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姉はもういない  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!
【 裏 】

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 クレアの甘ったれた気質は、成長と共に落ち着いていくかと思いきや、むしろひどくなっていく一方だった。


 近頃は女らしい、しっとりと湿った色気を身に纏い、それで男どもを操ってやろうというような、小狡さばかりが目につくようになった。


 親子ほども年の離れた大人の男から、色々仕込まれてきたクレア。


 彼女にかかれば、同い年の青臭い少年たちを騙くらかすなど、赤子の手を捻るがごとしだろう。


 段々とクレアの周りには頭の悪い妄信者がはべるようになり、取り巻きたちは競って彼女のご機嫌取りをする。


 そのうちに社交界におかしな噂が広まり始めた。


 それは「テスター家のイカレた姉が、美しく可憐な妹を妬んでいじめている」というものだった。


 これはキャロラインから言わせれば、失笑ものの与太話である。


 キャロラインが本気で妹をいじめる気なら、拳を叩きつけている。あの取り澄ました甘ったれた顔をボコボコに殴ってやるのだ。


 原型も留めないくらいにやってやる。


 そうすれば、クレアの最大の取り柄である見目の麗しさは失われるので、あの女に騙される被害者もいなくなるだろう。


 ――けれど現状、そうはなっていない。


 つまり、クレアの顔が今なお美しいことが、キャロラインが彼女をいじめていない証拠なのである。


 しかしこんなことを主張してみたって、誰も納得しないだろう。


 ここ最近、キャロラインの鬱憤は溜まり続けていた。


 彼女を苛立たせているのは、妹のクレアだけじゃない。――婚約者のフェリックスも大問題。


 ……なんなんだ、あいつは。


 一度キャロラインに喧嘩(?)で勝ったからって、調子に乗っているんじゃないのか? 勝ったといったって、やつが先制攻撃で拘束したのだから、向こうが有利な状況だった。そもそもやり口が卑怯ではないか。


 それなのに味をしめて、あの男は。


 どうやらフェリックスの中に、からかい虫が住み着いてしまったみたいで、本当に迷惑な話だ。時折キャロラインの近くに寄って来ては、非生産的な意地悪を言って絡んでくる。


 そんな時にクレアが乱入してくると、フェリックスにちょっかいをかける妹の軽薄な行動が悩みの種だったはずなのに、『邪魔しに来てくれた』となんだかホッとしてしまう。


 ……フェリックスの意地悪は対処に困る。


 あんなふうにからかわれると、このままどこまでも進んでしまいそうで怖くなる。胸が騒ぐ。


 前はクレアを牽制するため、「フェリックスは私の婚約者よ!」と繰り返していた。


 けれどフェリックス本人が「そのとおりだが」という態度を取り始めたものだから、こちらは態度を変えざるをえなくなり。


 何度も、何度も、フェリックスに「縁談を破棄できるよう、あなたも知恵を絞って」と言うのだけれど、彼はいつだって「この縁談は覆しようがない」の一点張り。


 ――だから、そこをふたりで頑張りましょう、って言っているんでしょ! 馬鹿じゃないの? このままだと私と結婚するようなのよ? 正気?


 まったく、なんて頑固な男だろう。


 それから意味不明なことがもうひとつ――キャロラインが婚約破棄の件を持ち出すと、彼はとっても機嫌が悪くなるのだ。


 なんでよ? そっちがおかしいのに、こちらが悪いみたいな態度。


 フェリックスは頭の良い男だから、キャロラインに嫌がらせをしようと思えば、いとも簡単にそれを実行することができる。


 彼は持ち前の洞察力を使い、キャロラインが今一番されたくないと思っていることを、ピンポイントで狙って仕かけてくる。


 それをされるとキャロラインのほうも意固地になって、持てる力のすべてを使って、仕返しせずにはいられなくなるのだ。


 そんなある種のシーソーゲームは、なんともいえない安心感をキャロラインにもたらした。


 フェリックスがやる気になれば、ふたりの関係など容易く壊せるはずなのに、彼は決してそれをしない。


 キャロラインのほうだってそれは同様だった。


 けれど、いつかはフェリックスと離れなくてはならない……そう、いつかは。


 それは当たり前の話だ。


 そもそも婚約したのが間違いだったのだから。


 別れの瞬間が訪れるまで、ふたりのシーソーゲームは続くのだろう。


 のらりくらりと。


 飽きることなく。




   * * *




 キャロライン、十八歳――


 妹の奔放な振舞いは直らず、嫉妬深い叔父はとうとう癇癪を起して、初めてクレアを殴った。


 そればかりかその先の行為中も、クレアを手酷く扱ったらしい。


 妹はめそめそ泣きながら、


「私は嫌だって言ったのに、彼はやめてくれなかった」


 と、その夜の行いがいかに乱暴で愛がなかったかを、キャロラインに語って聞かせた。


 しかし処女であるキャロラインに対し、そのようなことを赤裸々に打ち明けてくる妹の心境がまるで理解できない。


 確かにこれは泣きごとではあるのだが、聞きようによっては、自慢されているように感じてしまうのはなぜなのだろうか。


 説明の途中でいちいち、「キャロラインは男性に求められたことがいないから、分からないでしょうけれど」と言われるせいか?


 その台詞には、『私はこんなに経験豊富なのよ、モテないあなたと違って』というような、よく分からない女の見栄のようなものが見え隠れしている気がする。


 ……確かに女を殴る叔父は最低だ。


 だから暴行を受けたクレアは気の毒なのかもしれないが、それでもやはり、妹に同情する気持ちがまるで湧き上がって来ない。


 暴力を振るう叔父と、めそめそと泣きながらも、その狂った情愛を受け入れているクレア――ふたりの姿は、『需要』と『供給』が完全に一致しているように思える。


 結局のところクレアは泣きごとを口にしながらも、この一連の出来事に性的興奮を覚えているのではないか?


「本当に嫌なら、あなたは叔父を拒絶すべきだと思うわ」


 キャロラインは至極もっともなアドバイスをしてみた。


 妹のためというよりも、世にも下らないりごとを聞かされるのは、金輪際ごめんだと思ったからだ。


 しかしこの先クレアが叔父と切れたからって、フェリックスと結婚させるわけにはいかない。


 このように穢れた体と魂で、フェリックスの嫁になろうだなんて、図々しいにもほどがある。


 まぁ……フェリックスはフェリックスで、『理想の貴公子』というのはよそいきの顔で、少し嗜虐的なところがあるようだけれど……だからといって、それで貞操観念ユルユルな妹とお似合いか? と問われれば、それはまるで別次元の話なのである。


 フェリックスはちょっとだけ危ない一面も持っているようだけど、それは個性の範疇内であり、そのことで瑕疵のある娘を押しつけられる筋合いはない。


 ……『瑕疵のある娘』というのはもちろん、キャロラインも含めての話だ。




   * * *




 ある夜会に出席した時のこと。


 化粧室からの帰り、キャロラインが人気ひとけのない回廊を歩いていると、叔父のミンズが血相を変えて詰め寄って来た。


「君が婚約者の心をちゃんと捕まえておかないから、フェリックスとクレアが接近しているんじゃないのか」


 乱暴にキャロラインの腕を掴むミンズの瞳は血走っていて、言動のすべてに抑制がきいておらず、呆れるほどに無様ぶざまだった。


 嫉妬に狂った男の醜さ――キャロラインは辟易するとともに、鳥肌が立つのを感じた。


 ……もしかしてこれを言うために、わざわざ待ち伏せしていたのだろうか。


 ミンズが眼前に迫っている現状が、気持ち悪くて仕方ない。


 彼の台詞は一見、キャロラインとフェリックスの仲を思い遣っているようにも受け取れるが、彼の鼻息の荒さを見れば、そうではないのは一目瞭然である。


「離してくださいませんか。私を責めるのはおかど違いです。一番の問題は、叔父様がクレアの心を捕まえていないところにあります」


「なんだって? なぜ知――」


 ミンズは心底驚いた顔をした。


 その反応を見て、そんなまさか……とキャロラインも目を丸くする。


 嘘でしょう――この人、クレアとの肉体関係を、私が知らないと思っている? ……おやまぁ、なんとおめでたい。


 キャロラインは思わず笑みを浮かべてしまった。そして小馬鹿にするような目で叔父を眺めて言ってやる。


「あなたが四年前、当時十三だった小娘クレアに手を出した恥知らずだって、社交界中の誰もが知っていますわよ? ――ねぇ、この手を放してくださらない? 私まであなたのお手付きだと思われたら、たまらないわ」


 社交界中の誰もが知っているというのはとっさの嘘であったが、『あなたの愚かしい行為を、皆が嘲笑っている』というこの揶揄は、叔父の高い自尊心をズタズタにしたようだ。


 彼はこれまでは一応キャロラインの前では、人格者の仮面を脱ぐことはなかった。気の良い叔父という態度を崩さなかった。


 しかしこの時ばかりはその覆いが剥がれ落ち、隠していた獣の顔を晒すこととなった。


「なんだと、この……!」


 彼が手を振り上げたので、キャロラインは叔父の足の甲をヒールで強く踏み抜いてやった。


 ――誰が大人しく殴られてやるものですか。


 叔父は勘違いをしている。


 今目の前にいるのは、キャロライン・テスターであって、クレア・テスターではない。


 彼が望めばすぐに足を開き、彼がへそを曲げればタダで殴らせてやるような、安っぽい情婦を相手にしているわけではない――それを即刻自覚すべきだ。


 ミンズが呻いて床に這いつくばったので、お前のような塵虫うじむしにはまったくのお似合いの体勢だとキャロラインは思った。


 彼女はドレスの裾を払うように直し、背筋を伸ばして凛とした口調で告げた。


「――妹が馬鹿げた火遊びをしないように、あなたがしっかり見張るべきだわ。恋人ならそうするべきよ。自分が小娘の手綱も取れないくせに、私に恨みごとをぶつけるのは、金輪際やめてちょうだい」


 そうして虫けらでも眺めおろすように、叔父の頭頂部を一瞥すると、もう興味はないとばかりに、視線を切ってその場から踵を返す。


 ミンズは床に両手足をついたまま、屈辱に肩を震わせていた。






【脚注】


 ※4話で叔父が愛おし気に見つめていた「姪っ子」は、キャロラインではなくクレアです。





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