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聖堂の立派な扉を押し開けると、皆が驚いたようにこちらを一斉に振り返った。
彼女はこんなふうに悪い意味で注目を浴びることには慣れっこになっていたので、この時も堂々たる態度を崩さず、
「ちょっと転んだだけなので、お気になさらず――さぁ、早いところ始めましょう」
と言い放った。
この頃になると熱が引いてきたのか、視界も安定を取り戻していた。
結婚式のあいだくらいは、なんとか耐えられるだろう。
ヴァージンロードを大股に歩いて行くと、礼服に身を包んだフェリックスが奥に佇んでいて、心配そうな顔でこちらを見つめてくる。
髪をきっちり整えた彼が、なんだか大人の男性みたいに見えて、キャロラインは少し動揺してしまった。
フェリックスのことは昔から知っていたし、中性的な美少年といった時期を長く見てきたせいか、ずっとその延長上で彼のことを見ていたのかもしれない。
礼服により禁欲的な雰囲気が強まり、しっとりとした色気が滲んでいる。
彼の上品な目鼻立ちに、憂いのある瞳が合わさると、ハッとするほどに鮮烈な印象を受ける。
不思議……知らない人みたいね。
彼が心配そうな顔でこちらに近づいて来ようとしたので、視線でそれを制する。
大丈夫よ――そこにいて。
彼は瞳を瞬き、葛藤している様子で複雑な表情を浮かべていたのだが、結局キャロラインの意志を尊重して、その場で待つことにしてくれたようだ。
そう――考えてみれば、彼はキャロラインの頬と背中にどうしてガーゼが貼られているのか、その理由すら知らないのだ。
キャロラインの佇まいは、まるで戦場帰りの一兵卒みたいな有様だったから、フェリックスが度肝を抜かれるのも無理はなかった。
待つ身のフェリックスは相当ハラハラしているようだ。――とはいえ、キャロライン本人が『まったく問題ない』という態度だし、足取りもしっかりしているので、見た目ほどひどくはないのかもしれないと思うしかない。
会衆席の人々もソワソワしている。
花嫁が現れないのはなぜだ? と疑問に思っていたら、満身創痍のご本人登場――インパクトがすごすぎて、言葉もない。
キャロラインが隣に並ぶと、フェリックスが、
「何があったんだ」
と小声で尋ねてきたので、彼女は悪戯めいた瞳で隣の新郎を見上げた。
「まぁ、色々と」
小悪魔めいた口調だ。
憎らしいが、チャーミングでもあるその物言いに、フェリックスは悔しそうに瞳を細めた。
「……まぁ色々と、で片づける気か?」
彼がそう言うのも無理はないというのに、
「長くなるから、話はあとにして」
キャロラインは身勝手に一蹴してしまう。
――とにかく私たちは、早く結婚すべきよ。
あんなにぶち壊そうとしていた、問題しかない結婚であるのに、キャロラインは前向きになっている自分に気づいた。
唖然としていた神父のフリーズがようやく解けて、口上を述べ始めたので、これに付き合うのは体力的に厳しいと思ったキャロラインは、
「すみません……巻きでお願いします。怪我をしているので」
と小声で神父に頼んだ。
幸い、神父は柔軟な性格をしていたようで、一番大事な部分だけを抜粋してくれた。
神父の問いかけに応じて、新郎が改まった調子で誓いの言葉を述べる。
「――死がふたりを分かつまで、愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います」
フェリックスの声はとても綺麗で、優しく耳朶を震わせる。
キャロラインは幸せな気持ちになった。
……一方、フェリックスは。
誓いを終えた彼は不安げにキャロラインのほうを見つめた。
怪我の具合を案じているのもあるだろう。そしておそらく、キャロラインが誓いを立ててくれるのか、確信が持てずにいる。
……馬鹿ね。
彼の杞憂がなんだか可笑しく感じられて、キャロラインはマナー違反だと分かっていたけれど、手を伸ばして、フェリックスの手をぎゅっと握り締めた。
そして張りのある声で、しっかりと誓いの言葉を述べる。
「死がふたりを分かつまで、愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います――ええ、もちろん誓いますとも!」
ふざけたようなその言葉は、フェリックスに安心をもたらした。
彼は心の底からホッとしたような、泣き笑いの表情を浮かべた。
そしてふたりは神前で、誓いのキスを交わした。
* * *
結婚式を勢いで済ませたキャロラインは、
「今すぐにここを出たい」
とフェリックスに我儘を言った。
普通なら、参列者を無視してふたりでこの場を去るなど、ありえないことだ。
しかしキャロラインのただならぬ様子を見て、フェリックスは彼女の膝裏に手を当てて軽々と抱きかかえると、ヴァージンロードを大股に歩き始めた。
皆が唖然として見守る中、彼はあっという間に教会を飛び出し、新婦を抱き上げたまま、停めてあった馬車に飛び乗った。
いつも冷静沈着な彼が、御者に向かって「出してくれ」と早口に声をかける。
そして膝に乗せて横抱きにしたままのキャロラインに、
「医者に診てもらおう」
と優しく話しかけた。
彼の声を聞き、キャロラインは胸を痛めた。……おそらく彼、心の中は嵐なのに、こちらを気遣って必死で抑えているのだ。
彼女はフェリックスの膝に乗ったまま、震える手を伸ばし、彼の襟元に添えた。
「大丈夫だから……疲れているだけだから、家に帰りたい」
口にしたあとで、「家に帰りたい」という台詞を可笑しく感じた。
自分にとって『家』とは、『テスター家』でも『ノウルズ家』でもなく、フェリックスと共に落ち着ける場所を指すのだ。
キャロラインの心情はそうでも、もっと具体的に頼んだほうがよいだろう。
「……家というのは、あなたの家よ」
付け足すと、フェリックスは頷いてみせ、御者に急ぎ屋敷に戻るよう指示した。
彼はキャロラインの様子がおかしいことに気づいていたが、「大丈夫なのか」とは訊かなかった。
訊いてはいけない……彼には予感があったのかもしれない。
初めて抱き上げた彼女の体はあまりに華奢で頼りなくて、怒ってばかりいた平素の彼女が嘘みたいだった。
彼女を抱っこしながら、あやすように背中を撫でてやる。
彼の口から「大丈夫か」という言葉が喉まで出かけて、何度も飲み込まれるという工程が繰り返された。
眠いのか? と彼が尋ねるので、キャロラインは微かに笑って答えた。
「少し眠い。たぶん……疲れたんだと思うわ」
「一体どうしたんだ。こんな怪我をして」
「転んでしまったの。馬から落ちて」
「馬から落ちて、こんなふうになるのか」
彼はさらに何かを言いかけて、結局口をつぐんだ。代わりに、
「――やはり病院に行かないか」
彼の不安そうな声が続けるので、もう一度キャロラインは強く首を横に振ってみせた。
「寝ていれば治るわ。私は病院に行きたくないの。ねぇお願い……やっぱりあの丘に連れて行って」
キャロラインが頼むと、フェリックスは小さく頷いてみせた。
そして御者に行先の変更を指示した。




