2話
ざっくり説明すると変身ヒーローものです。
デビルマンに割と影響受けてるけど、あんな壮大な世界や重厚なテーマではないです。
シリアス風味だけど軽い読み物なんで、もし目に留まったら読んでいただけると嬉しいです。
2
【八月二日 午後三時 雅人のアパート】
源二の葬儀を終えて間もなく、雅人は予定通り、鬼頭組の屋敷を出て行った。
現在の住居は二階建てアパートの二階。築五年の八畳一Kで、学校から程近い場所にある。交通の便は若干悪く、どこへ行くにも自転車が欠かせないが、日当たりの良さとベランダの広さでここに決めた。
なお、源二を失ったショックからは既に立ち直っている。引越し直後は何かと多忙で、悲しみに暮れる余裕があまりなかったことが幸いした。いや正しくは、もうひとつの要因のおかげ、とでも言うべきか。
「若サマー、替えのシャツ貸してー。自分の部屋から持ってくんの忘れちゃったよー」
「バカッ! バスタオルのまま出て来る奴があるか」
雅人の入居にあわせて、なんと夏華が隣に引っ越してきたのだ。しかも通っていた私立女子高から、雅人の高校へと編入までして。
理由は、『女子高は自分にあわなかったので、雅人と同じ学校に通うことにした。ついでに通学時間のことを考え、“たまたま”空いていた隣に引っ越してきた』とのこと。
ちなみに磐田家は、ここから二駅離れた場所にある。時間にして、徒歩で二十分前後だろうか。つまりどう考えても磐田の陰謀。鬼頭雅人養子化計画の一端だった。
「いいじゃん別に。パンツはちゃんと履いてるんだし」
「若い娘が、男の前でそんな格好するな」
家事全般が得意な雅人と違い、夏華は米を洗剤で研ごうとする娘だった。故に雅人は彼女の面倒まで見る羽目になり(下着だけは自分で洗わせているが)、家政婦や組の者が手伝ってくれた実家の頃よりも、遥かに忙しい毎日を送っていた。
「おんやぁ~、もしかして欲情しちゃいヤしたか? なんならパンツも脱ぎヤしょうか?」
雅人は渾身の力を込めて、丸めたTシャツを夏華に投げつけた。顔面にヒット。
「ふにゃん! 意外と痛いッス」
「さっさとそれ着て部屋に戻れ! だいたい、なんで自分の部屋の風呂を使わないんだよ」
「だからさっきも言ったじゃん。買い物帰りに雨にやられて、シャワー入ろうと思ったら給湯器が壊れてたんだって」
「夏なんだし、水で十分だろ?」
「甘いよ若サマ。女子の髪は水で洗うと痛みやすいんだぜい」
「ワガママ言うなら実家に帰れ……」
ほぼ毎日こんなやり取りの繰り返しだった。クラスメイトからは羨ましがられるが、雅人にとって夏華は手のかかる妹でしかなく、本人以外が期待するような恋愛展開は一切なかった。
「それはそうと、夕飯は冷蔵庫に入れておくから、適当な時間に取りに来て」
「ん? 出かけるの?」
「急にシフトが入ったんだ。雨でチャリンコ使えないから、帰りは十一時近くになると思う」
雅人はコンビニのアルバイトをまだ続けていた。もちろん源二の遺産は十二分にある。仮にこのアパート全てを土地ごと購入したとしても、まだ三分の二以上は残る程だ。しかし一介の高校生がそれに甘えたら、恐らく自分を見失ってしまうに違いない。豪遊に次ぐ豪遊で、正常な生活には二度と戻れなくなるだろう。もしくは古巣にいた類の人種に目をつけられ、骨の髄までしゃぶられてしまうか。だから生活に必要な分以外は定期預金に入れ、できるだけ手をつけないようにした。いずれ将来の夢であるレストランを開くようなことがあれば、その預金に頼るつもりだ。
「よくもまぁ疲れませんね。夏休みの間中ほとんどバイトじゃん」
「働かないと食べていけないんだよ。労わる気持ちがあるなら、少しぐらい自分で家事をやれ」
「いやいや、アタシはいまのままで大丈夫っすわ。いずれ若サマ嫁に貰うから」
「バカ、こっちがお断りだ。とにかく行ってくる」
「は~い、お気をつけて~」
【午後十時二十分 帰路】
仕事を終えた雅人は家路を急いでいた。この辺りは左手に市民グラウンド、右手に片側二車線の車道があり、昼夜で人通りが極端に違う。また街灯が少なく、かなり薄暗い。加えて真夏には珍しい大雨で、雅人はアルバイト先のコンビニを出て以来、誰の姿も目にしていなかった。
好んで歩きたくはないが、自宅までの最短ルートがこの道だった。夜遅く、雨にも濡れている現状、そこはかとない恐怖心よりも、目先の欲求の方が勝っていた。帰ったらまずシャワーを浴びたい。それから軽く夜食でも作ろうか。
ところがここで、不測の事態が発生する。進行方向、車道脇に停車中のワゴン。単なる路上駐車だと気にも留めていなかったが、雅人が近寄るといきなりドアがスライドし、若く大柄な男たちがゾロゾロと出てきた。そして雅人の前に三人、後ろに二人、明らかに進路を阻む形で立ち塞がった。
「お前、鬼頭雅人だな?」
雅人が身構えるよりも先に、前方の一人が声をかけてきた。脱色で傷んだ髪と浅黒い肌、だらしなく胸元を開けた安物のシャツに、不自然な光沢を放つ金のネックレス。まさに素行不良者の典型といった風体だ。他の者たちも似たような恰好で、髭やボディピアス、タトゥなど、近寄りがたい雰囲気を不必要に強調していた。
しかし実家が実家だっただけに、雅人はこの手の輩は見慣れていた。威圧的な風貌に委縮することもない。そして相手の素情が不明である以上、迂闊な言動は避けるべきと判断し、とぼけてこの場を離れることに決めた。
「いや、ちが――」
いや、違う。そう言いかけた雅人の後頭部を激しい痛みが襲った。硬い石、あるいは鉄の塊を叩きつけられたような感覚。それが後方の一人が手にした金属バットの一撃だと理解した時、雅人の意識は遠のいていった。
「おいおい、いきなりやるか?」
「コイツで間違いねぇって。ハズレならまた拉致りゃイイし」
「ミスると琢磨さん怖ぇ~ぜ?」
「コイツが暇潰しに使えりゃ問題ねぇさ」
「まぁそれもそっか。ならサッサと連れてこう」
【?】
「……………………う、うぅ………」
雅人は顔や頭が濡れた感覚で目を覚ました。何者かに頭から水をかけられたらしい。横向きに寝ていた状態から上半身だけ起こし、まだ少し呆けた頭で周囲を見回す。
薄暗い室内に飛び交うレーザー光線、耳障りな機械音をがなりたてるスピーカー、酒と煙草のむせ返る臭い。
雅人がいまいる場所は板張りの床、どうやら小さな舞台の上のようだ。二畳ほどの奥行きと、そこより若干低い位置の観客席へ続く花道がある。そして観客席には、先ほど会った連中の同類が数十名。
「琢磨さーん!」
「早くブッ殺しちまえ!」
年の頃は十代半ばから二十代前半ぐらい。男性が多いが、ところどころに少女も混ざっている。その誰もが雅人のいるステージに注目し、野次とも罵声ともつかない叫び声を上げていた。
「ここ、は……?」
「ハッ、ようやくのお目覚めだ」
雅人は声が聞こえた方に顔を向けた。ブリキ製のバケツを投げ捨てる男が一人。かなりの大柄で、腕っ節に自信がありそうな体つきだ。それがカーゴパンツにタンクトップというラフな格好と相まって、物々しい威圧感を全身から醸し出していた。
雅人に水をかけて起こしたのは彼で、観客席からの言葉を拾うに、名前は琢磨というらしい。
「眠ったままじゃ面白くねぇからよ。きっかり起きて、俺を楽しませろや」
「いったい何を……ウッ!」
殴られた後頭部がズキズキ痛む。咄嗟に手で押さえようとしたが、両手はなぜか後ろ手に手錠がかけられていた。
「ここは潰れたストリップ小屋で、俺たちの溜まり場よ。で、テメェは今夜の殺戮ショーの主役。素敵に無敵な俺様のために用意された、生きたサンドバッグってわけだ」
「なんで僕が?」
琢磨は少しも悪びれた様子もなく、口角を吊り上げて下衆に笑った。
「ヒャハハ! テメェをバラしたら金くれるって奴がいんだよ」
組長の息子ともなると、誘拐事件は決して珍しい話ではなかった。実際に誘拐されたこともあったが、しかしそれはあくまで非力な小学生時代の話。その後は危険な場所を避けることで難を逃れてきた。それがこの歳になって、しかも後頭部を殴って気絶させるなどという強引な方法で拉致されるとは。
「生憎だけど、僕はもう組とは無関係だ。殺したところで何の得にもならないよ」
強面相手の度胸だけはある雅人は、今回も組同士の抗争か何かだろうと思い、無関係であることを冷静に告げた。
ところが琢磨は、
「はぁ? カッコつけて何言ってんだ、お前?」
予想外の返答だった。しかし彼の怪訝そうな顔は、嘘を言っているようにも見えない。ならば今回の件は、組とは無関係ということか。
観客席から声が飛ぶ。
「琢磨さん、ソイツん家ヤクザなんだってよ」
「ほぉ~、ヤクザってのはアレだよな、俺らみてぇな一般市民に迷惑かける、どうしようもねぇウジ虫どもだ。だったらよぉ、なおさら始末して、社会に貢献しねぇといけねぇよなぁ?」
雅人は普通の高校生で、見るからにガラの悪い琢磨たちこそ、社会の害悪に他ならない。などという正論がこの場で通じるわけがなく、観客席は『殺せ』『処刑しろ』と、悪意に満ちた歓声で盛り上がる一方だった。
「家が関係ないなら、ますますこんなことをされる理由が思い当たらない。学校じゃ目立たないし、友達は少ないし、バイト先でトラブルを起こしたこともないし……」
「ごっちゃごっちゃウルセーなぁオイ。いいからコレ見ろや」
琢磨はズボンからスマートフォンを取り出し、画面を雅人に見せた。表示されていたのは受信メール。内容は非常にシンプルで、『殺処分。鬼頭雅人。前金五十万。成功報酬二百万。』とだけ書かれ、雅人の顔写真も添付されていた。また、差出人の欄は『依頼者』と書かれており、アドレスもフリーメールが使われていた。一般的なネット知識しかない雅人には、これだけの情報から相手を特定するのは不可能だった。
「こんなメールがな、時々俺んトコに送られてくんのよ。へへ、結構いい小遣い稼ぎになるんだぜ」
琢磨の顔は、まるで武勇伝を語っているかのように誇らしげだった。
「どう考えても使いっぱしりじゃないか。そもそもそんな怪しいメールを信じるなんて」
「んなこたぁどうでも良いんだよ。好きなことやって金もらえるなんて最高じゃねぇか。いや、金だけじゃねぇ。コイツはよ、銃とかヤクとか、俺が欲しいと思ったモンを何でもくれるんだぜ」
ヤクと聞いて、雅人は思考を巡らせた。
鬼頭組では薬物の取引を行っていない。先代の源二が嫌い、服用も商売もさせないよう、徹底的に取り締まったからだ。そして鬼頭組は、日本の裏社会の東半分を牛耳切っている。ならば琢磨に薬物を提供したのは、鬼頭組とかかわりを持たない西日本ないし海外の人物か。しかしそんな者が堅気の雅人を襲って、いまさら何の得があるというのか。
「琢磨さーん、そろそろおっぱじめませんか? オレらもう待ち切れねぇッスよ」
痺れを切らした観客が琢磨を急かした。
「おう、そんじゃあ始めようか。楽しい楽しい殺戮ショーだ!」
琢磨の言葉で、場内は一気に沸きたった。観客は見たところ二、三十人のようだが、異様な熱気と歓声が、その数を何倍にも錯覚させる。勢いに飲まれただけで気絶してしまいそうだ。
「ま、待って! まだ聞きたいことが――」
「とりあえず一発、喰らっとけや!」
雅人の顔面めがけ、琢磨の右足が飛ぶ。足の甲を使ったサッカーボールキックだ。
雅人はそれを避けるどころか、目で追うこともできなかった。まず視界が琢磨の靴紐で覆われ、続いて鼻を中心に顔全体が痛みに襲われ、文字通り蹴られたサッカーボールのように、身体が斜め上後方へと跳ね上がった。
「カハッ!」
雅人は仰向けにのけ反り、後頭部を床に打ちつけた。しかもいまの一撃で鼻骨が折れたらしい。止め処なく鼻血が吹き出し、顔半分を赤く染め上げた。
「おぉ、イイカンジにぶっ飛んだなぁ。開幕としちゃあ悪くねぇ。だがなぁ」
琢磨は倒れた雅人の前髪をつかみ上げ、強引に立たせた。
「ちゃんと立って受け止めてくれねぇとよぉ、面白くねぇだろぉぉ~? もっと楽しませてくれよぉぉ~」
いまの蹴りのおかげで、拉致される前に受けた後頭部へのダメージが再び悲鳴を上げた。吐き気がこみ上げ、額や首筋から脂汗が滲み出る。
しかし琢磨は雅人の様子などお構いなしに、むしろ最悪のコンディションであることを喜びながら、左のジャブを顔面に二発。次いで、右のボディブローを一発。無理やり顔面に意識を向かわせ、反射的に無防備となった鳩尾に、ゴツゴツした重い右拳を打ち込んだ。
「ウゲェェェ」
衝撃に耐えきれなくなった雅人は両膝をつき、俯いて何度も嘔吐を繰り返した。が、元々仕事明けで空腹だったため、苦痛に反して汚物は漏れず、少量の胃液が口から流れ出ただけだった。
「大袈裟だなぁオイ。まだ怪我らしい怪我もしてねぇだろうが」
琢磨は再び雅人の前髪をつかんだ。今度は左手で吊るし上げて固定したまま、右の拳を顔面に三回、五回、十回と打ち込む。
「そうそう、よえぇぇぇ~奴はこんぐらいブサイクじゃねぇと、なっ!」
殴られる度に、ガンッガンッと骨のぶつかり合う音が耳の奥に響く。折れた歯が口の中で跳ねる。腫れた頬と瞼が視界を狭め、もはや足元すら見えない。単純な痛みだけでなく、視覚と聴覚に訴える恐怖が、雅人から徐々に抵抗心を剥ぎ取っていった。
「ほら、下にいる奴らにも見てもらえ」
琢磨は雅人をひとしきり殴り終えると、両手でその顔を持ち上げ、観客席の方へと放り投げた。観客たちは、背中から落ちてくる雅人を避けるべく一斉に後退。雅人は高さ二メートル強のステージから、コンクリート地むき出しの床へと叩きつけられた。
「ッ!」
視界と手の自由を奪われた状態では、受け身どころか、衝撃に備えることすらままならなかった。雅人はかろうじて頭部へのダメージを防いだものの、背中に受けた衝撃で息を詰まらせた。いっそこのまま気を失ってしまえば楽だろうに、全身の痛みがそれを許さない。
「うっわキモッ! 見られた顔じゃねぇな」
「いやいや、こんなのまだ序の口だろ。手足の二、三本引っこ抜くぐらいはしねぇと」
再び寄ってきた観客たちが雅人を見下ろす。中には踏みつけたり、爪先で蹴ったりと、精神的苦痛をさらに与える者もいた。
顔は潰され、手は縛られ、身体のあらゆる箇所が猛烈に痛い。冷静な判断力は既に失われ、雅人の頭の中にはもう、苦痛と恐怖しかなかった。芋虫のように這って逃げようとするも、
「どこ行くつもりだよ?」
当然逃げられるものではない。頭を踏みつけられ、額や頬を地面に擦りつけられ、この場にいる全員から、嘲笑と罵声を浴びせられた。
琢磨は仲間たちが雅人をいたぶる様を、ステージの上から満足そうに見下ろしていた。だがすぐに飽きてしまったのか、右手を上げて、仲間たちの行動を止めた。
「ただ痛めつけるだけじゃ芸がねぇな。よし、アレを出せ」
琢磨の指示で舞台袖から運ばれてきたのは、頑丈そうな長い鉄の棒。ポールダンス用のポールだ。おそらくここがストリップ小屋だった頃の名残だろう。それを再びステージに上げられた雅人の腕に通し、床と天井にしっかりと固定する。
「た、助け……」
心身ともに衰弱し、助けを求める声にも力が入らない。仮に声が出たとしても、ここには雅人の味方など一人もいないのだが。
「安心しな、裸になって踊れなんて言わねぇからよ」
頭から何かの液体をかけられた。目は塞がり、鼻も血で利かなくなっているので、その正体は分からない。しかし肌に触れた感覚と、口の中に入った味からすると……油だ!
「ヒャハハハ! 燃えちまいなー!」
琢磨は躊躇なく雅人に火を点けた。
「ガアアァァァァァァァァァァァーッ!」
火は油伝いに素早く燃え広がり、無慈悲にも雅人を焼き始めた。
雅人は足をバタつかせ、上半身を前後左右に振り、まさしく死に物狂いで暴れた。しかしポールに繋がれているせいで、ほとんど身動きがとれない。
「鉄製の手錠だからなぁ、どんだけ暴れようが壊れねぇよぉぉ~。ヒャハハハ、このまま灰になっちまえ」
炎は早くも体毛を燃やし尽くし、露出した皮膚を赤黒く焼き、さらに奥の筋組織にまで達しようとしていた。手錠を外そうともがいても、肉に食い込み血を滴らせるだけでビクともしない。
「ガァァァァァァァァァーッ!」
熱いとか痛いとか、単純な言葉では表現できない苦痛。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。嫌だ、死にたくない。それもこんな理不尽で惨めな死に方なんて。
死にたくない。死にたくない。この言葉を頭の中で二十一回繰り返したところで、雅人の意識は完全に途絶えた。
3話に続きます。