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NTK杯。1次予選は持ち時間20分。本戦から持ち時間10分になる、早指しの将棋トーナメント戦である。テレビでもライブで放映され、その場で解説もされる棋戦であった。そして優勝者はNTK杯覇者と呼ばれるが、普通のタイトル戦のように防衛戦はなく、本戦から再び対局する必要がある。したがって何度もNTK杯を優勝することは非常に困難であり、また早指しの将棋であることから時間の対策を練る必要がある。もちろん、棋士としての相性(将棋の気風)や運も関係してくる。
そんな棋戦に上村が着目したのは、持ち時間の短さだった。
彼は時間無制限で若手と戦い、そして勝つ自信は既にもうなかった。
若手の読みの深さ、集中力、勝利への執念。
上村には長時間それが継続できない。
それならば・・・。
”時間”、それこそが上村のような経験のある棋士がうまく使うことで若手に勝てる唯だ一つの手段のように思えた。
だが問題なのが、実際、上村はNTK杯で優勝した経験がない。また彼も他の棋士同様、タイトル戦に焦点を今まで置いていたため持ち時間10分がどんなものか肌で感じたことがないのだ。
「オレ自身、NTK杯で勝つ方法なのだが、あれこれ対策を考える前に、まず持ち時間10分将棋を行いたいと思っている。」
宮沢と夏菜子が驚いた顔をして上村をじっーと見るのを眺めながら上村はいった。「まずはどんな練習の対局でも持ち時間10分の対局にする。そうすることで、いろいろな問題点がみえてくると思う。」
「でも、ただ持ち時間10分の将棋の対局をしても、どう指していいのか、何を目的に指すのか困らないのですか。」
軽く右手を挙げていったのは、夏菜子だ。「真剣に将棋を指すからにはーええと、なんていうのか、コンセプトみたいな。」
「コンセプト?、何ですかそれ?」と宮沢。
「一種のこういう将棋にしたいという考えや概念といったところかな。」
「マジですか。そんなことを考えながら将棋を指さないといけないんですか。」と宮沢はしかめっ面をして肩をすくめる。
「難しいことじゃない。」
上村は思わず苦笑しながら、自分が考えていた将棋の理想について話す。
「NTK杯に対応するコンセプトは、スピードと諦めないことを実現する将棋にすることだ。ポイントは時間の使い方、NTK杯は持ち時間が短いので―これは若手でも何手先も読めないという利点があると思うのだが、従来の将棋よりもさらなる早く指していく。それと10分という時間を上手く使い相手にプレシャーを掛け、そして自分の勝負師としての勝負勘を慣れさせることだと思う。一応、オレの頭の中にあるイメージを書き出してまとめてみた。」
将棋には、”序盤”、”中盤”、”終盤”と大きく3つに分けられる。”序盤”は初手から駒組みが完成して駒がぶつかり合うまで、”中盤”は駒組み完成して駒がぶつかり合ってからどちらかの王の囲いが崩れ始めるまで、”終盤”はどちらかの王の囲いが崩れ始めてから終局までである。
対局時間が長い場合は”序盤”から時間を使う棋士も多いが、NTK杯ではほとんど”序盤”に時間を使わず、対局する前に考えていた方法または定跡通りに指す。そして一番の大事なところは ”中盤”と”終盤”だと上村は言う。彼は何冊か本をカバンの中から取り出し、宮沢と夏菜子にそれらを見せる。
「詰将棋ですか。」
その本を見て宮沢は言う。「”終盤”での対策ということですね。」
終盤力を磨く。相手の王を追い詰め投了に持ち込む手順を素早く考えること。そして”中盤”に時間を費やし、”終盤”では一気に王を詰める。もともとプロ棋士であれば対局する前にウォーミングアップのような感じで詰将棋の本を解く人は多い。上村も今も毎日のように詰将棋を解いてはいるがこの鍛錬を時間を決めてもっと早く行い、終盤に強くしようとするのだ。本も実践的なトレーニング本を購入し、手数の長い専門雑誌「将棋世界」、「詰将棋パラダイス」などもある。
「さすが、ジローさん。いい感じで進めているじゃないですか。」
感心した夏菜子さんに、「なるほど、なんか師匠がNTK杯で優勝しそうな気がしてきた。」と最初は上村の目標に悲観的だった宮沢もこの研究会に乗り気で意気込んでいる。「早速、持ち時間10分の将棋を指してみましょうか。オレも協力できるところはしますよ。」
「頼むわ。3人で今の将棋界に名を刻もうじゃないか。」
かくして、上村、宮沢、夏菜子の3人の新しい研究会はささやかに動き出したのである。