうとした。

 だが玄関の方へと歩き出したタイミングで、俺を視界に入れているかすら怪しかった一色は、急に俺を呼び止めた。


「ごめん彼方、帰る前にちょっと話があるんだ」


 そう言って、テーブルを指でトントンと叩き、俺に席に座るように促す。その瞳があまりに暗く濁っていたから、俺はその黒さに沈むように椅子に座った。

 これから何が起こるのかはわからない。でも、よくないことが起きるということだけハッキリと理解できた。

 彼女は真っ直ぐに俺の目を見て話し始める。


「私にはね、不安がたくさんあるの」

「…不安?」

「うん。例えば自分は他人から見てどんな人間なのかとか、勉強を続けていて本当に学力は上がっているのかとか、将来の自分は社会に適合できるのかとか、まぁ大体そんな感じ。でも、そんなのはちっぽけな有象無象でしかなくて、私が心の底から気が狂いそうになるほど不安で不安でしょうがないことはたった一つだけなんだよ」

「その不安なことって?」

「…彼方に見捨てられるんじゃないかって」

「…」


 何も言葉がでない。

 なぜならその指摘は部分的に当たっているからだ。それを否定するようなことを言っても、必ずバレバレの嘘が混じってしまう。

 俺は彼女に、俺がいなくても一人で生きていけるようになってほしいと考えている。それは、解釈次第では「見捨てる」という言葉に当てはまるのかもしれない。

 どう発言すればいいか悩んでいると、先に一色が口を開く。


「私がイジメられてた頃ね、だーれも助けてくれなかった。助ける価値ないって思われてだんだろうね。私って変な人だし。そっから不登校になったんだけど、最初は不登校になるつもりなんてなくて少し休むだけのつもりだった。でも、休む度に学校に行きたくなくなって。今みたいになっちゃった。多分さ、どんどん駄目になっていく私を見てお父さんとお母さんも私のこと諦めたんだよね。諦めて放置した。私は皆から見捨てられたんだ。学校からも、親からも、一時期の彼方からも」


 心臓に五寸釘が打ち込まれたかのような衝撃を受ける。動揺は加速し、ますます喉が締め付けられるように言葉がでなくなる。

 彼女の口調には恨みとか悲しみは込められておらず、淡々と、台本を読み上げるように話す。

 その機械的な不気味さだけが、何も言えない俺に降りかかる。


「ねぇ、彼方はもう。私を捨てたりしないよね?」

「…」

「私を一人にしようとか、考えてないよね?」

「…」

「なんで…何も言わないの?」

「…何も言わず、俺の話を聞いて欲しい」

「うん。もちろん」


 それから、俺が一色の将来に抱いてる不安を話す。誤解されないように、なるべく慎重に。


 結局、今に至るまでに俺は彼女自身を成長させることはできていない気がする。

 だって、彼女の行動理由にはいつだって俺がいる。一色は自分自身のためだけの目標とか欲望を持たない。他人のために生きることを人生の一部にするのではなく、人生の全部にしているのだ。

 それはあまりに不安定で、不確定で、なにより不自由だ。広い世界を自分から狭くしている。彼女はまだ世界のたった一部しか見ていないのに、その可能性を俺が奪っていいはずがない。

 第一、俺は誰かの人生を預かれるほど強い心を持っていない。自分の人生が誰かの人生を直接動かすだなんて重荷でしかないのだ。


 だがしかし、俺の主張を彼女は気に入らないらしい。


「なにそれ、意味わかんないよ。世界を知らないとか関係ない。私が望んでることが私の全てなんだよ」

「冷静になれ。頭冷やして後からじっくり考えてくれ」

「私と一緒にいるだけのことがそんなに嫌なの?私のどこが嫌いなの?悪いとこ全部なおすから教えてよ」

「落ち着けっての」


 どうしてこうなった。

 マズイ。どこで間違えた。

 彼女がこうなることこそ、俺が最も危惧していたことではないのか。

 なのに、どうして。


 …いや待てよ。今すぐ一色の依存を解決する必要はないんじゃないか?

 よく考えれば、ここで無理に意見を突きつける方が危険な感じがする。ここは一旦、一色を受け入れるしかないのではないか?

 依存なんて、後から直せばいいだけだ。

 そう思考を切り替えて、今の彼女にかけるべき言葉を頭の中で組み立てる。


「決して、一色のことが嫌いになったわけじゃないよ。一色の可能性を潰したくないって思っただけなんだ。でも、考えすぎだったみたいだな」

「うん、そうだよ。いくらなんでも今の考えはお粗末すぎるよ」


 一色は呆れたようににこりと笑う。

 肯定する言葉を出した途端、先ほどまでより数段人間味が増したような気がした。

 一色はにこりとしたまま、再び口を開く。


「あっそうだ。突然だけど彼方って、付き合ってる人とかいる?」

「…いないけど?」

「そっか、ならよかった。じゃあ今後も絶対に彼女とかつくらない方がいいよ」

「え?」

「変なこと言ってるのは分かってる。でも彼方が誰かと付き合っても、彼方も相手も幸せになれないからね」


 まるで見てきたかのような断定口調で語る姿が物恐ろしい。

 昨日までの一色と眼の前の彼女は、本質的な何かが違う。その変化は、間違っても成長とは言えないものであろうことだけが明確だ。

 一色はごく自然に、世間話でもするかのように語り続ける。


「だって彼方、演技しちゃうもんね」

「………え?なんでそのこと…」

「あーやっぱり。今でも続けてるんだね」

「なんで知ってるんだ…?」

「そりゃ分かるよ。私のまえと、他の人のまえでの話し方全然違ったもん。他の人のまえだと彼方はいつも無理してるように見えたよ」

「えっ…」

「他の人から見てどうか知らないけど、まぁそれは置いといて、自分に嘘ついてて、かつそんな自分に嫌悪感を抱いてる彼方が恋愛なんてしたら、苦しむだけだからね。これは彼方のために言ってるんだよ」


 急激に一色のことが理解できなくなる。急にまくし立てられて、情報をまとめようとしても混乱する。演技?恋愛?なんでそんな話が出てくるんだ。


 一色の意図がわからない。どうして俺を恋愛から遠ざけようとするのだろうか。

 仮に俺のことを好きなだけなら、直接言えばいいだけなのに。こんなことを言えるのなら、恥ずかしがっているようにも思えない。

 違和感が俺を包む。とても歪んだ想いがそこにあることだけを第六感が教えてくれる。

 まるで、一色の言葉に縛られているような…


 なんだか寒気がする。嫌な考えが頭を過る。

 彼女はもしかして、俺を支配しようとしているのではないか?ただ依存してるだけじゃなくて、俺を精神的に拘束しようとしてるような印象すら感じる。

 さっきは一色を受け入れるしかないと判断したが、ひょっとしてそれは間違っていたのではないか?

 じゃあ、どうすればよかったんだ?突き放しても、説得を続けていても駄目だったに決まっている。どんな選択をしても詰んでいたではないか。


 そもそも俺は、一色をどうしたかったんだ?

 最初は友だちに戻りたいと思っていた。でも、それならとっくに叶っている。そして「友だちのため」という理由で色々と行動できるほど、俺は友情を知らないし、熱い男でもない。

 それじゃあ、彼女の体が欲しかったのか?いや、それも違う気がする。性行為のためだけにずっと一緒にいるほどの性欲は持っていない。

 何か、根本的なものを見落としている気がする。


 俺はどうして、一色を外に連れ出したいと考えたのか。

 友情でも体目的でもなく、もっと簡単なこと。ただ一色に対して持ったイメージがあるはずだ。

 それを言語化するならば……


 ………可哀想。


 あぁそうか…。

 そんなことだったのか。特別でもなんでもない普通の感情じゃないか。俺は一色のことを学校に行けてない可哀想なやつって思ってたんだ。何もおかしなことはない、ありがちな感想じゃないか。


 ありふれた、ただのクソみたいな同情心じゃないか。

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