“何か”の気配
「勇者が来るって……獣の勇者か?」
「そう、誰も見たことがないっていう、あの獣の勇者だよ」
『勇者』は、突然変異で生まれた超越存在だ。
神が何らかの目的のために地上の人間に力を与えた存在で、多くは神の啓示と共に力を手にする。エリザの神託と違うのは、勇者が受ける啓示は神からの使命を伝えるもので、実質的には命令に近いことらしい。
今回この街に来ているという『獣の勇者』は獣人族で、獣の神ビースティアからの啓示を受けた勇者だそうだ。獣人族は創世の際にヒトの神と獣の神が共に作ったと言われる種族で、ヒトと獣の特徴を併せ持つ種族だ。耳や尻尾がヒトではなく獣のものだったり、聴覚や嗅覚が優れていたりする。
誰もその姿を見たことはないが、獣の勇者は、獣の神の啓示によって教会の神官戦士団と共に魔物退治をして回っていることで有名だ。
獣の神はその名の通り獣を作った神であり、自然の調和を守る神でもある。その自然の調和を崩すような強力で、かつ自然にはない力によって発生する魔物、例えば異次元から現れる悪魔や不死者なんかを退治する役割を与えているらしい。教会も創世神の手に依らない創造物であるそのあたりの魔物を忌み嫌っているのので、神の使徒である勇者を抱えることで教会の正当性も保てるし、戦力としても都合がいいらしい。
獣の勇者の戦闘の痕跡はまるで嵐の後のように破壊されつくしているらしく、丸太よりも太い腕で戦槌を振り回す、見上げるような大男だとか噂されている。
「――って感じだね」
と、ひと通りエリザに説明された。獣の勇者は有名なので、なんとなく知っている情報もあったけど、エリザの情報の方がはるかに詳しい。
「……おまえとアイのおかげで感覚がマヒしてるのを感じた」
とんでもない存在のはずだけど「ふ~ん……」くらいの気分で聞いてしまった。
「ただ、せっかくこの街に来るなら、ちょっとくらい見てみたいな」
『神託の剣姫』、『竜の剣聖』に並ぶこの国の有名人だし、見てみたい気持ちはある。関わり合いにはなりたくないけど。もっとも、獣の勇者が活動を始めたのはここ一年ほどで、生きる伝説である『神託の剣姫』と比べると人気は落ちる。
誰もが知っている神託の剣姫は言うまでもなく、竜の剣聖も十代の美少女だ。その一方、獣の勇者はあまりに情報が少ないし、活動期間も短い。それに、戦鎚を振り回す膂力の獣人族、ということは熊や猪なんかのいかつい獣人だろうし、そりゃ人気も出ないか。
「えっ、な、なんで!? ぜっ、絶対私の方が強いよ!?」
「そ、そんなに対抗するところか? そりゃあ僕もエリザのほうが強いと思うよ」
僕には想像もつかないレベルの領域の強さの話だけど、エリザの方が強いだろうなとは思う。同じ神聖魔法の使い手同士だからこそ、創世神と獣の神の神格の違いは大きそうだし、なによりエリザには時間凍結がある。誰にも勝てるわけがないだろう。
「よ、よかった……。お兄ちゃんは獣の勇者なんかより強い私が守るからね!」
大げさに胸をなでおろすエリザ。
「獣の勇者にそんな気はないだろ……」
そもそも僕のことを知ってるはずがない。仮に、知りもしない勇者とエリザを天秤にかけたとしても、強くてかわいい妹がいいに決まってる。
「単に好奇心で勇者を見てみたいってだけだよ。まぁ多分見れる機会なんてないと思うけど。そもそもこの街に何しに来るんだろう」
「う~ん、普通この街に来るならカルナディアス大迷宮に用がある、っていうのが考えやすいけど、迷宮は自然物じゃない。獣の神の調和の守備範囲外だと思うんだ」
難しい顔で俯いていたエリザが、はっと顔を上げた
「……獣の神の調和を乱す“何か”が迷宮で生まれるのかも」
「何か……?」
「大迷宮の魔力で強力な魔物が生まれて、迷宮の外に出ようとしてる……とか。そういえばさっき話した時に、アイリスが深層の様子がおかしいって言ってたんだよね。お兄ちゃんを襲った老竜もなんだか様子がおかしかったし、私がこの間倒した高位悪魔もあんな浅い階にでてくるような魔物じゃない。深層よりもっと深い場所で何かがあった可能性は高いかも」
「それっておおごとなんじゃ……」
歴史を紐解くと、大迷宮から強力な魔物が地上に現れて大暴れした事件は何件かあるらしい。僕どころかエリザも生まれてない頃の話だけど、歴史に残るような事件だったはずだ。
「う~ん、獣の勇者が動いてるなら大丈夫だと思うけど、この街に何かあるとお兄ちゃん困るよね……」
「困るなぁ……」
「うう……お兄ちゃんが困るならしょうがないな……」
エリザは腕を組んでちょっと考えた後、ふぅ、とため息をひとつ吐いて――、
「……じゃあ、会ってみよっか。獣の勇者に」、と言った。