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ノウルズ家のフェリックスは好青年だと聞いていたけれど、もしかして一周回って変態なのではないかと、キャロラインは近頃本気で疑っている。
初対面で癇癪を起した頭のおかしいキャロラインを見ているのに、彼女を婚約者にすると言ってきた時には、彼の豪胆さに度肝を抜かれたものである。
自分がフェリックスの立場だったら、「キャロラインのような女と結婚させられるくらいなら、いっそ死んだほうがマシだ。そしてキャロラインの妹クレアと結婚するのも絶対にごめんだ――なぜなら義姉としてイカレ女のキャロラインと関わらなくてはいけないからだ。そうなるくらいなら、獣のエサになったほうが百倍マシ」と答えたに違いない。
ひょっとして彼はゲテモノ趣味をお持ちなのだろうか? もしくは最低なクズ女を娶って鞭打ちたいというような、秘めたる変態的な願望でもある?
……でも、まてよ。
律義にテスター家を訪ねてくるフェリックスを見るうちに、キャロラインはあることに気づく。
フェリックスの父は息子が言うとおりにしなければ鞭打つような、厳しい人間であると聞く。
ノウルズ伯爵は「テスター家から絶対に花嫁を迎えろ!」と長男のフェリックスにプレッシャーをかけているのかもしれない。
そうなると彼としては、キャロラインかクレア、そのどちらかを選ぶしかないわけだ。だってそうしないと父親に殺されるから。
当然――フェリックスとしては、愛らしく可憐なクレアと結婚したいと考えただろう。
だって彼は、あの子が叔父と肉体関係を持っていることを知らないものね。
普通の男ならば、どう考えても妹のほうを選ぶはず。
あの子は可憐な美少女だし、愛嬌があって、男好きのする甘い顔をしている。
声も優しく媚びるようだし、受け答えは素直。キャロラインとはまるで違う。
……何かひとつ無理矢理キャロラインの長所を挙げるとするなら、この大きな胸くらいのものだろうか。
しかしフェリックスの清廉な雰囲気から、巨乳好きという馬鹿げた理由でキャロラインを選んだとも思えない。
すると今回の彼の決断は、なんらかの騎士道精神が発揮された結果なのだろう。
となると……だ。初日のあのイカレた演技が、ちょっと失敗だったかもなぁという気がしてきて。
キャロラインとしては、「もうこの頭のおかしい姉と関わりたくない、この姉と縁続きになりたくないから、妹とも結婚したくない」と彼に思わせるためにあのような行動を取ったのだが、どうも上手く機能しなかったようだ。
キャロラインの計画では、顔合わせで怖気づいたフェリックスが辞退を希望して、代わりにノウルズ家の出来の悪い次男坊が担ぎ出されるはずだった。
両家の婚姻が避けがたいものであっても、犠牲になるのがフェリックスである必要はない。
ノウルズ家の次男は確か――スティーヴィーといったか。ふたつ年下の十三歳で、スティーヴィーは衝動的な十代を絵に描いたような人物であったので、問題だらけの我が家の姉妹どちらとくっついたとしても、ちょうど釣り合いが取れるような気がしていた。
……ところが。
なぜにノウルズ家の代表がフェリックスのまま変わらないのだ……辞退しろよ、フェリックス。
彼はもしかすると「年頃の娘が、姉の八つ当たりで顔を傷つけられるくらいなら、自分さえ我慢してキャロラインと結婚すれば、それですべて丸く納まる」という考えなのか?
やだもう……なんて泣かせる自己犠牲心なのかしら。
しかしその善良さも、こうなってくるとただひたすら忌々しいというか、洗脳状態にある人の迷いなさみたいで気味悪い。
彼の行きすぎた騎士道精神にドン引きし、ちょっとだけフェリックスへの好感度が落ちたキャロラインなのだった……。
* * *
面倒になったので、屋敷にフェリックスが来るたびに華麗にスルーしてやろうと思っていたのだが、訪ねて来たフェリックスの周辺を愚妹がウロチョロするもので、放置もできない。
ふたりがそのままくっついてしまうと元も子もないからだ。
となると毎度キャロラインは、道化師のような役割を演じる破目に陥る。
お似合いのカップルに嫉妬する悪役みたいなこの役割に、キャロラインはもう涙が出るやら、怒りが湧くやら、感情の整理が追いつかない。
妹の取り澄ました顔を見ていると、「この淫乱女め!」と罵り、襟首をつかんで池に放り込んでやりたくなる――せっかくだから、その怒りの感情を利用して、ふたりの前で何度も喚き散らしてやったわ。
フェリックスは初めのうち、キャロラインの狂態を見て心底驚いていたようなのだが、次第に様子が変わってきた。
段々と何かを考え込むようになり、数カ月経過した頃には、まるで長年神に仕え続けた神父のような、達観した雰囲気を身に纏うようになっていた。
……ええ? 一体、どうしちゃったの? 彼の中で何が起きているのか、キャロラインには皆目見当もつかない。
次第にキャロラインは、フェリックスの静かな物腰が恐ろしくなってきた。
彼が私を殴らないのは、どうしてなの? 別に殴られたいわけではないが、解せない。
こちらの振舞いは明らかに常軌を逸しているし、彼とひと悶着あった時などは、頬のひとつも張られて、「やかましい、お前みたいな愚かな女は願い下げだ!」くらいのことを言われてもおかしくないと考えていた。しかし彼は決してそれをしない。
反撃が来るだろう、来るだろう……と身構えていて、結局それが来ないのは、案外ストレスだ。
そんな訳で、このところ苛々が蓄積していたキャロラインは、体を動かしてストレスを発散することにした。
――四の五の言わずに、素振りだ。
時折キャロラインは裏庭に出て、鍛錬用の模造剣を握り、型を練習している。
運動して発散するのならその辺を走り回っても同じなのだが、なんととなく剣を握っていると心が落ち着くのだ。
昔からキャロラインは『終わり』を強く意識しているところがあった。このように人道から外れる行いを繰り返していれば、いつか自分は貴族社会から弾き出されるに違いない、という。
だから鍛錬にのめり込むのかもしれない。
腕に覚えがあれば、未来で何かあっても安心できる。たとえば下町に移り住むことになったら、治安も悪いだろうから、自分のように飛び抜けて美しい娘(!)は、貞操を奪われる危険がある。
キャロラインは無益なことはしない。
こうしてコツコツ鍛えているのは、将来の安心を手に入れているのだ。
――一心に剣を振るうキャロラインの姿は美しい。
軸をブラさず、無駄なく動く――決められたとおりに、淀みなく。
上半身を沈める動きも、地を蹴る動きも、剣先が空気を横に薙ぐ動きも、すべてが計算され尽くされた舞のよう。
しばらく無心で剣を振るっていたキャロラインは、腕の痺れを感じた。
……ここまでにしようか。
剣先を下げて、額の汗を服の袖でぐいと拭う。
動きやすさを重視して男装すると、父が「それはやめろ」とうるさいので、鍛錬時は簡素な古いドレスを身に纏うようにしていた。夏用のドレスなら、汗をかいても洗うのが簡易だし、そこそこ軽い。
深草色のその着古したドレスは、全身から噴き出した彼女の汗を吸い、襟元や背中、胸元あたりがしっとりと汗で濡れている。
それによりなんともいえぬ色気が滲んでいるのだが、当の本人はまるで無頓着だった。
汗を拭いながら母屋に向かって歩き始めると、木陰に佇む人影に気づいた。
――婚約者のフェリックスだ。
キャロラインはギクリと足を止めた。




