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4-好きなように嫌われろ

 今日も俺は、学校帰りに一色の家に来ていた。

 一色が高校に行くと宣言してから、今のままの学力では不安だからということで、勉強を教えるようになったのだ。

 学校に通うのは来年からとはいえ、一色には二年半のブランクがある。このままだと赤点を連発してしまい、もう一年留年してしまうかもしれない。そう言う彼女の強い希望で時間さえ開けば、この家に来るようになっている。

 勉強をするのは決まってリビングで、一色の両親が仕事から帰ってくると、会うたびに熱量のある感謝の言葉を言われるため、少し気まずい。


 まぁ個人的には、勉強は通い始めてからでも間に合うとは思うのだが、一色は大学も俺と同じがいいのだと言って張り切っている。

 勉強を教えるという行為は、己の知識の再確認にもなるため、俺にとってもありがたいことだった。

 とはいえ、やはり勉強というのはしんどいもので。


「…ってことだから、公式さえ覚えればぐんと楽になるんだよ」

「………?」

「聞いてる?」

「あの、関数は飛ばしたいかなって…」

「え?」

「分からないことを延々やっても仕方ないよ」

「他の教科ならまだしも、数学は基礎ができてないとドミノ倒しみたいに何もわからなくなるぞ。マジで」


 テスト直前まで逃げた結果、赤点スレスレだった俺の言葉は重い。

 一色は全身で疲れたことをアピールするように細い腕を上へぐいーっと伸ばす。


「じゃあ、少し休憩させて。ちょっと疲れた」

「うーん、たしかにぶっ続けでやってたもんなぁ。一旦休むか」


 俺はシャーペンをテーブルに置き、流れるように自然とスマホを手にとって漫画アプリを開く。

 おっ、この作品更新されてるな、なんて思いながら画面を触っていると、ふと一色が不機嫌そうに「ねぇ」と声を出した。顔を上げるとジトッとした目がこちらを見てきていたが、特にその非難の目に心当たりがない俺は首を傾げた。


「なんですぐスマホ見るの?」

「え?…暇だから……?」

「それは一人でもできることじゃん。せっかく二人でいるのに、もったいない」

「えぇ…?」


 一色は時々、こういう面倒くさい彼女みたいなことを言う。

 不登校になる前は、あまりこういうことは言っていなかったと思うのだが、まぁ今まで人と関わらなかった反動だろう。一色の自己主張力の強化のためにも、できるだけ要求には応えるようにしている。


「ああー。じゃあ、これからの予定でも決めるか」

「いいね。それだったら、昨日トランプを部屋で見つけたから、勉強に区切りがついたらそれやろうよ」

「あぁ、それはするけど。今日のことだけじゃなく、もっと長期的な予定。どっか遊び行ったりしよう」

「このまま家で勉強するんじゃ駄目なの?」

「勉強ばかりじゃ、息が詰まるよ。もうすぐハロウィンだし、街に出かけるのとか楽しいと思うよ」

「人混みはちょっとなぁ…二人きりでいられる場所がいいな」

「あ~カラオケとか?」

「あれって陽キャの遊びでしょ?私にはハードル高いかなぁ…」

「別にそんなことないと思うけど…」


 カラオケが嫌なら、漫画喫茶とか?いや、それじゃあ今と変わらないか。他に二人きりでいられる場所なんて…思い浮かばないな。自分の遊び知識のなさが悔やまれる。

 もう一色の言う通り、家でゲームでもしとくのがいいのかもしれない。

 俺がうんうんと唸っていると、一色が不安そうに尋ねてくる


「…彼方ってさ、けっこう遊び行ったりするの?」

「ん~たまに」

「…誰かと一緒に?」

「あぁまぁ、うん」

「この前、友だちいないって言ってなかったっけ?」

「表面的な浅い関係の人しかいないよ。高校を卒業したらすぐになくなる程度の」

「…そう」


 一色はそれっきり、黙り込む。思案しているであろう顔には影が堕ちており、その表情は暗い。

 最近はそれなりに明るくなっていただけに、そのギャップが怖くなった。不吉な予感というか、胸騒ぎを感じるというか。

 俺は場の沈黙に耐えきれず、平静を装って言う。


「どうしたの?急に静かになって」

「ん?いや、どうでもいいことなんだけどね。彼方と私って、違う場所にいるんだなぁって」

「違う場所?」

「当たり前のことだけど、彼方には彼方の人生があって、私の知らない彼方もいるんだってことに、今さら気づいてね。学校での彼方は、私の知らない彼方は私以外の人とも過ごしていて、すごいなーって思うと同時に、ちょっと寂しいなって思ってさ…」

「…俺が一番自然でいられるのは、一色といる時だけだよ」

「うん、ありがと。でもそう言ってもらえるだけに、ちゃんと学校行ってればよかったなぁって思っちゃうんだ。あはは……なんか私、変なこと言っちゃってるね。」

「…」


 俺と一色の間には、もともと境界線があった。

 あえてその線を言語化するならば、外にいたか、いなかったか。その境界線は、俺が彼女のいる場所に行くことでなくなったかと勝手に思っていた。

 でもそうではなく、俺が移動した時に二人の間に境界線がなくなるだけで、また俺が外に行けば、再び境界線は現れる。

 この問題を解決するには、彼女が自分の足で移動できるようになるしかない。


 そのことを、どう伝えれば良いのだろう。下手に伝えれば、彼女は突き放されたと勘違いするかもしれない。

 俺は一色じゃない。だからどの程度、一色が自力で歩けるのかも分からない。もしも彼女が数年後まで自力で歩く力を持てなかったとしても、その隣に俺がいる保証はない。

 遠い地へ行くかもしれない。病気になるかもしれない。事故にあうかもしれない。挫折して壊れてしまうかもしれない。一人になりたくなるかもしれない。

 そのどれかが明日にでも起こるかもしれない。


 だから、彼女には一人でも生きていける強さを持ってほしいのだ。

 俺がそういう意味で彼女のためにできることは何なのか。その答えの一つを、俺は知っている。今まで自分の中で有耶無耶にしてきたけど、もうわかっている。

 彼女が自力で歩くためには、まず足についている重りを取らなくてはならない。

 今まで避けていた「不登校になった原因」を解決しなくてはならない。


「なぁ一色。話しづらかったら無理に話さなくていいんだけどさ」

「うん。なに?」

「そもそも、一色はどうして学校に行くのが嫌になったんだ?」

「それは…」


 できるだけプレッシャーを与えないよう、なるだけ優しい声で話す。

 でも、聞きたい情報はハッキリさせるために、質問の内容は直球で投げる。


「…大した話じゃないよ。中学に上がってから…彼方は別のクラスだったから知らないかもだけど、よく本を読んでたところを馬鹿にされたり、彼方しか友だちがいないのを笑われたり、そんな感じで毎日イジメられててね。人見知りで暗かったからかな…それでちょっとキツくなったんだよね」

「そうか。あーやっぱ、こういう話あんま聞かないほうがいいかな?」

「彼方ならいいよ。むしろ話せて少し楽かも」

「…うん。でもそれなら、環境が変わった高校にはなんで行かなかったんだ?」

「単純に不登校が体に染み付いたってのもあるんだけど、私と同じクラスに、その…いたんだよね」

「いたって、誰が?」

「…私をイジメてた人たちの中心が」

「なっ……」


 イジメというありがちな、どこにでもある、ありふれた胸糞の悪い話。不運にもそれは、彼女を逃がそうとはしなかったという。

 そりゃあせっかく合格したって、学校に行かないわけだ。またイジメられる可能性は高いだろうし、仮にそうならなかったとしても自分をイジメてた人間と一年間同じところで過ごしたくなんかないだろう。

 …というか、同じクラスにいるだと?一色のいる、俺のクラスに?

 一色をイジメて、かつ自分が一色の不登校の理由だと自覚しているであろうに、顔にも出すことなく気にせず高校に登校している奴が今日まで俺の近くにいた、というのか。


「そいつの名前ってわかるか?」

「あぁうん。早く忘れたいんだけどね。その人の名前は―――」



 ガラガラガラ


「ん、明日か。おはよう!」

「…おはよう」


 他の挨拶にも返事をしつつ、俺はカバンも机に置かないまま、教室の端にあるソイツの席へと直進する。頭の中にしっかりと焼き付けたその名前の持ち主のもとへ。

 いつもより笑顔がない俺を見て、不審そうにしている生徒もいるが、さして気にもとめずに呼吸を整える。

 ソイツは近づいてきた俺に気づくと、クラスメイトとの会話を中断し、他の生徒同様にいつも通りの挨拶をしてくる。


「あーおはよう。明日くん」

「おはよう…ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「うん?私?今から?」

「あぁ。…すぐに済むことだから」

「いいよ~。何を聞きたいのかな?」


 ソイツは俺のクラスの中で目立つ方で、人を統率したりはしないが、発言力はある。そんな感じの女だった。交友関係も広くて、俺と話す機会もよくある。

 そして、一色をイジメていた主犯格でもある。

 俺は怒りで声が震えないように、できるだけ冷静に話す。


「…一色彩葉ってわかるか?ちょうど今、君が座ってる席の子なんだけど」

「ふふっ、なんで君呼び?あー、ずっと学校来てないよね。それで?」

「いや、なんか急に中学のこと思い出してね。君はたしか、一色と同じクラスだったよね。どんな子だったっけ?」

「んー?なんか変な子だったよね。っていうか、明日くんの方が仲良くなかったっけ?」

「今は君の話を聞いてるんだよ。ところで、君が一色をイジメてたって話を聞いたんだけど、それって本当?」

「いやいや、そんなことしてないよ。全然関わりなかったし。誰から聞いたのそんな話」

「いや、実は俺もそれっぽいを何回も見たなっての思い出してさ。関わりがないなら、あれって何だったの?」

「あれは、さ。イジメじゃなくてイジってただけだよ」

「それは…どう違うんだ?」

「ちょっと遊んでただけだよ。ふふっ、あの子反応が面白くてさ」

「なに笑ってんだよ」

「…え?」


 自分の言葉が、朝の教室の雰囲気に亀裂を入れたのがわかった。

 感情を抑えていたダムが決壊して、もう止まらなくなってるのがわかった。

 今すぐ止めないと、恐らくもう後戻りはできなくなるだろう。今までつけていた自分の偽物の仮面は意味をなさなくなるだろうし、不気味がられるかもしれない。

 でも、それでいいんじゃないかと思う。今の気持ちを抱えたままにすることはできない。

 振った炭酸のペットボトルを開けるような勢いで俺は――

 叫んだ。


「なに笑ってんだよっ!!ふざけんじゃねえっ!!!」

「え、ちょ、なに」

「なんでそんな平気でいられんだよ…!お前の遊びとやらで、アイツの二年半ぶっ壊れたんだぞ。人の心とかねぇのかぁ!!人の人生を玩具にするなっ!無責任なことしてんじゃねー!!」

「おい、ちょっと大丈夫かよ明日。落ち着けって」

「あぁ!?」


 そっと、俺の右肩が後ろから掴まれた。

 振り向けば、掴んだのはクラスの委員長で、困惑した顔つきながらも落ち着いて俺を諭す。


「皆びっくりしてる。事情はわからないけど、少し頭冷やそうぜ、な」


 クラスを軽く見回す。

 呆然としている者。怖がっている者。反応は人それぞれだが、全員に共通しているのは奇怪なものを見る目つき。

 教室がシンとしているのは、怒声が他の声を食い尽くしたせいだろう。自分でもこんな声が出せたのかと思うほどの声量。それが普段はニコニコしてるやつから出たのだから、こんな異様な空気にもなるか。

 さっきまでの感情の乱れは何だったんだというほど、頭の中が澄んでいる。そして、じわじわと後悔がやってくる。


「…ごめん。………いや、なんかこう、急に叫びたくなるお年頃ってかさ。あははっ、冗談だよ冗談。思ってたよりウケなかったなぁー。ははははっ」


 俺の中の偽物が、勝手に取り繕おうとしているが、誰一人として笑ってはいない。

 むしろ、皆の目つきはより酷くなったし、気持ち悪いと思ってることがダイレクトに伝わってくる目線を向けてくる者もいる。

 あー、やばいなこれ。

 この目線が地獄なのはもちろん。後ろを見ることができない。

 さっき怒声を浴びせたソイツがどんな表情をしていようと、俺は多分また怒る。自分を制御できず、暴走してしまう。この後どう行動したって詰んでいる。

 ここはもう、逃げるしかない。


「ごめん委員長。俺、早退したって先生に伝えといて」

「…うん。わかった」

「ありがとね。今度アイス奢るよ」

「じゃあ白熊アイスで」

「ははっ無理。高えよ」


 冷たい空気の中で唯一冗談を交わしてくれる委員長に感謝しつつ、不快感の伴う視線から逃れるように俺は教室から出ていった。


 いろいろセリフとか考えてたのに、全部無駄にしてしまった。まさか、自分があそこまで冷静でいられなくなるとは思っていなかったのだ。自分が自分でなくなったようだ。

 もう少し上手くやるつもりだった。一色に謝らせるとか、もうイジメをしないと誓わせるだとか。

そういうことをしたかったのに、あれじゃあ何も解決できやしない。

 大失敗だ。


 でも落胆する裏で、どこか妙にスッキリしていた。それは単に大声を出したからではないと思う。

さっきは久しぶりに、すごく久しぶりに大勢の人前で本当の自分であれた。

 成長できた気がして、それが少しだけ嬉しかったのかもしれない。


 一色にも言った通り、どうせ彼らとは卒業したら会わなくなる。今いる環境が全てではないし、辛くなったら逃げればいい。だったら今日ほどじゃなくても、もう少しくらい正直になってもいいのかもしれない。

 嫌われてもいい。自分が一緒にいたい相手にさえ嫌われなければ、それでいい。

 吹っ切れたようにそう思いながら、俺はまだ寝ているであろう一色に会いに行くことにした。

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