第31話:変わらない場所
オババ様の店を後にした私は、冒険者ギルドへ向かう前に菓子折りを購入した。
婚約破棄や新生活でドタバタしていたため、冒険者ギルドでお世話になった人たちに、まだお礼の品を渡せていない。薬草を買うついでに持っていくべきだろう。
遅れた分は奮発しておいたから、きっと喜んでもらえるはず。
そう思いながら冒険者ギルドにやってくると、そこには見慣れないアリスの姿があった。
「えーっと、この内容で護衛依頼を受けま……了解し……あれ? 承ります、です」
普段は荒くれ者の冒険者たちを接客しているが、今日は年配の貴族男性を相手にしている。使い慣れない敬語を意識していることもあり、とてもたどたどしかった。
頭がショートしそうなほど考えているので、彼女の中では、これが精一杯。真面目にやっているのはわかるが、お世辞でも良い接客とは言えない。
「承る、じゃなかったんでしたっけ?」
「承るで合っているが……、本当に君に任せておいて大丈夫かね」
「は、はい! 大丈夫で承ります!」
全然大丈夫ではない。アリスの敬語は明らかに使い方が間違っている。貴族に対する対応としては、大変失礼な行為だった。
しかし、相手にしている貴族男性は、満更でもなさそうである。
「君を見ていると、幼少期の娘に貴族教育を施していたことを思い出すよ」
不器用ながら頑張って対応しようとするアリスを見て、懐かしい気持ちが蘇ったみたいだ。
言葉遣いを間違うだけでトラブルになる貴族の世界において、こういうことは珍しい。普通なら、侮辱されていると受け止められ、血相を変えて怒るだろう。
「私って、貴族っぽい顔してます?」
「フッ。そうかもしれないな」
なお、当の本人は何も気づいておらず、呑気なことを言っている。年配の貴族男性が良い方でなければ、大事件が勃発していたのは間違いない。
「今回はこれで頼むよ」
「承りです!」
気分を良くした貴族男性が席を立つと、そのまま何事もなかったかのようにギルドを後にした。
一方、慣れない顧客対応に頭をフル回転させていたアリスは、どっと疲れたみたいで、大きなため息を吐いている。
そんな彼女に近づいた私は、持参した菓子折りをスーッと差し出した。
「お疲れ様。これ、よかったらみんなで食べて」
「え゛っ゛! ミーア?」
「いま変な声が出てたよ。どこから声を出してるの?」
「あはは……。思ってたより神経使ってた影響かな」
気持ちがわからなくもないけど、と思っているのも束の間。コロッと表情が変わったアリスの興味は、早くも菓子折りに移っていた。
冒険者ギルドのみんなに気づかれないように、コソコソと箱の中身を確認している。
「うっわ、たっかいクッキーじゃん。ありがとう。やっぱりミーアって貴族なんだねー」
「そこで貴族だと判断されても困るよ。あと一応言っておくけど、私以外の貴族が菓子折りを持ってきても、本人の目の前で開封しないでよね」
「わかってるって。それが貴族ルールなんでしょ?」
「中身をすぐに確認する平民ルールと違ってね」
以前、一緒に働いていた時は、こういった光景が日常化していた。
差し入れを持って従業員の控え室に訪れると、毎回お祭り騒ぎになるほど盛り上がる。受付仲間たちが「貴族の味だー!」と騒ぎ続け、ギルドマスターに「まだ職務中だぞ!」と、よく怒られていたっけ。
その影響もあって、早くも受付仲間たちが群がり始めている。
「やっばー。今回の箱は過去一で大きいじゃん」
「待って。この箱ってけっこう有名どころのやつだよ」
「やっぱ持つべきものはミーアなんだよなー」
何とも現金な子たちである。こういった正直なところは、貴族と違って、わかりやすくて可愛らしかった。
「私が最初に受け取ったんだから、まだ開封の儀式はしないからね。はい、散って散って」
箱を開けて中身を確認していた人が言うべき言葉ではない。誰よりも現金な子は、アリスなのであった。
「で、今日はどうしたの? 早くも冒険者ギルドが恋しくなっちゃったとか」
「退職したばかりで訪れるのは、さすがに私でも恥ずかしいからね」
「そう? 今すぐ戻ってきてくれたら、飛び上がるくらいには私が喜ぶよ」
「あぁー……。貴族対応、うまくいってないんだ?」
「まあね。文句の一つや二つくらいならいいけど、ネチネチ言ってくる人もいてさ。ギルマスも謝罪に行ってくれてるから、なかなか文句も言いにくいんだよねー」
先ほどの貴族男性とのやり取りは、やっぱりレアケースだったらしい。カタリナが無断退職した影響もあって、相当ややこしいことになっているみたいだ。
ほとんどの貴族たちは、自分に非があったのか、冒険者ギルド内で問題が起きているのか、様子をうかがっているんだと思うけど。
でも、冒険者ギルドを退職した私には、もう手伝うことができない。宮廷錬金術師の助手、兼、見習い錬金術師として活動を始めている以上、職場復帰という選択肢はなかった。
「クレイン様に助けてもらった恩があるし、今の仕事を辞めるつもりもないよ」
「わかってるよ。いつでも帰れる場所があるって、言いたかっただけだから」
優しく接してくれるのは、素直にありがたい。他の職員さんたちも、歓迎する、と言わんばかりに視線を向けてくるので、あながち嘘でもないんだろう。
さすがに昔の職場で注目を浴びるのは、恥ずかしいけど。これ、差し入れ効果も出てないかな。
みんなの仕事の邪魔をするわけにはいかないし、早く用件だけ済ませて帰ろう。
「今日はポーションに使う薬草を買いに来たんだよね。どこも品切れみたいで、大量に入手しようとしたら、冒険者ギルドにしか置いていないらしいの」
「そうなんだ。どうりで薬草の問い合わせが多いと思った」
「えっ。もしかして、冒険者ギルドも在庫がないの?」
「ううん。あるにはあるよ。ただ、ミーアもよく知っているような形で……ね」
口を濁すアリスと、今まで仕事をした経験から推測すると、薬草の状態が悪いとすぐにわかった。
自然に咲いている薬草を採取する依頼は、一番下のFランク依頼になり、冒険者になりたての人が受注する。そのため、薬草の取り方を知らなかったり、バッグに無理やり押し込んできたりと、とにかく雑に扱う人が多かった。
正直、品質や鮮度については期待していない。それはそれでポーションの研究に有用なところもあるから。
粗悪品で良質なポーションが作れるか試せるし、形成スキルがどんな形で影響を与えるのか気になる。クレイン様には悪いけど、質の悪い薬草でポーションの研究をしてもらおう。
「じゃあ、薬草を買っていくから、用意してもらってもいいかな」
「本当にいいの? 宮廷錬金術師様が使うにしては、けっこう状態が悪いよ」
「気にしなくてもいいよ。ちゃんと状況を説明したら、クレイン様はわかってくれる人だから」
私は事前に買っておいた薬草で依頼をこなせばいいし、薬草不足が解消されるまでの辛抱だ。依頼さえ終わってしまえば、形成スキルの練習に取り掛かって、時間を潰せばいい。
そんなことを考えていると、アリスがニヤニヤした表情で顔を覗きこんできた。
「ミーア、変わったよね」
「そう? 私は今も昔も普通にしているつもりだけど」
「一緒に働いてた時とは違って、余裕があるもん。なんか今のミーアは楽しそうだなーって」
貴族である以上、楽しいことよりも正しいことをしなければならない。冒険者ギルドで働いていた時の私は、いつもそう考えていた。
貴族の務めを果たすため、または名誉を守るために、自分の気持ちを押し殺す。失敗は恥ずべき行為であり、何事もやり通す以外に道はない。
今まで婚約破棄なんて絶対にあり得ない……と思っていたけど、ジール様と婚約破棄をしたあの日が、私の人生の転機だったのは間違いないだろう。
冒険者ギルドで見送ってもらい、クレイン様の下で働き、そして、見習い錬金術師になった。
今でも正しい選択をしていたのかはわからない。
でも、確実に言えることは――。
「今が一番幸せかな。なんだかんだで、錬金術をしている時が一番楽しいんだよね」
貴族としてではなく、一人の人間として、自分の人生を歩き出したと実感するのだった。