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34.社会人野球を踏み台にして

 最強打者論、奥が深いっす。


 だからこそこのバトルを実現させたかったのです。

「中田、アンタを敵として認めるよ」

「ああん!? 持ち上げてじゃねよ、黙ってかかって来いや!! オラあ!!」



 ピンと場の空気が張り詰めて行く。



 何だろうか、一見して拳銃で太ももを撃ち抜くと言う狂気の行為なのに中田は稲本の心を救ってしまった。


 敵から迷いが消えるなど状況が悪化したとしか思えない中で俺は目が離せなくなっていた。唾を飲み込むことさえ許されないような、そんな緊迫した空気が場を支配する。



 振り子打法の中田に神主打法の稲本。



 果たしてこの二人、本当に激突したらどちらが強いのだろうか? 瞬発力を活かしたヒットアンドアウェイならば稲本の方に分があると思う。



 だが稲本は怪我によってそれを封じられた形。



 中田が思い描いた状況に進んでいることは間違いないが、それでも稲本は甲子園経験者で超名門でクリーンナップだった男だ。


 俺にはそんな稲本が黙って負けを認めるような男とは思えない、そうでなくば甲子園で活躍なんて夢のまた夢。コイツは俺とは違う、修羅場を確実に潜り抜けてきた男なんだ。




 稲本がリラックスした様子でバットを上下に動かす。対する中田はそんな稲本をジックリと観察する姿勢を崩さない。先に動くなら間違いなく稲本だ、中田のバッティングは後の先だから。


 振り子打法はボールを観察する時間を確保するための打法、ならば必然的にそうなる筈なんだ。


 稲本はこの打法の考案者であるイチローを尊敬している。だからだろう、そう言った前提を理解して衝突は己がトリガーを持っていると分かっているからこそ彼は相対する中田に声をかけていた。


「中田、アンタはどうしてヤクザになった?」

「ああん!? なっちゃ悪いのかよ!?」

「アンタを見て思ったんだ、アンタは弱小野球部にいたかも知れないけど間違いなく猛者だ、いくら自分にペテンをかけても纏う空気は隠せないんだよ」

「へえ……、流石はエリート。分かってんじゃねえか!!」



 それは俺も感じていた。



 稲本の言う通りで中田は、いや中田のスイングはただのヤクザじゃない。コイツのスイングは間違いなくバットを振り込んでいる男のそれが。


 中田マルクス、コイツが何者か、俺もそれが気になって視線を送るとコイツは「仕方ねえなあ」とボヤきながら己の正体を語り出す。そして俺だけでなく稲本もその答えに驚愕することとなった。



「俺あ、これでも社会人ドラフトを狙ってんだ。高ヤ連にも野球部がある、これが弱将校にいた俺なりの下剋上だ、大学の推薦も社会人からのお声もかからなかった俺なりのだ!! 文句あっかあ!?」

「ようやく理解したよ、俺がアンタにここまで苦戦した理由が」

「ああん!? 今頃負け惜しみかーーーーーーー!?」

「俺は異世界に来てから素振りを止めた、日課だった練習も一年以上やってない。その差が出たんだろうね」

「……っち」

「俺はアンタを倒して日本に帰る!! アンタの言う通りメジャーでもセリエA野球でもメキシコリーグだろうと関係ねえ!! 世界に打って出るぞ!!」



 稲本は目を覚ましたかのように鋭い目つきになって再びバッディングフォームを取った。ギュッとグリップを強く握り締めて、己の全てを中田にぶつけることのみを考えた顔つきになっていた。



「じゃあまずは俺をぶっ倒してみな!! 野球に復帰するのはそっからだーーーーーー!!」



 そして二人の衝突は意外にも中田の言葉を皮切りに始まった。



 現役社会人野球選手と元エリート高校球児のバットが目にも止まらぬ速度で動き出す。カキーン!! と言うバットの衝撃音が拡散するように森中に広がっていく。


 だがぶつかり合ってからが本当の勝負だったようで、中田と稲本はそこからバチバチと自らのプライドをバットに乗せて振り切ろうと全身の力を一点に集中させていった。



 二人の表情から「絶対に引かない」と言う決意が伝わってくる。



 こうなった場合、やはり勝負の鍵を握るのはパワーなようで最初に優位を示したのは稲本だった。やはりこの男、全てのパラメーターが高次元に備わっているらしく、小柄ながら下半身の力を上手くバットに伝えていた。


 やはり神主打法を使いこなすだけはある、インパクトの瞬間にパワーを凝縮させてきたのだ。



「おっさん!! 歳には勝てないんじゃないの!?」

「うっせえ!! ガキがああアアアアアアア!!」



 それだけじゃない、稲本は選球眼も優れた選手だ。だからインパクトの瞬間に中田はバットの芯を外されたようで、苦しそうな表情を浮かべながら何とかして強引に振り抜こうとしている。



 ダメだ、バッティングは肩に力が入ったらダメだ。



 俺はそう思って中田の敗北を覚悟した。そう思って不意に二人の衝突から視線を外してしまった。




 そんな時だった。




 中田の声が聞こえたのだ、自信を漲らせて堂々と稲本に渡り合おうと言う気概を乗せた中田の声が。



「やっぱりやるじゃねえか……、流石はエリートだ。だがな、そのブランクをちったあ埋めてから掛かってきやがれ!!」

「なっ、な……何だとおおおおお!?」

「俺は六番打者だ、どう足掻いたってチームで一番にゃあなれねえ!! だからこうやって工夫して敵を仕留めるんだよーーーーーーーー!!」

「振り子からのオープンスタンスだと!?」



 中田は振り子打法から稲本とのバットのインパクトを経て、そこから足を開いてオープンスタンスへと移行し出した。すると中田のバットがスライドしながら芯で稲本のそれを捉え出して強引に引っ張ったのだ。



「ダッシャーーーーーーーー!!」



 中田は豪快に声を上げて稲本をライナー性の当たりでかっ飛ばしてしまったのだ。そして「ふう」と一仕事終えた職人のような顔付きになって飛んでいった稲本に向かって言葉を投げかけていた。



 その声が稲本に届いたかは今は知らない、だけど中田の言葉は本音だろう。



 俺はその言葉を耳に稲本が真っ当な野球選手に戻ることを切に願うのだった。



「稲本おーーーー!! テメエはうちのチームで請け負ってやるぜ!! 俺と同じく社会人を経てドラフトを目指しやがれ!!」



 中田マルクス、脅威の六番打者。


 メジャーリーグでも監督によっては統計学論を用いて最強バッターは六番だとする人もいるそうだ。



 かっ飛ばされた稲本は森の木に衝突して大ダメージを被って、脱力したようにズルズルと地面にずり落ちていった。そして一言だけ言葉を残すと完全に気を失って穏やかな表情となるのだった。



「……社会人野球も……層が厚いじゃん。また苦労するのかよ?」

「はっ!! テメエはエリートだろうが!! だったらそれくらいの壁は自力で乗り越えやがれ!!」



 どうやら中田の本心は稲本に届いていたらしい。

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