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社交界で有名な、テスター家の美人姉妹。
姉のキャロラインは苛烈で我儘、しばしばとんでもないことをやらかすので、皆から嫌われていた。
対し、妹のクレアは清楚で控えめ、菫の花のように可憐な娘と評判であった。
* * *
キャロラインはひどい女だった。
フェリックス・ノウルズは彼女と過ごした日々を、胸の痛みとともに思い出す。
出会った十五の年、彼女は口を開けば毒のある言葉しか吐かなかったし、憎しみのこもった瞳を彼に向けてきた。
彼女はまるで狼のように、誰の手にも負えないほど、振舞いが荒々しかった。
けれどそれももう、遠い昔の出来事。
あの苛烈な瞳がフェリックスを射抜くことは、二度とない。
あの形の良い唇から悪態が飛び出すことも、二度とない。
彼女が細腕を振り上げて気に入らない人間の頬を叩くことも、二度とない。
なぜならば、彼女の美しい肉体は、もうこの世に存在していないからだ。
キャロラインは死んだ。今はもういない――……
* * *
ふたりが出会ったのはフェリックス、キャロライン、ともに十五の春だった。
フェリックス・ノウルズは、あることを父親から厳しく言い含められていた。
それはテスター家の姉妹、どちらかと婚姻を結ばなければならないというものだった。
政略結婚といえども通常ならば、互いの相性を見て、合う、合わない、を判断するものだろう。少しくらいは当事者に選択の余地が残されているのが望ましい。けれど彼にはそのささやかな自由すら許されていなかった。
今回の縁談は強制といってもいい、縛りの強いものである。
これは厄介なしがらみそのもので、この婚姻についてフェリックスの意思が尊重されることはない。
彼はただ事務的に婚約者を決めるため、その日テスター家を訪ねた。
テスター家とノウルズ家は家格、資産ともに同等であると聞かされていた。
しかしテスター家を訪れたフェリックスは、屋敷の佇まいを眺めて、思わず動きを止めた。
……何かがおかしい。
深い森を背景にしたロケーション、贅の限りを尽くした建築様式は、文句なしに素晴らしい。効果的に配置された、アーチ型と幾何学模様。それらが組み合わさった意匠は、貴族社会が栄華を極めた前時代の特徴であり、今の時代にこれだけ贅をこらしたものは、造りたくても造れないだろう。
とはいえ。
建物自体は引きで眺めれば確かに見事であるのだが、実際に近づいた時に感じる、この奇妙な侘しさは一体何が原因なのだろうか。
馬車を降りたあと素早く視線を巡らせたフェリックスは、やがてその理由に気づく。
この屋敷は見てくれこそ立派であるが、維持や修繕にまるで金をかけていない。
庭園は目立つところだけ剪定を入れているようだが、芝生は枯れかけているし、石段の舗装など、細かい場所は手入れが行き届いていなかった。
母屋の壁や窓もよくよく見れば風雨により薄汚れていて、定期的に金と手間暇をかけてメンテナンスしている気配がまるでない。
……テスター家は金銭的に困窮しているのだろうか? フェリックスは眉根を寄せる。
けれどまぁ、こうして相手方の懐事情を慮ってみても、どうしようもない。たとえなんらかの問題があるのだとしても、それによりこの縁談が消えてなくなることなど、ありはしないのだから。
取り澄ました家令の案内で、日当たりの良いサロンに通されると、テスター家の面々がその場に勢揃いしていた。
テスター家の当主、その貞淑な妻、そしてブルネットの髪に鳶色の優しい瞳をした娘が、長椅子に身を寄せるように並んで座り、上機嫌に戯れている。
それはいかにも理想的な、愛情深い家族の肖像という感じがして、その場に足を踏み入れたフェリックスは居心地の悪さを感じてしまった。
痛みにも似た拒絶反応が出て、思わず彼らから瞳を逸らす。
すると視線を逸らした先に、黒髪のキリリとした面差しの少女がいた。
彼女は三人から離れたひとりがけの椅子に、背筋を伸ばして座っている。
これら四人の配置をひと目見ただけで、フェリックスには彼らの関係性を容易に想像することができた。
このひとり離れて座っている、気難しそうな黒髪の娘が噂の長女だろう――キャロライン・テスター。
彼女の目は特徴的な菱形で、くっきりしていて勝気に見える。
黄みがかったアーバンの瞳は、形こそ美しくカットした宝石のように理想的な造形をしていたが、他の一切を撥ね退けるような輝きの強さは、まるで腹の底に飼い慣らせない獣を飼っているかのようだった。
彼女の瞳はそう――苛烈で孤独な、狼の瞳と同じだ。
対し、父母に挟まれている妹のほうは、噂どおりに可憐で快活そうな娘であった。
少し甘ったれた感じはするものの、いかにも素直そうだから、紳士諸君から人気があるのも分かる。
そんな妹のほうを父親が可愛がるのは、必然だったのかもしれない。
テスター伯爵は次女の肩を抱え込むようにしていたので、ふたり姉妹であるにもかかわらず、このブルネットの髪をした優しい瞳の娘だけが、彼と血の繋がった一粒種のように見えるのだった。