13冊目『四葉の浴衣』
「おかえりぃ……」
俺と四葉を出迎えたのは、机に倒れ込んだ彩乃だった。
いつもの元気はどこへやら。普段なら一時間以上もどこかに行っていたことに文句を言いそうだが、それどころかこちらを見ることさえしない。
「だいぶ絞られたな」
「死んだ。もう私は死にました」
「結構進んでるじゃんか。それに四葉、わかりやすかっただろ?」
「わかりやすかったけど……こう、圧……圧が……」
「あー……まあ、わかる」
幾度となく俺も感じたことだから、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
いや、四葉はいい先生だ、基本は。でも機械みたいな理路整然とした教え方や、変わらぬ無表情。それらがなんというか、今理解しないとやばいみたいなことを思わせる圧を放っているのだ。
「今日はもう終わるぅ……。四葉ちゃんは鬼だぁ……」
「ははは……おつかれ」
彩乃は好き勝手言ってるけど大丈夫だろうか。
盗み見るように四葉に視線を向けると、彼女はいつの間にか自分の席に着き、読書を再開していた。
いつも通りに。さっきまで呪いの話をしていたというのに、ぱっと見は普段と変わらない。
『……すこしだけなら、いいわ』
俺が呪いについて教えて欲しいと頼み四葉がそう答えた後、彼女は呪いの内容について語ってくれた。
教えてもらったのは二つ。
『死体は、一瞬でもあらゆる人の視界やカメラから外れればその瞬間に消える』
『生き返る時間は正確にはわからないけど、おそらく深夜一二時あたり』
彼女の言葉通り、本当に少しのことだ。正直呪いを解く手がかりになるとは思えなかった。
呪いとは少し違うが、最近、特に高校に入ってからはほとんど死んでいないとも言っていた。
死んだとしても、何か特別なことがあった時。その例として彼女が口にしたのが、初めて俺と手を繋いだ時とか、俺が誕生日プレゼントをあげた時とか、反応に困るものばかりだったけど。
「夏樹、これなに?」
彩乃に目を向けると、俺があそこから持ってきた本をパラパラとめくっていた。例の呪いの神社が載ったものだ。
興味あるのかないのか、「ふーん、ほーん」なんて口にしながらページを進めていく。いや、興味のない早さだな、あれは。読む気ないだろ。
「いや、ちょっと調べ物をさ」
「ふーん……神社かあ、結構あるんだねえ。……ってか夏樹、勉強は?」
「あー……」
やばい。
ジト目でこちらを見てくる彩乃から逃げるように視線を外す。すると彼女は不服そうに頬を膨らませた。
「もー! 私にだけ勉強させといて夏樹してないじゃん!」
「お、俺はいいんだよ。赤点取らないから」
「へー、前危ないのあったじゃん」
「……あの科目はちゃんとやるって」
彩乃の視線が痛い。おかしいな、なんで俺が攻められてるんだ。
よほど四葉が怖かったらしい。なにを言っても引き下がりそうになかった。
助けを求める視線を四葉に向けた。読書をしていた彼女はそれに気づくと、いつもの呆れたようなため息を漏らす。
どうやら助けてくれるらしい。ほっと胸を撫で下ろす。
「桜木さん、この人のことは放っておきましょう? 水流君よりいい点数とって、思いっきりバカにしてあげればいいのよ」
全然違った。いや、助けてはくれてるけどその言い方はどうなんだ。
しかし彩乃は結構単純だ。今ので納得したらしい。「そうだよね!」とまた表情をコロッと変えて、今度は素晴らしいドヤ顔を見せてくる。
うん、ムカつくな。
「なら、俺よりいい点数取るために、もっと四葉に勉強教えてもらわないとな」
「別に私は構わないけれど」
「え!? あ、あー……それは、いいかなぁ、なんて……あ! な、夏樹、ここ紙挟んであったけど、なんかあるの!?」
下手くそな話題転換だなと笑いながら彩乃が差し出した部分を見ると、例の呪いの神社のページだった。
「あー、それは今調べてるやつに関係ありそうだから、今度話を聞きに行こうかなって思ってたんだ」
「そうだったのね」
「え!?」
意外な人物の言葉に俺はつい声をあげた。
いや、呪いかかってるのは四葉だろ。それにこの神社の話もさっき少ししたから、てっきり行くものだと思っていた。
いやまあ、ちゃんと誘ってはいないけど。
しかし俺の言いたいことは伝わったらしい。でも彼女は少し困った顔をするだけだった。
「その……私は、ちょっと……」
「一緒に行ってくれないのか?」
「ええ、その……神社ってあまり、好きじゃないのよ」
そういえばこの前のお化け屋敷の中で、神様は嫌いみたいな話を聞いた気がする。
でもなんというか。なんだろう、いい気分ではない。
これは四葉のためのこと。呪いにかかっているのは四葉だ。なら、一緒に調べたりしたいと思うのは、おかしなことだろうか。
ふつふつと嫌な気持ちが湧き上がってくる。
「あ、ここ八白神社なんだ。呪いの神社ってやつのせいで気がつかなかった」
唐突に、そのページを眺めていた彩乃がそう言った。風に吹かれたように、さっきまでも感情が消えていく。
「知ってるのか?」
「うん。ここあれでしょ、毎年この時期に夏祭りしてるとこでしょ」
「夏祭り?」
「知らない?」
そんなものやってただろうか。四葉に目を向けるが、彼女も首をかしげるだけだった。そんな俺たちを、彩乃は残念そうな目で見てくる。
「結構大きいやつなんだけどなー。花火も上がるし。夏樹は友達いないからしょーがないかー」
「俺だけかよ」
「あとはまあ、毎年期末テストに被ってるし、行けないーなんて言ってる子多いんだよね。まあ無視していってたけど」
「だから赤点取るんだろ……」
「う、うっさいなあ!」
どっちにしろこの時期のテスト以外でも赤点とってるから、それが原因とも言えないけど。わちゃわちゃ騒ぐ彩乃を流した。
「花火……」
ぽそりと呟いたのは四葉だった。
「四葉ちゃん花火好きなの?」
「いえ、そういうわけじゃなくて。その、見たことがないのよ」
「うそ!?」
「見たことないといっても、実際に見たことがないだけだけれど。テレビでならあるわ。あと、見たことないのは打ち上げ花火みたいな大きなものよ?」
いや、そんなことを言われても普通に驚く。彩乃は目を飛び出さんくらいに大きく見開いていた。多分俺も同じ顔をしている。
でも遊園地の時も確か、今回が初めてみたいなことを言ってた気がする。もしかしたら、今まで外出が極端に少なかったのかもしれない。
高校生になってこっちにきたみたいだし、前いたところでは花火大会みたいなものもなかった可能性もある。
でも、うん、びっくりした。
すると彩乃がグリン! と顔を勢いよくこちらに向ける。
「夏樹」
「いやまて、俺別に遊びに行きたいわけじゃ」
「夏樹」
「それに今、テスト期間だろ」
「夏樹」
「それやめろ怖いから」
気がつけば四葉もこちらを見ていた。その瞳は、こころなしいつもよりキラキラしているようにも見える。
大きく、大きくため息。頭をかきむしる。
「……わかった、わかったよ。行こう、その夏祭り」
「ありがとう、水流君」
「じゃあ私も――」
「あなたは勉強」「お前は勉強」
「あうぅ……」
これでいいのだろうか。なんだか全然順調にいっていない気がする。
ついまたため息をこぼしそうになる。しかしそこにいるのは無表情でもどことなく嬉しそうな四葉だ。
四葉が喜んでるなら、まあいいか。
そんなことを考えながらため息を飲み込んだ。
◆
随分と俺の環境、あと俺自身も変わったな。四葉が積極になってからは特に。
待ち合わせ場所、八白神社最寄り駅前でそんなことを考えながら道行く人々を眺めていた。
まだ太陽が朱色に変わる前の時間帯。俺と四葉こそここが地元だから電車には乗らないけど、駅から着物を着た人が多くなってきている。
二人、三人でいる人もいれば、女性一人だけの人もいる。彼氏や友達と合流するのか、なんてどうでもいいことを妄想する。
その中の一組、おそらくカップルであろう男女が手を繋いで歩いているのが目に入った。ああいうのをどこか羨ましく感じていたのを思い出した。
今まで全然人と遊ぶということをしてこなかったせいか、誰かを待つというこの時間がやけに落ち着かない。結果まだ待ち合わせ時間まで三〇分以上あるというのに、増えつつある人混みの中に四葉の姿を探し始めていることに気がついた。
「……緊張してるのか」
考えてみれば当たり前の話。今まで四葉とほとんど二人きりで出かけたことなかったし。こんな早く来ていることが何よりの証拠だ。
「――随分と来るの早いのね」
鈴のなるような声がしたのは、そこから五分もしない頃合いだった。
「四葉もな」
「遅れないよりはいいでしょう。お決まりの問答でもしたほうがいいのかしら」
「お決まりの……? ああ、別にいいだろ」
「待ったかしら?」
「やるのかよ。はぁ、今来たところだよ。……じゃなくて」
そうじゃなくて。なんとなくムズムズして顔を逸らす。逸らしつつもチラと視線だけは四葉に向けると、彼女は首を傾げていた。
「……浴衣、着てきたんだな」
正直、期待しなかったといえば嘘になる。でも本当に着てきてくれるとは思わなかった。
「変かしら」
「いや、そうじゃなくて。その、四葉に一人暮らしだろ? それ四葉のか?」
「いえ、これは母親のものよ。サイズもちょうどよくて助かったわ」
一人暮らしに母親の浴衣を持っていくのか……? よくわからないけど、そういうものなのだろうか。
そんな一人納得する俺を、四葉は少しだけ不満の色を顔に映して見ていた。
「……もっと他に、いうことがあると思うのだけれど」
「他に?」
「はぁ……浴衣を着てきた恋人に対する感想もなし? そんなに似合ってないかしら」
「いや! そうじゃなくて!」
万が一にもそんなことはない。断じてない。
思わず照れて目をそらしてしまう程度には、その、可愛いとは思う。
淡い青色を基調とした生地は暗すぎず、でも四葉のクールな性格とあってていいと思うし、そこに派手すぎない程度に花が咲き、見ていて飽きない。いつもは二つの三つ編みでまとめている長い髪もアップで結われ、いつもは見えない白いうなじがグッとくる。
そもそも、自分の恋人の、いつも見ている姿とはまた別の姿というだけで結構テンションが上がってしまうものだ。
でもそれを実際に口にできるかというと、また別問題。
羞恥心と、そして――呪いのせいで。
「…………」
「水流君?」
「……いや、なんでもない」
「そう……難しいわね」
四葉はそう呟いて、思慮にふけるように目を閉じた。
それは単に俺に似合ってると言われることか、それとも呪いのとこか。多分、後者だろうけど。
なんとなく、後ろめたい。
「それじゃ、行きましょうか」
しかし四葉に気にした様子はない。ごくいつも通りの無表情でそう言った。
「……ごめん」
「別にいいのよ、わかってることだから。それより――」
そこで不意に四葉の言葉が止まった。かと思えば、口に手をやって思案顔。
「四葉?」
「……いえ、なんでもない、なんでもないのよ、ただ……そうね、んんっ!」
小さく咳払い。そして彼女が見せたのは、四葉にしては不自然が過ぎるくらいに明るい笑顔だった。
「さあ行きましょ!」
「……は?」
声も起伏に富んでいる。というか、こう言っちゃなんだけど生気に満ちている。表情もお花が咲くような、それこそ彩乃と同じタイプの笑顔だった。
なんというか。
全然似合わない。
きっと俺は微妙な顔をしていることだろう。しかし意外と四葉は図太い。全く調子を崩そうとしなかった。
「楽しみだったのよね! まずどこに行きましょうか!」
「……四葉」
「あまり普段からこういうの食べないし、この機会に色々食べてみたいわ!」
「四葉」
「どうしたの?」
「四葉、今度は何の本読んだんだ?」
すると四葉は目を見開いて見せた。すると仮面が外れたかのようにいつもの四葉に戻る。
うん、こっちの方が落ち着く。
「とある少女漫画なのだけれど、不満だったかしら」
「そういや四葉、漫画も読むんだったな……。いや、不満っていうか、落ち着かない。そもそも何で急に」
「前回、あまり楽しめなかったでしょう」
「前回? ああ、遊園地か」
言われて思い出してみるも、全くそんなことはなかった。まあ確かに色々とあったけど、なんだかんだ楽しかったし。
「そんなことはなかったけどな。もしかして気にしてたのか?」
「私が原因だし」
「律儀だなあ」
「当たり前でしょう」
少し不満げに彼女は口にした。
「こちらから誘ったのだから、楽しんでもらわないと」
「考えすぎだって。いいんだよ、別に。いつものままで、いつもの四葉で。そっちの方が落ち着くし、俺は好きだ」
何も考えずにそう告げれば四葉は目を丸くした。そしてふっと笑う。
……ん? 俺もしや今、かなり恥ずかしいことを口走ったのでは。
今言ったことを反芻。頭も顔も熱を帯びる。
「忘れて……」
「あら、嬉しかったわよ? 録音してないのが唯一の失敗ね」
「いやほんと勘弁してくれ」
「ふふふ、早く行きましょう? せっかくこの時間に集合にしたのだから」
花火が始まるまでまだ十分に時間がある。それこそ、ようやく夕日に染まりかけたくらいだ。
いいや、もう忘れよう。四葉だって嬉しそうだから別にいいや。
それじゃと歩き出そうとした時、四葉が手を差し出した。
雪のように白く、細い手。
本当に、俺も俺の周りも変わったものだと思う。
改めて、そしてしみじみとそう感じながら、彼女の手を取った。