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荒神~ARAGAMI~   作者: 弱キック
6/7

6話

ざっくり説明すると変身ヒーローものです。

デビルマンに割と影響受けてるけど、あんな壮大な世界や重厚なテーマではないです。

シリアス風味だけど軽い読み物なんで、もし目に留まったら読んでいただけると嬉しいです。

【八月二十日 午前十時 青山霊園】

 盆を過ぎて間もない八月、平日。早朝の散歩客も消えたこの時間、青山霊園は都内の一角とは思えない程ひっそりと、静かな佇まいを見せていた。セミの鳴き声もなく、季節の割には過ごしやすい。

 駐車場に車を止め、降車する三人。雅人と磐田と夏華である。この墓地には源二が眠っている。西原がここを指定してきた理由は不明だが、場所が場所だけに三人とも、それなりに小綺麗な恰好で臨むことにした。大した話でなければ後で源二の墓標を見舞い、それから先日やり損ねた会食にでも行きたいところだ。そんな楽観的な展開は恐らく期待できないだろうが。

 「磐田はともかく、夏華まで来る必要ないのに」

 「ここまで巻き込んどいて仲間外れはないっしょ」

 「自分から首を突っ込んだの間違いだろ」

 「まぁまぁ。男だけじゃムサ苦しいですし、こんなヤツでも一応は花ってことでひとつ」

 口では迷惑がましく言う雅人だったが、本音は夏華がいてくれて助かっていた。今回の件に西原が関わっている、彼が自分を殺そうとしている、そう考えると胸が苦しい。昨夜は連戦でかなり疲れたはずなのに、この件が気がかりでほとんど眠れなかった。夏華の能天気な話で気を紛らわせていないと、自分の意思に反して身体が動かなくなりそうだ。

 「さて、肝心の組長は………おっ、いやしたぜ。親っさんの墓に手を合わせてまさぁ」

 三人は足早に源二の墓前へと向かった。西原の方もその来訪に気付き、挨拶で迎えた。

 「おはようございます。わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます」

 いつも通りの丁寧な態度。組長になっても全く変わらない。

 「おはよう。早速で悪いけど、話を聞かせて」

 「ええ。立ち話で恐縮ですが、どうかご容赦ください」

 西原は護衛を付けていなかった。先日と違い、運転手すらもいない様子。昔からヤクザらしからぬ腰の低さが目につく男ではあったが、大組織の長という立場上、弾除けぐらいはそばに置いて然るべきなのに。

 「まずは皆さんが最も知りたがっていることから話しましょう。今回の騒動は、全て私が仕組みました」

 勿体つけるでも興奮するでもなく、まるで他人事のように西原は言った。

 雅人の頭に鈍器で強打されたような、芯まで響く重い衝撃が走った。昨夜から覚悟していた真実。されど直に本人の口から聞かされると、そんな覚悟など一瞬で明後日の方向に吹き飛んでしまった。

 「な……」

 ショックが大きすぎて思うように声が出せない。磐田親子も驚きで言葉を失っている。

 西原にとっては予想通りの反応だったのだろう。三人の様子を伺いつつも話を続けた。

 「なぜこんなことをしたのか、ですよね? 事の発端は……古いですが、孤児院の火事から親父に救われた一件です」

 その表情は暗く、口調も淡々としたもの。決して悪企みを暴露する時のしたり顔ではなかった。

 西原孝弘は捨て子だった。三歳ぐらいの頃、孤児院の前に置き去りにされた。その前から父親はおらず、母親も朝から夕方にかけて寝姿を見かけた程度。恐らく水商売をしていたのだろうが、ほとんど構ってもらった記憶がなく、もはや顔すらも覚えていない。一言で言えば育児放棄の末に捨てられたのだ。

 名前は母親から『たかひろ』と呼ばれていたからで、正しい漢字も苗字も不明(現在の氏名は里親からもらったもの)。幼いながらも捨てられたことを理解しており、他人への不信感から孤児院では誰とも打ち解けず、常に死んだ目をしていた。

 孤児院暮らし二年目の秋、院内で火災が発生。周囲との接触を避けていた西原は逃げ遅れ、火の海に呑み込まれる事態に。そこへ颯爽と現れたのは、鬼に変解した源二だった。

 「火事の原因は覚えていません。ですが炎を掻い潜って現れ、私を抱え上げてくれた親父の逞しい腕の感触だけは、二十年以上経ったいまでも身体に残っています」

 話しながら西原は、視線を目の前の三人から源二の墓標へと移した。どことなく遠い目。事件当時を懐かしんでいるのだろう。

 「捨て子の私が死んだところで誰も悲しみません。それなのに親父は命がけで現場に飛び込み、私の無事を喜んでくれました。こんなに嬉しいことが他にありますか?」

 両親ともに健在の夏華。これまで家族同然の組員が常にそばにいた雅人。二人からすれば西原の境遇は、あまりにも自分と違いすぎた。そもそも自分の死や悲しむ者について深く考えたことすらなかった。だからいま言葉を返したところで上っ面な慰めしか言えそうになく、黙って話の続きを待つことにした。

 「私にとって親父は唯一無二のヒーローでした。この人ならいつ、いかなる時でも私を守ってくれると。それで無理を言って組に置いてもらい、西原家の養子になったんです」

 このくだりは雅人の新居を決める時にも聞いた。周囲の反対を押し切ってまで組に入ったという。

 「そして若は親父の後を継ぐべきお方でした。ところがあなたはそれを拒んだ。大きな素質を秘めながら、凡人の道を選んだ。私はショックで頭がおかしくなりそうでしたよ」

 病院からの帰り道、車の中で話した内容だ。源二の血がどうとか。雅人はいまになってようやく、あの時西原が激昂した理由を理解した。

 「当時は鬼のことなんて知らなかったんだ。だけどもし知っていたとしても、結果は同じだったよ」

 腕っぷしが現代社会でどれほど役に立つというのか。せいぜい組同士の抗争でもあれば使える程度。それも変解しても世間から騒がれないという前提があってのことである。

 「こんな力、いまの世の中には必要のないものだ」

 「世間は関係ありません。憧れのヒーローが私のそばにいる、それが重要なんです」

 雅人は言葉を交わしながら困惑していた。西原の意外な一面。ヒーロー依存症とでもいうのだろうか。

 「ならどうして僕を殺そうとしたんだ?」

 せめて抱えていた想いをもっと早く伝えてくれれば。仮に鬼の素質がなかったとしても、何かしら力になれることがあったはず。

 雅人は西原に命を狙われてなお、彼を恨む気持ちにはなれなかった。なにせ生まれてからずっと面倒を見てくれた恩人であり、実の兄も同然だったのだ。嘘でも『冗談でした』と言ってくれれば、いままでのことを全て水に流したいとすら思った。しかしそんな願いは西原に全く伝わらなかった。

 「重要な話はここからです。忘れもしません、あれは親父が亡くなった日の夜でした……」

 源二の通夜は死亡した翌日の夜に行われた。それまで遺体は斎場の霊安室に置かれたわけだが、西原は人払いをして、誰の入室も許さなかった。無粋な輩に遺体を汚されたくないとか、跡を継ぐ者として先代と二人きりで向かい合いたいとか、最初はそういった理由だった。例外として雅人の入室は認めるつもりだったが、この時の彼は父親の死に己を見失い、自室に引きこもっていた。

 正確な時間は覚えていない。恐らく日付が替わる前だったと思われる。西原は盃に日本酒を注いだ。それから懐に忍ばせていたドスを抜き、源二の指先に小さな傷をつけ、流れ出た血を盃に。義兄弟の契りというわけではないが、新組長就任式とはまた別の、あくまで個人的な儀式のつもりだった。源二の血を体内に取り込むことで、組長としての意思を引き継ごうと考えたのだ。またそれは同時に、心の支えとの決別という意味合いもあった。幼い頃に出会ったヒーローはもういない、これからは自分が組員たちを支えていかねばならぬのだと。

 盃を空にした数秒後、異変は突如起こった。身体が熱い。全身の血が沸騰し、血管や内臓が焼けただれてしまいそうな感覚だった。それから肉と骨が痛痒い。手も足も腹も心臓さながらにバクバクと脈動し、その度に太く硬くなっていったのだ。

 「待った! 西原、それってもしかして……?」

 「そうです。変解したんです、私も」

 何という奇跡! 何という僥倖! 鏡に映った西原は、彼が幼い頃に見た鬼そのものだった。しかし喜びは、ほんの一瞬しか続かなかった。抗いようのない強烈な吐き気。食中毒の症状がそうであるように、体内から異物を排除しようと、肉体が強制的に機能する。それは胃の内容物はもちろんのこと、胃液しか出ない状態になってもまだ続き、食道から漏れた血を吐くようになってようやく治まった。その頃には姿も人に戻っていた。

 「さすが、荒神と崇められていただけはありますね。人間ごときが鬼の血をそのまま飲もうだなんて傲慢が過ぎました。でもヒーローになるチャンスを諦めきれなかった私は、それから血の研究を始めたんです」

 「研究? どうやって?」

 「知り合いに製薬会社の研究員がいましてね。通夜の前に呼んで、血を全て抜き取ってもらいました」

 葬儀では源二の顔を拝むことができなかった。本人からの遺言と聞いていたが、真相は血を抜いた事実を隠ぺいするためだったらしい。平時であれば誰かしらがその遺言に疑いを持っただろう。しかし組全体が葬儀の準備で慌ただしかったことや、伝言役が新組長であったことなど様々な要因が重なり、当時は口をはさむ者がいなかった。

 「さ、西原てめぇ、親っさんに何てことを……」

 磐田は激昂のあまり、西原が上司であることも忘れて嚙みついた。

 「仕方ないじゃないですか、若には跡を継ぐ気がなかったんですから。親父の尊厳を汚してでも、私はヒーローにならないと駄目だったんです」

 西原の返答に罪の意識はなかった。謎の義務感。鬼頭組の組長は鬼でなければ務まらないとでも考えているのか。

 「私の身体でも鬼の力を操れるよう、知り合いに血と薬の調合を頼ました。そうしてできた試作品は、金本さんに実験してもらいました。紛争地に売るとか、適当な理由をでっち上げてね」

 つまり琢磨や食人鬼たちは、源二の血によって生み出されたということだ。

 「彼はよく働いてくれましたよ、若の暗殺も二つ返事で引き受けてくれましたし。ですが親父のことを悪く言うので、薬の完成を待って始末しました」

 金本は諫早組の事務所で木田に殺された。その木田は雅人が片付けた。襲撃現場を監視する存在についてアドバイスをくれた点から考えて、昨日の出来事は全て西原の筋書き通りだったのだろう。

 「親父の名を汚す者は許せません。若、あなたもその一人です」

 「僕が親父の名を?」

 西原は目を血走らせながら怒りをぶつけた。

 「息子でありながら組を継がず、鬼にもなれなかったあなたに、私がどれだけ失望したかわかりますか? だからその両方を受け継いだ私は、失敗作であるあなたを始末したかったんです」

 これは彼の勝手な思い込みだった。源二は雅人を跡継ぎにする気はなく、何より身体も生活も平凡な人間のまま過ごしてくれることを望んでいたのだ。しかし雅人は浴びせられた罵声に憤るどころか、期待に応えられなかったことに罪悪感すら感じていた。

 「ちょっとちょっと! 失望とか失敗作とかさ、いくら何でも失礼すぎない?」

 うな垂れる雅人に代わり、夏華が話に割って入った。

 「アタシも西原さんのこと、イトコの兄ちゃんみたいに思ってた。でもまさかこんな嫌な奴だったなんてさ。なんか裏切られた気分だよ」

 「非礼はお詫びします。ですがこれは私と若の問題です。口を挟まないでください」

 「むっか! 黙って見てらんないから言ってるんでしょ」

 しかし磐田父娘は、西原に飛びかかる寸前でぐっと堪えた。ここで感情任せに殴ったところで何の意味もない。全ては当事者である雅人が決めるべきことなのだ。

 「若サマも言ってやんなよ、『オレのタマ取ろうなんざ十年はえー』とかさ」

 三人が雅人に注目する。雅人は三十秒程度の沈黙の後、重々しく口を開いた。

 「西原には申し訳ないと思ってる。でもだからって、僕に死ぬ気はない」

 「その気があろうがなかろうが、私はあなたを殺します」

 「だったら抵抗するよ」

 「つまり私と戦うと? わかりました」

 西原は満面の笑みで両手を広げた。

 「どちらが後継者に相応しいか、親父の目の前で決めようじゃありませんか」

 芝居がかった言動。最初から源二の墓前で雅人と戦う気だったようだ。

 二人の戦いは止められない。それどころか、下手な場所にいては雅人の邪魔になる。磐田父娘は数メートル離れた木陰まで下がった。

 「人払いはしてあります。墓地の被害もご心配なく。私が責任もって弁償しますので。では始めましょう」

 雅人と西原は五メートルほど間を空けて対峙した。しばらく目を合わせ、やがてどちらからともなく声を張り上げた。

 「変解!」

 現れた鬼と鬼。西原の方が若干身体が大きく、手足も太い。

 「改めて比べると違いがはっきりしますね。では能力は?」

 西原はいきなり距離を詰め、左、右とジャブを一発ずつ、それから胸元から腹部に向けて左の前蹴りを放った。

 かろうじてジャブを回避する雅人。だが意識を頭部に集中させてしまい、胸元が留守に。前蹴りの直撃を受け、後ろの墓石を巻き込みながら吹き飛んだ。

 「力の増加量が同じであれば、より鍛えている方が強い。若もそれなりに場数を踏みましたが、まだまだ足りません」

 西原は頭脳派とはいえ職業柄、荒事にもそこそこ精通している。対する雅人はこの半月でかなりの経験値を稼いだものの、元は非力な高校生である。これまでの相手は試作薬による不完全な状態だったため、どうにか切り抜けてこられたに過ぎない。同等の相手との戦いは今回が初めてだ。

 「くっ……まだやれる」

 雅人は起き上がった。派手に飛ばされた割にダメージはなかった。

 「当然です、いまのは小手調べですから。そうだ、実験ついでに面白い芸を見せましょう」

 西原は右手を胸の辺りまで上げ、手のひらを空に向けた。するとそこから、紫色に燃える炎が上がった。

 「これは鬼火。文字通り鬼の能力で生み出した炎です」

 「そんな手品ができたからって何だっていうんだ」

 江戸時代ならともかく、現代なら使い捨てライターで事足りる。西原の告白で散々衝撃を受けた雅人からすれば、いまさらこんな芸を見せられたところで驚きようがなかった。むしろ西原の方が、雅人の反応に若干の驚きと呆れを見せた。

 「ただの炎ではありません。自在に操ることができるのです。あなたが譲り受けた文献にも書いてある技ですが、まさかご存知ないとは」

 古い言葉で書かれた原典は早々に読むことを諦めた。源二が書き直してくれたノートの方も、細かく目を通したのは変解のやり方などの基礎的な内容だけだった。だがこれは仕方のないことだ。初めて変解した夜から今日まで気の休まらない日々が続き、技について考える余裕などなかったのだから。

 「そ、それより西原がどうして文献を?」

 「子供の頃から知っていましたよ。親父の部屋を掃除した時に閲覧許可をいただきましたから」

 憧れの存在について書かれていると知り、恐らく熱心に解読したのだろう。源二のノートも案外、西原の研究を基にしたのかもしれない。

 「何をどう焼き尽くすかも自由自在。その気になれば、あなたを灰にすることだって容易い」

 そう豪語する西原だったが、言葉とは裏腹にすぐさま炎を消した。

 「無粋な小細工は使いません。正面から力の差を思い知ってください」

 西原が再び雅人に迫る。先ほどよりも速いステップで距離を詰め、左を主軸にジャブを連発。ボクシング教本に載りそうなほど正確で無駄のない攻撃だ。むろん格闘技経験のない雅人に避けられるわけがなく、ろくな防御もできずに全て被弾してしまう。

 「あなたの抵抗は口だけですか? 正直期待外れです」

 西原は右腕を後ろに引いた。重いストレートで早々に勝負を決めるつもりらしい。

 「来た!」

 雅人は姿勢を低くして攻撃を掻い潜り、そのまま身体を前に乗り出して西原に飛びかかった。しかし渾身のタックルは簡単に見切られる。

 「大振り狙いとは恐れ入りました。失言をお詫びします」

 「ヤマを張っただけだよ。さっきみたいに釣られたら勝てないから」

 ジャブは避けられないまでも耐えられる。多少のダメージは覚悟し、少しでも反撃のチャンスがある方に賭ける。これが雅人なりに考えて出した作戦だった。

 「悪くない判断です。人間だった頃のあなたなら考えもしなかったでしょうね」

 西原は軽く微笑んだ。その笑顔はかつての弟分の成長を喜ぶものか。見方によっては、倒しがいのある相手に興奮しているようにも見える。会話内容だけなら組手を楽しむ師弟なのだが、西原の心の内は如何に。

 「小技でチマチマ攻めても時間の無駄です。本腰を入れますよ」

 三たび西原から攻撃を仕掛けた。振りこそ大きいが、速さはジャブにも劣らない。重く鋭い拳が、強靭な蹴りが、容赦なく雅人を襲った。

 雅人は防戦一方。反撃のチャンスを掴めずにいた。

 勝負の行末を見守る磐田父娘。だがひたすら雅人の安否を気遣う夏華とは違い、磐田は得心がいかないといった顔つきで唸り声を漏らした。

 「むぅぅ……妙だな」

 「何がよ?」

 夏華は緊迫した場面で水を差されたように思い、若干苛つきながら父親に尋ねた。

 「諫早組の木田は人間離れした動きで若を攻めた。その前に見たヤツらも、いかにも化け物といった動きだった。だが組長にはそれがねぇ」

 「完成した薬を使ってるからでしょ。それにさっき言ってたじゃん、小細工は使わないとか何とかさ」

 「にしたってどの攻撃も素直すぎる。明らかに倒せる場面で深追いしねぇし」

 「とっておきの必殺技でもあるんじゃないの。それ使ってかっこよく勝ちたいんだよ、きっと」

 「ヒーローがどうたら言ってたから有り得る話ではあるが、むぅぅ……」

 そんな磐田の疑問を跳ね除けるかのように、西原の攻撃が勢いを増した。アスファルトの地面を穿つ踏み込み。そこから放たれる蹴りの破壊力は、解体クレーン車の鉄球にも劣らない。かろうじて防御した雅人だったが衝撃は殺しきれず、周囲の墓石ごと数メートル吹き飛ばされた。

 経験の差は歴然。頑丈な身体のおかげで雅人に現状大きなダメージはないが、反撃できなければそれも無意味である。気力が尽きたところで一気に追い込まれるだろう。

 「また何かを狙っているのなら、急いだ方が良いですよ」

 西原の左拳が雅人の顔面に迫る。

 「言われなくとも!」

 雅人は西原の左腕が伸びきる前に掴み、逃げられないよう脇で固定した。それから上半身を後ろへ反らし、西原の顔面に頭突きを食らわせた。

 「カハッ」

 予想外のラフな反撃に西原が怯んだ。雅人にとっては好機到来。勢いに乗じて西原を押し倒そうとする。が、組んだ両手を背中に打ち下ろされ、逆にうつ伏せに倒れることに。

 再び攻守逆転。西原の踏みつけが容赦なく雅人の後頭部を狙う。察した雅人は横に転がってこれを回避。立ち上がり体勢を立て直した。

 いまだ西原の方が上という状況。しかし防御一辺倒だった先ほどまでとは違い、ほぼ五分にまで持ち込めている。雅人はこの機を逃すまいと、今度は自分から攻撃を仕掛けた。

 雅人の右ストレート。西原は首の動きだけで回避しつつ左を放つ。雅人は直撃を受けるも、お構いなしとばかりに左のボディブロー。さしもの西原もこれは避けられず、身体をくの字に曲げて息を詰まらせた。

 そこから先は至極シンプルな殴り合いだった。互いに相手の拳を受け止め、応酬する。力と力、意地の張り合い。雅人はもちろんのこと、西原にもおよそ似つかわしくない泥臭い攻防だが、だからこそ相手を確実に倒そうとする凄みがあった。

 「うっ」

 先に根負けしたのはやはり雅人だった。ふいに出された右ハイキックがこめかみにヒット。意識を刈り取られ、グラリと膝を曲げてしまう。

 「取った」

 西原はこの隙を見逃さなかった。打ち下ろし気味の右拳で、雅人の息の根を止めにかかる。

 「若サマ!」

 悲鳴にも似た夏華の叫び。雅人の身体はこれに反応。絶妙のタイミングでカウンターを繰り出した。

 「なっ……」

 西原は膝から崩れ落ちた。そのまま両手も地面につけ、四つん這いの姿勢ではぁはぁと息を切らした。相打ちかと思いきや、ほんのわずかではあるが雅人の拳の方が先に届いたのだ。 

 「若!」

 「やった! 若サマ勝ったよ」

 リング下で選手を見守るセコンドよろしく、磐田親子は歓喜の声を上げた。

 その騒ぎに誘われ、雅人の意識がようやく回復。拳に残る感触と膝をつく西原から状況を理解した。

 「ラ、ラッキーパンチに救われた」

 雅人は安堵の息を漏らした。これで勝敗は決した……と思いきや。

 ドスンッ

 辺りが一瞬、縦に揺れた。悔し紛れか、西原が全力で地面を殴ったのだ。

 「まだ終わりませんよ」

 言うが早いか、西原は立ち上がりながら雅人に急接近。目まぐるしいラッシュで襲いかかった。

 対する雅人は全く動じなかった。先ほどの一撃こそ無意識に放ったラッキーパンチだったが、身体は既に西原の攻撃パターンとタイミングを記憶していた。回避と防御と巧みに使い分け、時には捌いて反撃まで行う。考えるよりも先に身体が、荒々しい鬼の本能が反応した。

 「無駄だよ、西原。お前の攻撃はもう通用しない」

 「らしくない口ぶりですね。勝てると思った途端に気が強くなりましたか」

 「違う。自分でも信じられないけど、身体が勝手に動くんだ」

 雅人の足刀蹴りが西原の顎を捉えた。むろん雅人に空手の経験などない。これも鬼の本能によって成しえた技だ。

 「ゴフッ」

 もんどり打って吹き飛ぶ西原。開幕と真逆の状況だが、ダメージは比較にならない。派手に後頭部から落下するだけでは飽き足らず、水の石切りさながら二回、三回と地面を跳ねた。

 「終わりにしよう。これ以上は取り返しがつかなくなる」

 成り行きで戦うことになったが、雅人に殺し合いをする気はなかった。

 「……紛い物はどれだけ磨いても本物には敵わない、そういうことですか」

 西原は若干ふらつきながら立ち上がった。その顔は怒りとも喜びともとれる複雑な表情をしていた。

 「もはや無粋だ何だと気取る余裕もなくなりました。どんな手を使ってでも若、あなたを倒します」

 西原は両の手のひらを重ね、雅人の方に向けた。最初に見せた鬼火を使う気だ。

 「燃えてください」

 手のひらから噴き出た炎が雅人を襲う。

 「ぐぁぁぁー!」

 操られた炎は目で見て避けられるものではなく、一瞬にして雅人を火だるまに変えた。

 「若サマ!」

 「危ねぇ!」

 急展開に夏華が思わず飛び出すも、磐田に腕を掴まれて引き戻された。そばへ行くには炎の勢いが強すぎるのだ。火あぶりから鬼の力に目覚めた雅人。再び火あぶりにされ、今度こそ死んでしまうのか?

 「勉強不足でしたね。ちゃんと扱い方を学んでいれば、私から鬼火を奪えたかもしれないのに」

 熱さと痛みに我を失いそうな雅人だったが、不思議といまの西原の言葉だけははっきりと聞き取れた。そして多少なりとも頭を使えるほどには冷静さを取り戻した。

 (鬼火を奪う? そんなことができるのか? でもどうやって?)

 変解のスイッチは強い闘争心だった。精神を研ぎ澄ませ、力を振るうことに集中する。西原が特に道具を使っていない点から考えて、鬼火も変解と同じように心で操るのでは?

 悠長に考えている暇はなかった。いくら強靭な鬼の身体でも、業火の中では長くはもたない。雅人は意を決し、身体にまとわりつく炎に全神経を集中させた。

 「……いける」

 徐々に苦痛が和らぎ、いつしか薄絹に触れたかのような心地よさすら感じるように。焼かれた肌も早くも回復し始めている。鬼火はいまや完全に雅人のものだ。

 「…………」

 西原が無言で跳躍。全体重を乗せた飛び蹴りで雅人に迫った。

 雅人は手のひらを西原に向けた。そして先ほどの動きに倣って炎を放った。炎の渦、あるいは炎を纏った竜巻とでも言おうか。雅人が放ったそれは、西原のものよりはるかに巨大だった。

 「これは!」

 西原は跳躍中に攻撃から防御に切り替えた。だがその判断も空しく、炎に包まれて十メートルほど空に打ち上げられた。それから、一呼吸おいて落下。肩や腰を地面に打ち付けた。

 「今度こそ終わりだ」

 雅人は西原の全身にまとわりつく鬼火を消した。西原は落下と火傷でかなりのダメージを負ったが、命に別状はなかった。

 「なぜとどめを刺さないのです?」

 「僕にその気はない」

 言いながら雅人は変解を解き、これ以上戦う意思がないことをアピールした。

 「甘すぎます。私はあなたを裏切ったんですよ?」

 「裏切られたとは思えなかった。口では上手く説明できないけど、その……」

 磐田が助け舟に入る。

 「横から失礼しやす。組長アンタ、若を鍛えるつもりで戦ったんじゃありやせんか?」

 「は? 磐田さん、急に何を言い出すんです」

 「アンタにその気がありゃあ、開幕の時点で勝負はついてたはずだ。なのにご丁寧に技を見せたり、殴り合いに付き合ったり、まるで組手みたいでしたぜ」

 磐田の的確な指摘に、雅人はウンウンと繰り返しうなづいた。

 「殺すだ何だって暴言も、若にやる気を出させるめに言ったんでしょ。あっしらみんな短くない付き合いだ。一思いに全部ぶちまけてくれやせんか?」

 厳つい外見とは正反対の優しい説得。これに心を動かされたというわけでもなさそうだが、西原は妙に晴れ晴れとした顔で口角を上げた。

 「買い被らないでください。私は本気で若を殺すつもりでしたよ。でなきゃ金本さんや化け物なんて使いません」

 拉致からのリンチ、そして火あぶり。最初の騒動は殺意に満ち溢れていた。その後の襲撃も、精神に支障をきたすほど執拗で苛烈なものだった。

 「いまの戦いだってそうです。最初の宣言通り、親父の名を汚す若を倒す気でいました。ですが同時に、私を倒して新たなヒーローになってほしいという願いもありました」

 本気の殺意で襲っておきながら、雅人の勝利に期待する。いびつな愛情。少なからず死傷者も出ており、どう贔屓目に見ても美談には程遠い。

 夏華は今回の一件に巻き込まれた一人として、はぁぁ~と長い溜め息をついた。それから西原に尋ねた。

 「そんで、西原さんの願いは叶ったの?」

 「ええ。感無量です」

 西原は声を弾ませて答えた。興奮を抑えきれないようだ。

 雅人は西原の意外な一面に困惑しつつも、ある意味自分のために憎まれ役になってくれたのだと解釈し、全てを水に流すことにした。

 「じゃあこの件は終わりでいいよね?」

 寝不足と戦闘疲れで身体が悲鳴を上げている。問題が片付いた以上、早く帰って眠りたかった。

 「西原も早いとこ変解を解きなよ。適当に後始末して帰ろう」

 「いいえ、まだ終わりではありません。不義理のけじめを取らせてもらいます」

 そう言い終えた次の瞬間、西原の身体が消えた。新たに作り出した鬼火で、自身を焼き尽くしたのだ。

 「なっ?」

 あまりに唐突すぎて、三人は反応すらできなかった。状況を把握した時にはもう、足元に灰の山が積まれていた。

 「えっ……西原さん、いまここに………えぇー?」

 先代の亡骸を利用したうえ、その息子の命を狙った。確かにいくら組の長とはいえ、下の者に示しがつかない不義理ではあったが。

 「身勝手が過ぎる。ワビ入れりゃあいいってモンじゃねぇだろ」

 磐田は怒りの矛先に迷い、手のひらに拳を打ち付けた。

 雅人には怒りも憎しみもなかった。ただ、身内を亡くした喪失感と、少しの罪悪感が胸を苦しめた。

 「そもそも僕がもっとしっかりしていれば良かったんだ。そうすれば西原は組長になることも、鬼になることもなかったはず」

 雅人の嘆きに磐田も怒りを鎮め、己の過去を悔やんだ。

 「それで言ったらあっしこそ、二番手に拘るべきじゃありやせんでした。無理くり組長役を押し付けて、プレッシャーかけちまいやしたね」

 二人は言葉を失い、ただじっと西原の遺灰を眺め続けた。どちらも心の中で、二十年近い西原との思い出を反芻していた。

 夏華も二人の気持ちを汲んでしばらくは黙っていたが、やがて周囲を見回して沈黙を破った。

 「はい、感傷に浸るのはここまで。早いトコ片付けないと、誰かにケーサツ呼ばれるよ」

 墓石はへし折れ、地面は穴だらけ。嵐が過ぎた後よりも酷い有様だった。それでいて源二の墓だけは無傷なのが余計に性質が悪い。恐らく西原が細心の注意を払ったのだろうが、このままでは鬼頭組の悪評が広まりかねない。

 「お、おう。じゃあ人を呼んできますんで、若たちはひとまずゴミ拾いでも」

 磐田は巨体に似合わぬ猫背でそそくさと走り去った。

 「我が親ながら、墓場から蘇ったフランケンみたいだね。見た人が気絶したらどうしよう」

 夏華の軽口が聞こえていないのか、雅人はなおも下を向いたままだった。

 「若サマ、気持ちはわかるけどさ、あんま考えすぎない方が良いよ。ぶっちゃけ西原さんは死にたがってたと思うし」

 「え?」

 雅人はビクリと反応した。

 「あの人には鬼頭のおじ様が全てだったっていうか、若サマでも代わりにはならなかったっていうかさ。今日の話を聞いた限りだとそんな感じがしたんだ」

 「そう……なのかな」

 「勝負の最後に若サマが必殺技出したじゃない? 西原さんあの時、妙に嬉しそうな顔したんだよね」

 夏華の推察が正しいとすれば、それは鬼火を操る雅人の成長を喜んでのことか、死んで源二のもとへ行けるためか、あるいはその両方か。

 「だから死んだのは若サマのせいじゃないよ。西原さんだってきっとそう言うはず」

 慰めの言葉が傷ついた心に染みる。

 「……ありがとう。なんか吹っ切れた気がする」

 モヤモヤと胸を締め付ける想いはまだ残るものの、会話ができる程度には回復した。

 夏華は雅人の様子に内心では安堵しながら、したり顔で胸を張った。

 「ふふん、連れてきて正解だったっしょ」

 「素直に認めておく」

 「それよかこの先が大変だよ。組長が突然いなくなったんだからさ」

 結果のみを一言で言えば、組長の焼身自殺である。しかし鬼の存在を世間から隠すため、そこに至った経緯は迂闊に口外できない。また次の組長も早く決めねばならない。モタモタすれば組内外の混乱を招き、さらに警察やメディアにも目を付けられてしまうだろう。

 「わかってる」

 雅人は源二の墓を見つめ、強く答えた。

次で終わりです。

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