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婚約が決まると、友人たちから同情半分、面白半分にからかわれる日々が続いた。
「どうしてあんなイカレ娘と婚約したんだい?」
友人の中でもとびきり無神経なスレードが、そんなふうに不躾に尋ねてきた。
フェリックスは腹を立ててもいいようなものであったが、かえって毒気を抜かれた。
「そんなことは、僕のほうが訊きたい」
……あんなイカレ娘、か。確かに彼女の振舞いは狂気の極みだった。
とはいえ、だ。
キャロラインの頭のネジがどんなに緩んでいようと、フェリックスはそれを言い訳にして、婚約者の義務を放棄するつもりはなかった。
キャロラインに気を遣ったわけではなく、父の監視が厳しかったからだ。
厳格な彼の父親は、息子が不貞腐れて反抗的な態度を取ろうものなら、鞭のひとつでも打つような人である。婚約が乗り気ではない、ということが父に伝われば、面倒なことになる。
そこでフェリックスは見上げた自制心を発揮し、定期的にテスター家を訪れるのだった。
しかしこうした彼の涙ぐましい努力が報われることは、ついぞなかった。
フェリックスがテスター家を訪れると、どういう訳かキャロラインではなく、妹のほうが先に現れる。
クレアはまるで悪戯妖精のように軽やかに纏わりついてきた。そして彼を庭に連れ出そうとしたり、サロンに引っ張り込んで、ともにお茶を楽しもうとしたり、そばを離れようとしない。
そんな訳で、気づけばクレアと長時間一緒に過ごすことになるのだが、あとになってどうしてそうなったのだと自問してみても、フェリックス自身にもよく分からないのだった。
しかし姉のキャロラインと比べて、妹のほうがまだ、常識的な話が成立するというのも事実であった。
クレアは朗らかで何事に関しても前向きであるし、楽器の音色のような美しい彼女の声は、聞き手に余計なストレスを与えない。
彼女はなんと表現したらよいのか――……フェリックスと親密そうな空気を作り出すことに長けていて、無防備で開けっぴろげな所があった。おそらく彼女は男女問わず、気に入った人間に対してこのような態度を取るのだろう。
社交的なようだが、機転が利くかといえば、そうでもない。会話が噛み合わないこともしばしばある。
しかし日々の出来事を一生懸命明るく語る彼女に、多くの男は慰められるのかもしれない……フェリックスは彼女のよく動く口を眺めながら、そんなことを考えていた。
クレアの話に惰性で相槌を打っていたフェリックスは、婚約者のキャロラインが嵐のような勢いで飛び込んで来たのを見て、『ああ、またこのパターンか』と頭を抱えたくなった。
いつも、いつも、いつも、いつも……どんな時も例外なく、懲りもせず、執念深く、荒々しい気配を纏って彼女はやって来るし、舞台上の決まりごとのように、このあとは不愉快な一幕が繰り広げられる。
キャロラインは美しい顔に似合った濃い色のドレスを纏い、問答無用とばかりに部屋に押し入って来た。
「フェリックス様、あなたは誰の婚約者なのですか? 妹とふたりきりになり、そのように近しい距離でお話して、あなたはひどい人だわ!」
「お姉様、彼を責めるのはやめてください」
クレアが気弱そうに口を挟むが、それは火に油を注ぐ結果となる。
キャロラインは瞳を危険に煌めかせ、妹に命ずる。
「あなたは早くこの部屋から出て行きなさい! 出て行きなさいったら、この泥棒猫! 大人しい顔をして、よくぞ恥ずかしげもなく、私の婚約者に手を出せたものね!」
野良猫を追い払う時でも、もう少し容赦をするだろうというくらいの苛烈さで、キャロラインは捲し立てる。
驚くなかれ――フェリックスがクレアと話していると、彼女はいつもこんな調子なのだ。
それはこのテスター家の屋敷に留まらず、舞踏会などの社交の場でも同様の醜態が繰り返されたので、キャロラインの評判は一刻一刻、大袈裟に言えば息をするごとに落ちて行った。
こんな時の彼女の瞳は膨大な熱を秘めているように感じられた。星が弾けて消し飛ぶ瞬間を見ているようだ。
呼吸法がしっかりしているのか、腹の底から叩きつけるように声を出すので、彼女の一喝で部屋の空気がビリビリと震える。
キャロラインは背筋を美しく伸ばし、せわしなく悪態をつきながら、イカレた嫉妬深い女の顔を、存分にフェリックスに見せつけるのだった。
* * *
フェリックス、キャロライン、ともに十八の秋――
このところ社交界に奇妙な噂が流れていた。
忍耐強いフェリックス・ノウルズにも、とうとう我慢の限界が訪れたらしい。
彼は癇癪持ちのキャロライン・テスターを見限って、彼女の妹に乗り換える気なのだとか。
キャロラインはこれに激怒し、嫉妬に駆られて、可憐な妹を卑劣な手段でいじめている。
最後のいじめの部分に関しては、大勢の証人がいる。
というのもキャロラインは、人の目がある場所でも堂々と妹を罵り、時に手も上げることもあったからだ。
そのため誤解のしようもないくらいにはっきりした事実として、この話は面白可笑しく広まっていったのだった。