29.追い続けた背中
心の中では何を叫んだって許されると思うんですよね。で、それを糧に戦う。誰にも見られない一人だけのドラマがここにあります。
「スピードを上げるぜ!!」
「はっ、早い!?」
安藤は恐ろしいスピードで俺との距離を詰めてきた。
そのスピードは俺や先輩が目覚めたような『走塁技術』とは異なり、まさに神速、神風だった。俺は安藤の動きを目で追えずに焦りからバランスを崩してしまった。
俺はガクリと膝を突いて己の失態に悔しさを滲ませていた。
「ヒャッハー!! テメエもあれか!? 『走塁技術』保持者なのかあ!?」
「くっ、後ろか!!」
「遅え!! 俺の『盗塁技術』の足元にも及ばねえなあ!!」
安藤は俺がコイツの言葉に反応すると同時にバットを振り下ろしてきた。
その動きはもはやバッティングフォームなど見る影もないただの暴力で、安藤はただ力の限りに俺の背中をメッタ打ちにして来るのだ。
「オラ、オラオラオラ!! オラああああああああ!!」
「がっは!!」
表情にどす黒い笑みを貼り付けて安藤はただ快楽を追い求めるように俺の背中を何度も叩いてくる。俺は苦痛の声を漏らして地面を転がるように安藤の攻撃から逃れていった。
「んだコラ!! 勝手に逃げんじゃねえよ!! こっちはエクスタシーを感じ始めてすらいねえぞ!?」
「……ゴホッ。お前、球児だったくせに……フォームがグズグズじゃないか? それに盗塁技術だって?」
「俺は一番打者だ、出塁が義務付けられた男。だったら手段なんて選んでられねえんだよなあ!? そんでファーストに出たら次はセカンドに向かわねえと監督に怒られちまう!!」
少しずつ分りかけてきた。
そうか、走塁の技術は根本的に盗塁のそれとは違う。走塁は味方打線の結果を見てからスタートする、だが盗塁は相手ピッチャーの動作から始まる。
それ故にフェイントを織り交ぜつつ如何にスタートのモーションを削り、無駄を無くすかが肝となる。だから安藤の動きが俺には見えない。
そう言うことなのだろう。
とは言え、それを差し引いてもコイツは強い。だがコイツは先輩と違って単純に暴れることに興奮したただの戦闘狂、俺たち転移者のようなスポーツ選手じゃない。
動きが反復練習を繰り返すスポーツ選手のように理論やセオリーがないんだ。
俺は何とか安藤と距離を取れたが、コイツに盗塁の技術がある以上はセーフティとは言えない。案の定、安藤はそんな俺を見下すように舌なめずりをしながら盗塁を試みてくる。
俺と言うベース目掛けて恐ろしい速度で突っ走って来るのだ。
だが後手に回っては相手の思う壺、ならば俺はここまま安藤を迎え撃つ!!
俺は呼吸を整えてバッティングフォームに入り、安藤を速球を見立ててフルスイングでオーラぶった斬りを試みた。会心のスイング、これが当たれば安藤を倒せる。
俺はそう思った。
だが安藤はその上を言ってスライディングの姿勢へと移行してきた。この男は生粋のリードオフマンらしく、流れるような動きで俺の足元を狙ってきた。
マズい、俺はこの蹴りをまともに貰うべきではないと瞬時に悟ってスイングの軌道を変えた。フォークボールを狙い撃つようなアッパースイングにバットの軌道を修正していった。
「ヒャッハー!! テメエ、さては中距離打者だな!?」
「非力なリードオフマンの嫉妬か!?」
「言うじゃねえか、俺は確かにパワーが乏しい。だがなリードオフマンは1ミリの隙間だって逃さねえ!!」
俺にとってアッパースイングは必死の抵抗だった、だが安藤はそれをあざ笑うかのように低空飛行で蹴りを入れてくる。これはまさか、背中全体を地面に擦り付けるようにベースのミットを掻い潜る高等技術……。
「これが俺の『フックスライディング』だ、平伏しやがれ!!」
「舐めるなあ!! このまま振り切る!!」
安藤の下からのスパイクと俺のバットが衝突する。威力は五分、俺のバットは安藤のスパイクの前にピタリと止められてしまった。
まさか、盗塁の技術がここまで戦闘に活かせるとは思わず俺は目を見開いて驚いてしまった。そんな俺を安藤は下からニヤリと覗き込んでくる。
俺は安藤の目つきにゾクっと寒気を覚えてしまった。俺は走塁技術を駆使して木々を隠れ蓑にとにかく走りまくった。
マズいマズいマズい、マズい!!
安藤は盗塁でもバッティングでも俺を上回ってくる。俺はどうすれば良いんだ、コイツは強い!!
何もかもが通じない状況で俺は錯乱してしまった。とにかく逃げて何とか状況を打開せねばと、表情を悔しさで歪めてしまった。
だがそんな俺の悔しさを安藤と言う男はゴミを捨てるような感覚で弄んでくるのだ。安藤は逃げ回る俺を直立不動のままで罵倒してくる。
「ヒャッハー!! テメエも中村のカスも落ちこぼれなんだろう!? 日大最高野球部の二軍だってな!?」
「……何だと?」
「俺は違う、俺は浦角学院で一番センター。不動のレギュラーだったぜ!!」
「……だからなんだ?」
「テメエも中村のカスも俺以上のゴミだって言うわけだ!! こりゃあ傑作だぜ!!」
俺は走りながら怒りのあまりバットのグリップを握りしめていた。俺は良い、俺は何を言われても我慢する。
だが安藤、お前は絶対に言ってはいけないことを言った、言ったんだよ。
…………先輩をバカにするな。
「安藤!!」
「ヒャッハー!! やっぱりバカだぜ、挑発に乗って出てきやがった!! テメエも中村のカスと一緒だ!!」
「どう言う意味だ!?」
「あのカスもテメエよりも後輩をバカにされるとキレてきたってことだ!! あのバカ、ベンチ入りも出来ない分際で誇らしげに出来損ないを自慢しやがってよおお!!」
「俺がその後輩だ!! お前にとやかく言われる筋合いは無い!!」
俺はもはや平静を装う事も出来ず、気が付いた時には安藤に向かって一直線には走っていた。バットを強く握りしめて、あの腐り切った男に向かってフルスイングすることのみを考えていた。
対する安藤は俺を迎え撃つべくバッティングフォームに入る。
これまでとは打って変わって、「ふうう」と息を吐きながら呼吸を整え出していた。コイツの特性は『広角打法』に『流し打ち』と言う力に逆らわないバッティング技術。
とにかくテクニカルなのだ。
俺は先輩をバカにされて逆に思考がクリアになっていく感覚を覚えていた。先輩を貶されて最初はハラワタが煮え繰り返った思いだったが、今は怒りを通り越して敵をよく観察するようになっていた。
良く見れば、安藤はグリップを短く握っている。
コイツ、最初からパワーを捨てていたのか。
だったら俺がやることは一つ!! 先輩、俺にアンタの力を貸してくれ!!
「ヒャッハー!! テメエごとファールボールにしてやんよ!!」
「先輩をバカにするなああああ!!」
俺はインパクトの瞬間、咄嗟にフォームを解いて小さく構えを取った。俺は先輩の練習を一番身近で最も長く見てきたのだ。
だからあの人が出来ることは俺の記憶に全て叩き込まれている。
俺が動きを途中で変えたから安藤は初めて驚いた様子を見せた。コイツは俺をどう思っていたのか、中距離打者だと思っていたことは間違いない。
それでも俺が二番打者タイプだとは見抜けなかったらしく、俺の動きに驚きの声を上げていた。
「中村のガキと同じバントだと!?」
「現代野球は二番だろうとメジャーみたいにパワーを求められるんだよ!!」
俺の答え、それは安藤のバッディングをバントで処理することだった。
俺と安藤のバットがカキーンと言う音を鳴らして衝突を果たす、そして俺は初めて安藤の膝を地に突けることに成功した。




