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 将棋とは、縦横9マスずつに仕切られた将棋盤と将棋駒を用いる。将棋駒は、王将(王)、飛車(飛)、角行(角)、金将(金)、銀将(銀)、桂馬(桂)、香車(香)、歩兵(歩)、の8種類あり、それぞれ動ける範囲が決まっている。対局者は、互いにこの8種類の駒を使い相手の王を捕まえていくゲームであり、一方の王が相手の駒に捕獲回避不可能になった状態(詰み)で勝敗が決まる。ただ実際は、どちらか一方が逆転不可能と判断した時点で負けを認める(投了)ケースが多い。とりわけ先が良く読めるプロ同士では完全に詰むまで指すことは稀である。


 宮沢は今、プロ棋士、四段である。プロとは日本将棋連盟に属し、棋戦に参加出来る資格を持つ人である。そして将棋は四段になって初めてプロと呼ばれる。段位は四段から九段まであり、段位は将棋の7大タイトルを獲得したり、全棋士参加の一般棋戦で優勝したり、勝星をあげたりすることにより昇段していく。


 普通の棋士はほぼ七段、六段で引退するので九段の宮沢の師匠、上村治郎吉はかなり強い棋士といえるだろう。事実、上村は何度かタイトル挑戦をしたこともあり、また一般棋戦で5度優勝したこともある。そしていかつい顔と練りのある将棋を指すことから将棋界では、”西の鬼武者”と呼ばれていた。しかし・・・。それでもタイトル獲得はできなかった。現在は既に五十歳を過ぎており、若い頃のような将棋を指すことはもうできない。それどころか二十代、三十代の棋士たちに負けることのほうが多くなってきた。同年齢の棋士も体力と将棋に対する情熱が無くなったものから一人、また一人と引退していき、平成のいま、生き残った棋士は数えるほどである。


 関西将棋会館の道場で子ども同士の対局を見ながらふっーと、小学生の頃の宮沢を思い出す。当時の上村は四十代後半であり、精神的に非常に苦しんでいた。


俺はこんな将棋指しじゃないー。

もっといい将棋が指せるはずだ。


 年齢が行くにつれて集中力、体力、頭脳が衰えていくことは当然だと頭では分かっている。常に右肩上がりの成長をし続けることはできない。だが、どう控えめに見てもー実に残念なことだがー上村の将棋の成績はもちろん、内容が非常に悪い。


まだ引退できない。このままでは終われない。


 とそう思う一方、今の状況、やり方では到底なんとかなるとは思えなかった。将棋とは年齢など関係なく実力がすべてである。対局で勝つことができない有様なのに、プロとして続けることができるはずがない。そんな時、


「ジローさん。将棋教室で子ども同士の対局を見に行きませんか。」と知り合いの人から声を掛けられた。

 タイトル挑戦までした俺が、今さら子ども同士の対局を見て何か学ぶことがあるとはまったく思えない。それに今まで将棋しかやってこなかった。将棋のことしかわからないんだぜ。

だが、数秒じっと考えたあと承諾したのを覚えている。先行きの見えない、どうしていいのかわからない、医師から余命数カ月の診断をされた患者があとどう生きていいのかわからないような表情をしていたのだ。そしてそんな気分が晴れない時、その将棋教室で初めて対局した子どもが宮沢だった。

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