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姉はもういない  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!
【 表 】

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4


 ある夜会でキャロラインの叔父にあたるミンズ卿が、フェリックスのもとへやって来た。


 ミンズ卿は三十八歳の男盛りで、社交界では名の通った、ひとかどの人物である。


 テスター伯爵の弟に当たる彼は、まだ若い頃に、莫大な資産を持つミンズ家に婿入りした。


 五年前に年上の妻を亡くしてからは、彼は浮いた噂もなく、ずっと独り身のままでいる。


 しっかりとした高すぎる鼻と、角ばった顎が特徴的で、全体的に武骨で男らしい顔立ちをしているのだが、それを中和して甘さを加えているのが、少し垂れ気味で間隔の離れた薄緑の瞳だった。


 濃い金の髪は癖がなく、肩のあたりまで長く伸ばして流してある。


 このように精悍さと、あざとい色気が交ざり合った彼は、年配の女性から熱烈な支持を受けているとのことだ。彼のことを蕩けるような瞳で眺める年上のマダムは、実際のところかなり多いらしい。


 ところで彼は、『この世界でただひとりの、キャロライン・テスターの味方』だと噂されている人物である。


 彼は普段滅多に激することがなく、温厚な人柄で知られていた。そしてその見上げた辛抱強さは、特に姪っ子を相手にした際に、遺憾なく発揮されるらしい。


 この時も彼はフェリックスのもとにわざわざやって来て、


「最近、良くない噂を聞いたのだが……キャロラインと喧嘩ばかりしているそうだな」


 といらぬお節介を焼き始めた。


 このあとミンズ卿が何を言うのか、フェリックスには容易に想像がついた。


 勝手な醜聞にはフェリックス自身、ほとほとうんざりしていたのだが、かといってどうしようもないことだった。


 なぜなら当事者が否定しようがしまいが、結局のところ人は、その場が面白可笑しく盛り上がる内容しか信じない。それを悟ってからは、事実関係を正しく理解してもらう努力を放棄するようになった。


 というよりも、フェリックスは口さがない連中に対して、軽蔑にも似た苛立ちを感じていたのかもしれない。


 自らのプライベートな問題に関して、どうして赤の他人に向かって「私はこれこれこういう心積もりで、将来的にこうするつもりだ」と弁明する義務があるのだろうか?


 百歩譲って相手が心底心配してくれているなら、まだ説明する意味もあるだろう。


 しかしあれこれ訊いてくる連中は、大抵面白半分に鼻先を突っ込んでくるだけなのだから、これに真面目に付き合ったって、なんの得にもならない。


 だからこの手の話題を振られた時には、いつだって彼は、


「事実無根であるから心配しないでくれ」


 と端的に言い放って終わりにしていた。冷たい瞳を向けてやれば、相手はすぐに居心地が悪くなる。


 しかしキャロラインの叔父にあたるミンズ卿は、若輩者のフェリックスが簡単にあしらっていいような相手ではない。


 そこでミンズ卿の忠告については、真面目に傾聴する姿勢を取ることにした。


 ミンズ卿は顰めツラになり、熱の籠った口調で続ける。


「あの子は撥ねっ返りに見えるけれど、裏表のない性格だし、とても素直な良い子なんだ」


 これにフェリックスはたまらず、


「裏表がない……?」


 と呟きを漏らしていた。


 ……もしかするとこの世界に存在する女性の中で、彼女ほど裏表のある人間はいないのではないだろうか?


 顔を強張らせるフェリックスを見て、ふたりの行く末を危ぶんだのか、キャロラインの叔父が角度を変えた脅しをかけてきた。


「彼女は君を愛している――だから君に捨てられたら、彼女は何をするか分かったものではないぞ」


 ここまで言われては、さすがにフェリックスも受け流せなくなる。


「彼女の言動のどこに、僕への愛があるというのですか。すべての振舞いが自分勝手だ」


「そんなことを言うもんじゃない。どうしたら君は分かってくれるのだろう?」


 知ったことか。


 僕を諭すより、この時間を姪っ子の説得に費やしたほうが、ずっと建設的に思える。


 不機嫌になるフェリックス。


 そんな彼を難しい顔で見おろし、ミンズ卿が言葉を重ねた。


「彼女が剣技を磨いているのを、知っているかね?」


「存じていますよ。すごい腕前ですね。男でも相当鍛えていなければ、彼女相手では手も足も出ないでしょう」


「そうだ」ミンズ卿はどこか勝ち誇ったように頷いてみせる。「彼女は浮気者には容赦しないだろう。剣の錆にされたくなければ、自らの軽率な行動について、よく考えてみることだね」


 年若いフェリックスに辛辣な警告を与えたあとで、ミンズ卿は姪っ子がいる方角に視線をやった。


 釣られるようにフェリックスがそちらを見ると、壁の花と化すキャロラインの姿があった。


 激高していない彼女はどこかあどけなく見える。


 キャロラインは難しい哲学の問題にでも行き当たったような、なんとも形容しがたい、深みのある表情を浮かべていた。


 いつもの苛烈さが消え、妙に凪いでいるといったらいいのだろうか。


 そこへ彼女の妹が懲りもせずに近寄って行き、じゃれつくように話しかけると、キャロラインは冷めた瞳でクレアを眺めながら、何やら皮肉げに返している。


 ここからでは何を言っているのかは聞こえないが、こうして引きで見ていると、そこまで姉妹仲が悪いようには見えない。


 そう――キャロラインはフェリックスが妹と話している時だけ、狂ったように癇癪を爆発させて、文明社会での在り方を忘れてしまうようなのだ。


 フェリックスが半歩身体を引き、ミンズ卿の様子をそっと窺うと、姪っ子を愛おしげに見つめる彼の横顔を拝むことができた。



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