フロントドア
一死二塁三塁、絶対負けたくない山吉弟は積極的に仕掛ける。
三塁走者に川島、逆転のランナーとなる二塁走者に市島と代走の切り札を投入する。
白縞が打席に立つと妹の一途は球場中に響く大きさで兄に声援を送る。
ありがたいはずの白縞も家族の持つバックグラウンドを考慮するとややありがた迷惑だ。
投手松岡は大きく足を上げて初球を投じる。走者がいるシュチエーションだが、盗塁の可能性がないため特に走者に気を払いクイックモーションをする必要もなく全力投球できる。
プロ入り確実視されるレベルだけにボールの質はやはりアマチュア離れしている。真ん中低目とコースはやや甘めだが、ボールの回転数とノビは素晴らしく、見逃した白縞はほれぼれするストレートに思わず軽くため息をついてしまう。
「ふー。151キロか……高校時代矢坂、この前の練習試合で渡部さんとそれ以上のスピードのボールは見てきたけど、その二人より何か打ちにくい感じがする。いくら早めにタイミングを取っても振り遅れそうな……二人よりベース上でボールが生きているんだ……こりゃますますストレートは捨てたほうがいい……スライダーがそれも僕でも打てるコースに行くことを願って……1,2,3だ。あくまでも1,2の3ではなく、1,2,3で振ることを心がけて……溜めを取っ払ってもストレートには振り遅れるからスライダーを狙うしかない……」
だが白縞の願いも虚しく連続でストレートが投じられる。またも手も足も出ずに早くも追い込まれる。
白縞は一度打席を外して周囲の反応を確かめる。ベンチの様子は? 白縞の起用はあくまでも応援に来てくれた家族へのサービスの一貫。打たないでも仕方なしの姿勢だった山吉弟は、白縞の積極性のなさに少々いらだったのか、右足のつま先を激しく上下させている。
「やば……監督、ちょいキレ気味だよ……でもこれも狙い球を絞っての積極的な撤退、逃げの姿勢。ミーティングで常々、“考えがある上での見逃しは評価する” って説いてるんだし……。でもストレートは手も足も出ないからスライダーをひたすら待っているって見逃しのまっとうな理由にはならないかな……」
山吉弟のパワハラに怯えつつ、今度はネット裏をちらり。
「うわあ……前に来ているよ……」
興奮した母親と妹一途は離席しネットに張り付きながら途切れることなく声援を送っている。
「随分声量大きいなと思ったらこれだよ……こりゃもう誰の目にも明らかだ、僕の身内だって……それでお母さんの時代遅れのTシャツに注目が集まる。『ひびこれ愉快』!?、あーちょっと前流行ったアニメかー、いまさらどうしてと記者はお母さんを尋問する……間抜けにもお母さんは隠すことなく漫画家であることを明かすだろう……」
白縞は親が人気漫画家であることをひた隠しにするが、一方の母親は特に気にすることなくあけっぴろげだ。漫画家は家に籠もる職業のためにもともと交友関係は恐ろしいほど狭い。
「お母さんの親しい友人・知人は同じ漫画家仲間だけで特に気をつけることもなく秘密は守られきた(漫画家という人種は陰性な気質の持ち主が多いため、同じ気質の漫画家同士で固まりやすい)。妹だって僕と同じで漫画のモデルになっていることを知られたくなく、親の職業についての他言は避けてきた……(だが妹は抜けている面があり、うっかりひびこれTシャツを着てきた母親を咎めていない)。箝口令の結果、10年秘密は保持されてきたんだが……もうだめだ……僕が『ひびこれ愉快』の間抜けな長男 “まど” のモデルであることがバレてしまう……」
打席を外して間合いを取った結果、厄介事を2つも抱え込んでしまった白縞はそれでもこれから自分の身に起きることをシュミレーションすることに集中する。
「追い込んで相手バッテリーは一球遊んでくるか? いや高卒新人である僕を舐めきって三球勝負してくる可能性が高い……。ならばストレートで押し込む? 僕の無抵抗な見逃し2つを考えみればその選択の可能性も高い。でもスライダーを投げてくれないとこまるんだ……それしか打てる可能性ないんだから……待って投げてくれる保証なしとならば誘うか……ちょっとレベルの低い演技だけどやらないよりましだ……」
白縞は捕手と18.44m先の松岡に聞こえるように、
「ストレート、ストレート、150キロに振り遅れない……振り遅れない……」
と大きな音量で繰り返し、心の声が思わず漏れたウブな新人を装う。
捕手はそれを信じたどうかわからないが、
「やらないよりまし。ストレート狙いの打者にストレートを投げさせて万が一打たれたらこのバッテリーには産業石油の中久保監督に大説教が待ち受けるのだろうから。因縁ありで大乱闘のあとの説教だからその怒りも史上最悪だろう。それを避けたいなら、ストレートを投げさせるより安全なルートを取るはずだ。狙いを外したまだ見せてない変化球なら万が一もないと計算してくるだろうから……」
いつもの白縞より戦略の練りが足りないが、さすがの白縞も秘密がバレる危機に直面したら頭が鈍ってしまうのか。
結論からいうとバッテリーは白縞の上をいく。投手松岡23歳、捕手は27歳とやはり18歳の白縞とは年季が違う。
バッテリーが選択したのは、スライダーはスライダーでもインコースから曲がってくるいわゆる “フロントドアのスライダー”。
「うん? インコースのストレート!?」
打者はボールと見送ったところ、ストライクゾーンに曲がり見逃し三振を狙いにいく高等技術だ。
インコースに投げるために当然死球の危険性もあり、ストライクゾーン真ん中よりに曲がれば甘いボールと化す確率も高まるために、相当コントロールに自信がなければ投げられないボールをバッテリーは選択してきたのだ。
スライダーはスライダーでも外に逃げる軌道しか想定してない白縞はこのまま3連続見逃しで三振に倒れるのか。もしその結果なら監督の史上最悪の説教を受けるのは相手バッテリーでなく白縞となるが。




