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姉はもういない  作者: 山田露子 ☆ヴェール小説4巻発売中!
【 裏 】

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12


 フェリックスがやって来る日、テスター家はいつになく浮足立っていた。


 サロンに集まった家族は、キャロラインを除いて一様に高揚していて、その中でも妹のはしゃぎぶりは群を抜いている。


 クレアは長椅子に腰かける父母のあいだの絶妙な位置をキープし、何が可笑しいのか知らないが、終始癇に障る笑い声を立てていた。


 この様子ではどうやら妹の耳にも、フェリックスの評判は届いているらしい。


 ……まぁそりゃそうか。


 この子は頭が悪いわりに、こういったことにはまるで抜け目がない。


 父母も気持ちが悪いくらい上機嫌で、クレアが注意散漫に騒いでいるのと同じレベルで浮かれきっている。


 じゃれ合う機嫌の良い彼らを見て、キャロラインは朝食べたものを全部この場でリバースしたくなってきた。とにかく気持ちが悪い。


 この中で自分だけが、彼らと血が繋がっていないかのような錯覚を覚える。彼らとはまるで意思疎通ができないし、埋めようのないこのギャップは、耐え難い苦痛をキャロラインにもたらした。


 どうして皆、平気な顔をしていられるのだろう?


 妹は毎夜毎夜肉欲に溺れ、ふた回りも年上の相手と肌を合わせている。それでいて恥知らずにも、穢れた身体で、瑕疵のない美しい少年のもとに嫁ぐつもりでいるのだ。


 そもそも、だ。


 クレアに劣情を抱く叔父が、愛するあの子が誰かのものになるのを許すはずもないのに。


 叔父としては、


「クレアは十三の頃から私の立派な情婦だ! 寝台に連れ込み、彼女に淫らな行いをする権利は、私が独占しているのだ!」


 と声高に叫びたいくらいだろう。


 実際にそう叫ばないのは、変態なりに、世間の目を気にしているからだ。


 だから叔父としては仕方なく、今回の縁談については、表向き「キャロラインかクレア、どちらかと結婚させる」というていで話を進めるしかなかった。


 クレアを手放す気はないが、ビジネス的にどうしても両家を結びつけたいようだ。


 叔父のミンズはすでに莫大な富を手にしているのに、それでもさらに高望みをするような貪欲な男である。


 そして権力を行使して、近しい者を支配し、優越感を味わいたい人種でもある。


 彼の歪んだ虚栄心に振り回される側はいい迷惑なのだが、うちは父母ともにしみったれた負け犬だから、関係性を変える気概もありはしない。


 叔父がもっと素直になって、「クレアは絶対よそにやらないから、フェリックス君はキャロラインをめとれ」と命令してくれれば、状況はずっとシンプルになったと思うのに。


 それならばキャロラインはフェリックスに嫌われさえすれば、それで任務完了だ。


 ところが叔父の面倒な見栄のせいで、まったく厄介な話になった。


 もしもフェリックスがクレアを気に入ってしまったなら、その時は叔父がすかさず横槍を入れるに違いないが、現状顔合わせもまだの状態であるから、変態叔父上はとりあえず事態を静観する構えらしい。


 あるいは――……妹からこんなことを言われると期待している? 


「実際にフェリックスに会ってみたけれど、叔父様のほうがずっと素敵……!」


 なんて。


 もしも叔父が「ノウルズ家の若造と比べれば、私のほうが魅力的だ」などと自惚れているならば、やつの高い鼻は早々に叩き折られることになるだろう。


 おそらくクレアは、叔父よりフェリックスを選ぶと思うからだ。


 クレアは叔父が愛情を試していることに気づいておらず、フェリックスとの縁談になぜか大乗り気だし、当然、美しい自分が選ばれるはずと考えているようだ。


 ……まったくこの娘の馬鹿さ加減ときたら! もはや開いた口が塞がらない。


 こうなってくるともう、肉欲真っ盛りの愚かな叔父上が、一周回って気の毒にすら思えてくるほどだ。妹の薄情さは相当なものだと思う。


 そしてこのとおり、クレアの貞操観念は吹けば飛ぶような軽さである。


 クレアはまだ十四歳だから、お気楽で考えが足りないのも仕方ないのだろうか? しかしそれにしても……いくらなんでも頭が緩すぎないだろうか。


 父も父だ。


 末子の異常性には当然気づいているはずなのに、この縁談さえ乗り切ってしまえば、万事上手くいくと信じている節がある。こういったサイコパスのポジティブ思考ほど、はたから見ていて恐ろしいものはない。滑稽を通り越して、狂気じみている。


 母は母で、父の機嫌が良いものだから、それに釣られてニコニコして、


「今日のクレアちゃんは、とても綺麗ね」


 とかゾッとするような台詞を吐くもので、これはこれで相当気持ちが悪い。


 自分の頭で何も考えず、その場しのぎで生きているわりには、損得勘定には長けていて、驚くほどに欲張り。


 その貪欲な生きざまは、獲物を丸呑みする蛇を思わせる。


 揃いも揃って恥を知らぬ目の前の三人が、キャロラインからすると化けものが服を着ているようにしか見えず、心底ゾッとさせられる。


 もう本当に嫌だわ……うちの家族。


 キャロラインの苛立ちが最高潮に達した時、フェリックス・ノウルズがやっとサロンにお出ましになられた。


 彼が扉の向こうから現れた瞬間、なんと表現したらよいのだろう――人生で数度しか訪れないレベルの、とてつもない衝撃と驚きに襲われて、キャロラインは眩暈を覚えた。


 黄金のラッパが頭上で高らかに鳴り響いているような、そんな感じ。


 彼の容姿はあまりにも非凡だった。けれど一方では、人生の中に必ず存在するような、普遍的な美、そのものでもあった。


 よく晴れた朝の、広がる空のように澄んだ瞳に、日の光が朝露にキラリと反射したかのような、金色に輝く美しい髪。


 鼻の造形の美しさ、唇の清潔感、顎のライン――すべてが完璧に整っている。このように美しい容姿を、天使像を含め、キャロラインはこれまで見たことがなかった。


 しかし見てくれの綺麗さだけなら、ここまでの衝撃は受けなかったに違いない。


 彼女を打ちのめしたのは、おそらく彼の知性だった。


 彼の瞳に浮かぶ思慮深さ、温かみ、人としての善良性、それらが相対した瞬間に、はっきりと伝わってきたのだ。


 彼の穏やかな凪いだ瞳を見ていると、誰しもがきっとどこかにしまい込んでいる、郷愁にも似た何かが強烈に呼び起こされる。


 キャロラインの背中を冷たい汗が伝った。


 まずい……これはなんとしても失敗できなくなった。どんな手段を用いてでも、この縁談は潰さねばならない。


 こんな天使のような少年を、毒蛇の餌食にしてはならない。


 キャロラインの少女らしい潔癖さが、彼女を危険な方向に駆り立てる。


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