3-夢も歪めば延長戦
最近の俺の生活には変化がある。
それは、実は大した変化ではないのかもしれないし、もしかしたら、すぐに失くなってしまうものなのかもしれない。でも、その変化は確実に灰色がかっていた俺の世界に色をつけた。まだその色が何色なのかは分からない。ただ、目もくらむほど綺麗な色だったらいいな、と思う。
変化というのは、言うまでもなく一色との関係性の変化だ。
今まで風化していた彼女との繋がりは、ここ数日で急激に近づいた。何回か近況とかの話でLINEをして、友だちと言える関係性になった、と思う。そうであってほしい。
少なくとも、一色からの俺に対する警戒心はだいぶ解けたはずだ。
電話でも落ち着いて話すようになったし、自分のハマっているゲームの話などもしてくれるようになった。
そしてなにより今、一色の家にいることが証拠だろう。
「えと、お茶いる…?」
「あぁいいよ。喉乾いてないから」
「そ、そっか」
一色は指をいじったり、目をヨロヨロと泳がせたり、やたらとソワソワしている。
俺も来る前はそこそこ緊張していたのだが、この一色を見ていたら逆に落ち着いた。お化け屋敷で怖がっている人を見ることで、却って怖くなくなるような感じだ。
そういえば、こうして面と向かってちゃんと話すのは、中学以来か。…プリントを持って家に来たときは、すぐに逃げられたしな。それを思えば、本当によくここまで持ち直したものだと思う。
だが、彼女の心境も考えずに何かを強要することには、重々気をつけていきたい。
仲良くなったからと言って、一色の道を決める選択権は俺にはない。また前みたいに学校に行かせようだなんて行動は、彼女を追い詰めるだけだ。
それに、あれから俺なりに色々考えて、考え方も少し変わった。一色の家に来たのも、それを話したいと思ったからだ。
昔と変わらぬ…と言うには無理があるが、それでも無性に懐かしくなる場所。外に出ることを嫌がる一色と正面から話せる場所はここしかない。
リビングの床に荷物を置いてから中央にある食卓の適当な椅子に座り、一色にも対面に座ってもらう。
さて、まず何から話そうか…
「今さらなんだけどさ、俺が家にいるのって嫌だったりするかな?」
「えっ、あいや全然。ただ、なんか緊張してるだけだよ。家に来て何を…その、するのか聞いてないし…」
「あぁ、そうだな。今日はさ、これからのことを話し合いに来たんだ。重くなりすぎない程度に、軽くね」
そう言うと、さっきまで強張っていた一色の体が、幾分か柔らかくなった気がした。
「そ…っか、そうなんだね。これからっていうのは、やっぱり学校のこと?」
「それよりも前にまず、一色がどうしたいのかを聞きたいな。なにも、学校に行くだけが若者の全てじゃないからな」
「私が、どうしたいか…か。…なんかよく分からない。自分が何をしたいのかが分からない」
「そうなのか。なら、今は何をしたいか探す時間にしよう。学校なんて忘れてさ」
「えっ?…あっと、私が言うことじゃないけど、彼方はそれでいいの?てっきり、私を学校に行かせようとしてるのかと思ってたんだけど」
「前はそうだったけど、よく考えたら行きたくもないのに学校に行くなんて、何の意味もないなって思ったんだよ」
「…でも、それじゃ社会で生きていけないんじゃ…」
「今の時代、高校を出てなくても仕事持ってる人はいくらでもいるし、気難しく考えなくても意外と生きてりゃなんとかなるって。それに…」
「それに?」
「言いづらいんだけど、今から学校に通ったって、どうあがいても単位足りてなくて留年確定してると思うんだよね…」
「あ~…」
今の日付は十月七日土曜日。
今から毎日学校に通っても、出席日数が圧倒的に足りない。ならば、一色が無理に学校に通う必要はまったくないのだ。
進級したかったとしても、ないものはないのだから仕方がない。仕方がないなりに、留年やら中退やら転校やらをしなくちゃいけない。
「今から四月までの約半年間、その間にどうしたいかを一緒に考えよう」
「うん。そう…だね……。頑張って考えるよ」
「半年もあるんだから頑張らなくてもいい。ゆっくりすればいいよ」
「私は二年半という時間で何もできなかった」
「…」
「高校に進学さえすれば、彼方と同じ高校だったらって思ってたんだけど、駄目だったよ」
「一色…」
「だからせめて、この半年くらいは頑張ってみたい。彼方がいてくれるから」
一色はそう言って不器用に笑う。その笑顔を見るのが、なんだか恥ずかしくて目をつむる。気分が高鳴る。一色が笑ってくれた、それだけのことがやたら嬉しい。
「そっか、じゃあゆっくり頑張ろう。と言っても、考えるってことしかやることはないから、基本的には自由気ままに過ごそうか」
「自由気ままって、何すればいいの?」
何かをすることを考えないことを自由気ままと呼ぶのだが、まぁ今までと同じで家にいるだけっていうのも、逆に焦るか。
何か…。楽にできて、一色の日常に刺激を与えるような…。
あっ、そうだ。
「例えば、散歩とかどうだ?」
「散歩かぁ…、私一人じゃちょっと…」
「あぁうん。もちろんついてくよ。なんなら、今から行く?」
「う~~~ん。うん、行ってみよう」
発言した後になって外に出るのはハードルが高いかと思ったが、一色がOKしてくれたのでよかった。ただ、彼女の白すぎる肌が急に日光にさらされるのは危険なんじゃないかと思い、カバンの底に眠ってた日焼け止めを貸した。
それから、なんだかんだで一色の心の準備に三十分の時間がかかり、俺たちは夕焼けに照らされながら家を出た。
・
「どうだ?苦しくはないか?」
「うん、大丈夫だよ。ただ、苦しくはないんだけど、この時期ってこんなに暖かったっけ?」
「あ~地球温暖化だな」
「え、こんなに変わるものなんだ。知らなかった…」
最近の気候は異常だ。夏休みが終わってもしばらくは半袖だったし。
暑いのが嫌いってわけじゃないけど、それが長すぎると流石にげんなりする。温暖化なんて俺一人にどうこうできるものじゃないし、今はせめて、この暑さが一色の気力を奪わないことを祈るしかない。
「あと、思ってたより太陽がキツい。吸血鬼になった気分…」
「慣れるしかな…いや、慣れてもキツいな…」
とりとめのない会話をしながら、とりあえず近所の公園を目指して歩く。
最初のうちは、一色は落ち着かない様子だったが、引きこもる前は歩いていた道だ。すぐに慣れて、久しぶりに見る景色をあっちへこっちへと見回している。
そんな一色を見るのが楽しくて、「あそこにコンビニができた」とか「そこの自販機の新しく出たジュースが美味しい」だとか、近所のことで知ってる全ての近況を話して聞かせた。
ほんの少しだけ変わった町並みに思いを馳せるように、彼女は呟いた。
「なんか不思議だね」
「何が?」
「私が止まってても、世界は構わずに進み続けていて、置いてかれてる気分っていうか。私の時間は止まってるのに、そんなこと世界には全然何も関係なくて」
「一色」
「なんというか、この世界に私はいら…」
「ほら見ろよ一色!よくあのベンチでゲームしてたよな!」
その先の言葉を言わせてはいけないと思った俺は、見えてきた公園の思い出で強引に話を断ち切る。
彼女は徐々に眠った状態から立ち直ろうとしているが、まだその足取りは不安定にふらふらとしている。足を崩して倒れないように、倒れて頭を打たないように支えるのは、彼女を立たせようとしている俺の役割であり責任だ。
慎重に、大切に支えなければ。
「あ、ほんとだ。懐かしいね。大体は私が勝ってたっけ」
「あんなに伝説と幻を持ってたのはお前だけだったよ。しかも容赦ねぇし」
「今やったら、また違う結果になるかもね」
「あぁ、今度やる?俺ゲーム機持ってないけど」
「私の貸すよ。あ、でも二人以上でできるゲームないや…」
引きこもるとか以前に、お互いに成長するにつれて一緒に遊ぶことは自然と少なくなっていき、中学に上がる頃にはなくなっていた。
そう考えると、成長した上で一緒に何かをしようかと提案できる今の時間はなかなか貴重なのかもしれない。
未来の道を決めるまであと半年、半年か。
何をするにも課題があって、それをどうにかしないことには前には進めない。
だけど、今は。
今だけは少し立ち止まって、この景色を楽しむのもいいんじゃないかと思えた。
「わーあの頃のまんまだね。この木」
「だな」
公園に入り、中央に生えてる大木の前で立ち止まる。
そよ風が木の葉を揺らす音が心地良い。一色もその音に耳を傾けているのか、しばし二人の間に無言が生まれる。無言になっても気まずさはなく、リラックスした空気が辺りを包んだ。
一色はその空気に溶け込むような静かな声を出す。
「私さ…」
「ん?」
「今の高校に入学したのって、こういう時間を過ごしたかったからなんだよね」
「こういう時間?」
「うん。正直、学歴とかどうでもよかった。彼方と一緒に登校したり、彼方とお昼ご飯を食べたり、彼方と帰りに寄り道したり、そういうことをしたかったんだ」
「…そうか」
一色の話には、いつだって一色と俺の名前しかでてこない。不登校になる前から、ずっと。
それに、俺以外の人と話しているところを見ることが異様に少なかった。事務連絡なども含めて月に数回あるかないか。
それが、人と話すことが怖いからという理由だけであることを願っている。
一色は俺以外に友だちをつくらないのではなく、つくれないだけであることを願っている。
もしも、つくらないことを一色が意識的に選んでいるのであれば、そこには恐らく俺が大きく関わってくるだろう。
そして、不登校になった理由が、彼女を追い込んだ原因が、人間関係にあったとしたら。
どうしようもないほど、俺のせいなんじゃないか。
…いや、それは自意識過剰か。
流石に考えすぎだな。
「それでさ、歩いてて思ったんだ」
「うん」
「来年こそ、そういうことしたいって」
「…!」
「留年して、また一からやり直したい」
その声には不安定ながらも熱があり、希望があった。
明確にこれがしたいのだという意志が灯っていた。
「だから、あと半年はその準備期間にするよ」
「そうか、そうするんだな。うん…!正直嬉しいよ。一色がいてくれれば、学校も灰色じゃなくなるしな」
「灰色?」
「あぁいや、こっちの話。…それじゃあ来年からよろしく、一色」
「うん。来年からよろしく、彼方先輩」
あと半年の時間があるというのに、早すぎる挨拶をしたことに二人して笑い、大木に身を預ける。
一色がどんな道を選ぼうと、応援する気ではいた。彼女自身が納得でき、かつ幸せになれそうだと思った道なら、それが一番大事なことだから。
その道と俺の理想が偶然重なったことは、勝手かもしれないけど素直に嬉しい。
ただ、何故か怖くもなる。
なんか順調すぎる。
彼女が俺にここまで心を開くのも、自分の目標を決めるのも、どちらも二ヶ月か三ヶ月くらいはかかるんじゃないかと思っていた。
それが、再会してから数日でここまで来た。
その順調さが、逆に怖い。
一色は今まで一色なりにもがいていたはずだし、一色の両親だって娘のためにできることをしていたはずだ。
それでも今までは変われなかったものが、数日前から急激に変わっている。
”俺が関わりだしてから、一色は変わりすぎている。”
…そう思ってしまうのは、やっぱり俺が自意識過剰だからかもしれない。
でもどうしても、さっきの考えに付随して、俺が一色の人生を歪めてしまっていたのではないかという考えが頭を過る。
そして、こうも考えてしまう。
このまま一色に干渉し続けると、一色は一人で生きていく力を失ってしまうのではないか、と。