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姉はもういない  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!
【 裏 】

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15/26

15


 ……いつからそこにいたのだろう?


 驚きはすぐに怒りに変わる。キャロラインは不意打ちを食らうのが嫌いだ。


 大体ね――声もかけずにこっそり見ているなんて、趣味が悪すぎない?


 ひと睨みしてやったものの、『相手をしたら負けだ』という気もして、フイと視線を逸らす。そのまま彼を無視して歩き始めたのだが、大股に近寄って来たフェリックスに進路を塞がれてしまう。


「……何かご用ですか?」


 つっけんどんに尋ねてやったら、彼は眉根を寄せて、本気で怒ったような顔をした。


 彼がこんなふうに怒りの感情を表に出すのはとても珍しい。


 キャロラインは呆気に取られてしまった。


 すると心底不機嫌そうに、フェリックスが呟きを漏らす。


「何かご用ですか、だって? 用がないと、話しかけるのもNGだっていうのか? 婚約している間柄なのに、ずいぶん薄情じゃないか」


 ……な、えー……? やだ、驚いた……。


 彼ったら、キャロラインのことを婚約者と認識していたのか。


 そうか……私たちって婚約しているんだ……?


 キャロラインのほうこそ、彼との関係性をすっかり見失っていたようである。


 ――というのも、妹がちょっかいをかけてくるたびに、「彼は私の婚約者」というフレーズを乱用していたら、段々とそれが意味のない音の羅列と化してしまったのだ。


「キャロライン、聞いているのか?」


 まだ不機嫌なフェリックス。


「き、聞いてますけど……」


 普段温和な彼にしっかり怒られたことで、ビクッと目を丸くするキャロライン。鼻先を指で軽く弾かれた猫みたいな顔になっている。


 しかし元々勝気なので、そこから立ち直るのも早かった。


「そ――そんなことより、まず謝ってもらえません?」


「謝る? なぜ」


「こんなふうにプライベートな場面を覗き見されると、良い気分ではないですから」


 ツンケンしてそう返してやると、彼は呆れたようにこちらを見つめてきた。


「……プライベートな場面、だって? 結婚したら君のプライベートには、ほぼほぼ僕が関わる予定なのだが」


 はぁ?! ちょっと冗談でしょう、何を言っているの、この人?


「あなたと結婚したら、私はプライベートをすべてあなたに捧げないといけないの? 理不尽じゃない!」


「夫婦とはそういうものだろう」


 うわ、やだわぁ……支配的で束縛的で前時代的……カビが生えそうな、古臭い考えですことぉ!


「ていうか私、あなたとは結婚しませんけど」


 ついそう言ってしまってから、ハッとする。


 ……これはさすがにまずかっただろうかと、チラリと彼を見遣る。


 するとフェリックスは口元に淡い笑みを乗せ、なんだか意地悪そうな顔でこちらを見返してきた。


 え……この人って、こんなふうに斜に構えた顔もできるのか……少し驚く。


 清廉潔白なはずの貴公子には、とんでもない裏がありそうだ。


 いや……? もしかするとこの腐った縁談により、彼のもともと持っていた善良性が闇に染まり、血に染まり、このような恐ろしいモンスターが誕生してしまったのかもしれない……?


 などといらぬことを考えていたら、彼がスッと距離を縮めてきた。


「今――かなり失礼なことを考えていただろう」


 キャロラインはびっくりして瞳を瞬いた。


「やだ、どうして分かったの?」


「君は案外顔に出る」


「え、顔になんて出ないわ! 変なこと言わないでよ」


「完全に出ている」


「う……」


「今、困っているだろ?」


「全然、困っていませんー」


 ……本当はすごく困っている。そして焦っている。


 フェリックスが微かに瞳を細めた。


「しかし……妹を制止する時、いつも腕力ばかり使うと思っていたが、こんなふうに鍛えていたとはね。強いわけだ」


 なんだか感心している様子である。


 ふ……強い?


 キャロラインは気を良くし、ツンと顎を上げ、釘を刺してやった。


「ええ、そうよ、私って強いの。あなたが無体なことをするようなら、この剣の錆にしてやりますからね」


「お生憎様あいにくさま、僕も鍛錬は積んでいる」


「ふうん? でも……あなたは荒事が苦手な優男やさおとこに見えるけれど」


 右足を半歩引き、ジロジロと彼の全身を眺め回していると、不意に彼の手が伸びてきた。


 ――手首を掴まれ、強く手前に引かれる。


 キャロラインはつんのめるようにして、フェリックスの懐に飛び込んでしまう。


 すっぽりと抱え込まれる形で拘束されると、なんだかとっても居心地が悪い。


 汗をかいているし、髪だってボサボサだろう。


 それに――……それに、こんなに近しい距離で男性と触れ合ったことなんて、これまで一度もない。


 キャロラインはきゅっときつく目を閉じた。


「わぁ――ちょっとやめて、放してよ!」


 ほとんどパニック状態に陥りながら大声を出したら、彼がくすりと笑う気配。


 耳のすぐそばで、彼の声が響く。


「捻くれた威嚇じゃなくて、子供みたいにびっくりした叫び声も上げられるんだな」


「馬鹿!」


「君はさっき、『剣の錆にしてやる』と威勢良く脅してきたじゃないか? どうぞ、やってみたらいい」


 キャロラインはムッとして目を開き、フェリックスの懐から脱出しようと身体をよじってみた。


 けれど彼の拘束は強くて、どうしても振りほどけない。


 どこかを強く掴まれ、痛みを与えられているわけでもない。ただ、なんというか……彼が片方の手で、こちらの腰あたりを見事にホールドしているから、互いの体の境目が分からないくらいにくっついてしまっている。


 まるで底なし沼に嵌ってしまったような、暴れれば暴れるほど絡め取られていくような、奇妙な心地がした。


 キャロラインは情けないような気持ちになり、眉尻を下げて、縋るように彼の顔を見上げた。


「……ねぇ、びっくりしたわ、私……力であなたに敵わないみたい」


 情けないことを口にしている自覚はあったので、フェリックスはきっと笑うと思ったのだ。


 意地悪く笑って「ざまぁないな」と、軽口を叩くんじゃないか、って。


 けれど彼はキャロラインのしょぼくれた顔をしばらくの間じっと……ただじっと至近距離から見おろしていた。


 キャロラインが『この人もしかして、立ったまま寝ちゃったのかしら?』と疑い始めた頃になって、フェリックスは我に返った様子で、突然拘束を解いてくれた。


 キャロラインは慌てて半歩下がり、彼から距離を取った。


「……乱暴にして、すまなかった」


 口元を押さえながら、動揺したようにフェリックスが詫びてくる。


 え……!


 キャロラインは却ってびっくりしてしまった。す、すまなかった? なんで謝るの? 謝るってことは、意地悪のつもりでアレをしたんじゃないの?


 よく分からないけれど、かぁっと頬が熱くなる。


 フェリックスが困ったようにこちらを見てくるので、ビクリと肩が揺れた。


 驚いた野兎のように少し飛び上がったキャロラインは、どうしていいか分からなくなり、その場から慌てて逃げ出してしまった。



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