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宮沢との初めての対局。上村は将棋の内容はほとんど覚えていない。対戦したのは雑居ビルの2階にある、小奇麗な将棋教室であった。
将棋盤が数十台並ぶ教室の奥に小さなスペースがあって、テーブルと椅子が置かれている。壁には大きな本棚が置いてあり、将棋に関する参考書や漫画がずらりと並んでいた。
「お待ちしてましたー。」
教室の経営者、戸田との出会いは簡単な自己紹介から始まった。
戸田は父親がプロ棋士であり、将来、親と同様にプロになることを期待されて奨励会(プロ棋士養成機関)に中学生の頃入会していた。しかし戸田自身、将棋に興味が無く、また棋士としての才能もないと感じていたらしい。そこで大学進学が決まった段階で奨励会を退会し、そのまま普通の大学生活を送り、有名商社に勤めていた。ところが、父親が急死ししたためやむ負えず彼が趣味で開いていた将棋教室を引き継いだ。そして教室を引き継いだあとは奨励会時代に築いた人脈を生かしプロ棋士を呼んだり、大人だけでなく子どもも教室で指せるようにしたりし始めたという。
人なつこい雰囲気の戸田は、「いや、上村九段、わざわざ来ていたただいてありがとうございます。」、と大きく頭を下げた。
「こちらこそ、呼んでいただきありがとうございます。でも意外でした。私のイメージする将棋教室とはずいぶん違ったので。」
上村の数十年前の将棋教室は不良やゴロツキの溜まり場であるか、もしくはヤクザや暴力団関係が出入りするような暗いイメージで、たとえまともな教室であっても中年もしくは年配の客しか来ない。
そんな上村の考えを察したのか戸田はハハハッーと笑った。
「今は将棋は大人だけでなく子どもにも大人気のゲームです。確かにかつてはここも暗い感じがする教室でした。しかし将棋盤を綺麗なものに買い替えたり、子どもが好きそうな漫画を置いたりしてクリーンな雰囲気の教室にしたのです。どんな人でも将棋を楽しんだり、興味を持ってもらえるように。上村先生も今日は将棋の対局のことは忘れてここに来る子どもや大人と触れ合って見てください。」
なるほど、と上村は感心した。
今まで長年、プロ棋士として将棋を指してきたがそこまで将棋が人気があるものとは考えたこともなかった。将棋とは一部のマニアの趣味や博打のゲームとしてでなく、多くの人が楽しめる娯楽として扱われているのか。
戸田は、自分が主催している将棋大会なども紹介しながら上村とともに子どもや大人同士が対局している将棋の観戦を見物する。
「私はプロ棋士であるため素人の方にどう接していけばいいのかよくわからないです。将棋ファンの方に指導対局は何度かしたことはありますが、おススメの触れ合い方はどうすればいいのですか。」
すると戸田は、
「先生は将棋の対局はお好きですか。」ときいた。
「そうですね。最近は対局をするより一人で対戦相手のことを研究、考えています。」
上村はこたえ、言い訳じみた言葉を続ける。「素人の方を呼んで研究会は開いたことは特にないです。はっきりといって・・・、悪いですが、自分と同じぐらいの棋力を持った相手でないと自分の将棋のレベルをあげるのは難しいですし。」
「でしたら、まずはあそこで一人で座っている子どもと対局してみてはいかがですか。」
それは、拍子抜けするようなアドバイスだった。「彼はプロとは違います。プロ棋士以外の方と対局してみれば自然と接し方はわかるかと。」
「対局の仕方はー?」
戸田は笑っていった。
「どんなやり方でもいいです。指導対局でも、コマ落ちでも、平手でも、なんでも。いきなり無理しないで少しずつ楽しみながら始める。それが素人との対局を長く続けるコツですよ。」
なんだかそれは、プロ棋士を長く続ける方法と一脈通じているような気がした。