三 花 ~ 覚めない心 ~ (5)
ようやく、ようやく会えた……。
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黄色い服を着て、マラカスを持ったピエロが膝の上で笑っていた。ピエロから目線を上げて左を眺めると、街の光景が横に流れていく。
人気のガールズバンドの曲が車内に響くなか、瑠香は歩き慣れていた街並みを、母親の運転する赤い軽自動車に乗り、司の待つ駅へと向かった。
土曜日の朝。司と会う決心をした瑠香であったが、約束の前にあの家具屋に寄り、うまく話せるお守り代わりにと、ピエロを買って駅へと向かっていた。
直接会えば顔は見えるだろうか、と不安が尽きないなか、車はすでに駅のそばに来ていた。
一人でここまで来るのは怖かった。すれ違う男性にビクビクして、挙動不審になりそうで。
璃香が一緒に行こうかと提案してくれたが、司には双子だと言ったことはなく、困惑されるのも嫌だったので、「大丈夫」と断り、母親に連れて来てもらった。
車中から見える、歩行者の男性はやはり顔が曇っており、自信が削られるなか、駅が見えた。
「ロータリーに入るね」
母親の声に頷きながら、駅前の改札口を眺めたときだった。瑠香の胸に、大きなボールをぶつけられたような、衝撃を受けたのは。
竹内くん……。
階段のそばにある壁に凭れ、スマホをいじっている男性を眺め、この人物が司なんだと直感した。
本人は気づいていないだろうが、司は立つときに必ずと言っていいほど、足をクロスして右足を前にしている。それに、まっすぐ立っているつもりでも、なぜか少し傾いていたのだ。
私服姿を見るのは初めてだったが、癖を見て瑠香は確信した。ただ残念なのは、司の顔は闇に邪魔されて見えなかった。
車がロータリーで止まり、瑠香は重たい足取りで外に出た。
ゆっくりと司に寄っていくが、司はまったく気づいてはくれない。
「ーー竹内くん」
一度呼びかけるだけでは気づいてくれなかったが、二度目によって、ようやく気づいてくれた。
「山崎…… なのか?」
表情は見えなかったが、司の口調から混乱しているのは伝わってくる。
当然よね、と瑠香は納得してしまう。突然、耳が出るほどに髪を切り、夏が近づいているのに長袖を着ているのだから。
司に会えて本当に嬉しかった。それなのに顔が見られず、司の感情が掴めない寂しさや悔しさが、自分に体する苛立ちになり、瑠香は素っ気ない態度を取らせてしまった。
司は心配して声をかけてくれる。でも、瑠香はたどたどしく返事をするしかできない。
ごめん。うまく話せない。
何度も心のなかで謝るのだが、言葉が声になってくれない。
次第にオドオドし始める司に、いたたまれなくなった瑠香は、最後に自分の気持ちを伝えた。
「……好きだよ、竹内くん」
ずっと言えなかった気持ち。
こんな形で言いたくなかった。 でも、今言わなければ、きっと後悔すると、心で微かに燃える感情が警鐘を鳴らす。
もう二度と司と会うつもりがなかったから。
「でも、だから、さよなら」
胸を包んでいく優しさを拒むように瑠香は絶つ。
声を震わせ、慌てて理由を聞く司に、瑠香は黙る。
教えたくなかった。知られたくなかった。何があったのかを。自分がなぜ、殻に覆わなければいけなくなったのかを。
「私は死んだの」
この答えが一番的確だと思えた。そう、今ここにいる自分は、もう感情を捨てた屍と同じなんだと。
ここにはいられない、と、瑠香は体を反転させ、司からの離れた。もう振り返りはしない、と自分を強く奮起させて。
「ーー待ってっ」
後ろで懸命に叫ぶ司に、瑠香は心を痛めたが、決して振り返らなかった。
「今度の花火大会、行こうっ」
うつむいていた顎が、咄嗟に上がろうとした。以前、会話の流れで誘われていた。半分は冗談なのかと思っていたが、改めて言われると、目頭が急に熱くなった。
それでも瑠香は足を止めず、車のそばに戻ると、逃げるように乗り込んだ。
助手席に座り、膝の上に抱えたピエロが微笑み返す。無垢な笑みを眺めていると、瑠香の口元は次第に震えていた。
ややあって、母親が運転席に乗り込んだ。
「……もう、いいの?」
そっと問いかける母親に、瑠香は無言のまま小さく頷いた。
車にエンジンがかかり、ゆっくりとロータリーを抜けていく。きっとサイドミラーは、司の姿を捉えているだろう。けれど、瑠香は顔を上げられなかった。
車内では、今度は歌姫と呼ばれるシンガーソングライターのバラードが流れるなか、瑠香はピエロを抱きかかえたまま、頭をうずくまらせた。
曲は失恋曲。サビの部分になったとき、堪えていた涙が一気に頬をぬらした。
我慢していたはずなのに。
あのとき、一生分の涙が溢れ、もう涙はこぼれないと思っていたのに、嗚咽とともに車内に瑠香の悲しみが木霊した。
会えたのに、やっぱり見えない……。




