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上村は東京の対局を終えた翌朝、電車で大阪市内の馴染みの将棋教室に向かった。昨日の対局終了時間は、午後の9時を回っていた。東京のホテルで一泊し大阪の自宅に帰る、その足で将棋サロンに寄ろうと考えたのだった。昨日の対局も上村はプロである以上、必死になって今まで自分が考えたやり方で指してみた。が、やはり将棋の結果は惨敗であった。相手は二十代の若手のタイトルホルダーであり今もっとも脂が乗っていることを考えると当然の結果であったが、やはりあれだけの棋力の差を見せつけられるのはショックであった。
「上村九段との対局はどうでしたか。」
「うーん・・・、どうでしょう。今日は上村先生、調子が悪かったんじゃないですかね。私はなんとなく勝ってしまった感じがします。・・・、次の対局はもっと将棋ファンにワクワクさせるような将棋を指せるように頑張ります。」
記者に質問された相手の棋士がこんなコメントをしたのを上村は心の中に深く残っている。長年積み上げてきた彼の実績とプライドがこうしてひとつ、またひとつと剥げ落ちていく。
惨めだな。
これでも俺は九段だぞ。
だが今まで上村が将棋界に残したものをいったところで、世の中の変化や趨勢はそんなこととは無関係に実力のある者が評価を塗り替えていくものだ。それが時代の流れなら、抗おうとすること自体、どたい無理なのかもしれない。
朝の通勤ラッシュで込み合った電車が京都駅を出て大阪府に入りはじめた。昨日から降っていた雨は止んでいる。だが、上村の心の中ではいまなお降っていた。その雨は自分が将棋でなかなか結果を出せなくなったころからずっーとである。
そういえば、宮沢の対局はどうだったのだろう。
電車の座席で上村の胸に、様々な思考の断片が代わる代わる浮かんでは消えていく。取りとめもなく、無秩序で、意味すら明確ではない思念の欠片たち。そんな中、ふと浮かんできたのは、弟子の宮沢友春の顔だった。
昨日、対戦した若い棋士と同じように、自分よりはるかに強くなってしまったのだろうか。
「そういや昔は、1週間に1度は対戦していたな。」
いまは1カ月に1度、顔合わせした時ぐらいに挨拶程度に軽く将棋を指すようになってしまったが、宮沢が小学校、奨励会時代の頃はよく上村の将棋仲間と研究会を開き、指していたことを思い出す。あの頃は、まだ上村も宮沢もなんとか強くなろうと必死だったといえるだろう。
さらにいえば、そもそも当時は「将棋への情熱」がまだ彼にはあったような気がする。
「将棋への情熱」とは、プロの上村とって勝利への執念のようなものであって、いってみれば何としても勝つという気持ちである。
「将棋以外のことを研究していれば、タイトルに手が届いていたかもしれない。」
車中、上村はひとりごちた。上村自身、将棋の研究を怠ってしまったという気持ちはなかったが、やはりタイトルを獲得できなかったことを考えると勝利への何かが足りなかったような部分を感じてしまう。
タイトル獲得への追求。上村はタイトルホルダーが何をしていたのかを考えたことがなかった。本当だったら、彼らはどのようなことをして将棋に向き合い、生活をしてタイトルを獲得したのかと考えるべきだったのだ。
なのに上村は、将棋で強くなるには仲間との研究と日々の詰将棋を行うことと決めてかかっていた。そうした既成概念を覆した方法を見つけられた者こそがタイトルホルダーになれるのではないのか。
このとき上村に浮かんだのは、アイデアと着眼点次第で自分にも弟子の宮沢と同様に棋士として生きていく余地があるのではないか、とういことだった。
現在、将棋界は若手が伸び悩んでいる状況を見るにつけ、四十代、五十代がまだ頑張っているように思える。
二十代、三十代が不調なら、今こそ将棋を別の観点から見てみるとまだ自分もやれるかもしれない。だが・・・。
「俺に将棋の別の見方。そういうことができるのか・・・。」
突拍子もない考えだろうか。たしかに自分の将棋とはこうあるべきだと考えていたが、検討してみる価値はある。新たな将棋の勝ち方を生み出せるかもしれない。
昨日の対局が終わった後、自分がただ茫然と局面を眺めていた様子を思い出す。将棋で勝てないことで自分のすべてを否定された悔しさを噛みしめる。
今までのやり方を貫くのと、変化を恐れるのとは違う。
変化を受け入れ、将棋の棋士として新たな生き方を探すのは今がそのときではないのか。