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手紙のこと  作者: ひろゆき


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 三  花  ~ 覚めない心 ~ (1)

 言葉が浮かばない。

               参


               1



 バイトが終わろうとする三十分ほど前だろうか。こめかみを押し潰そうとする、頭痛を感じるようになったのは。

 実をいうと、朝目覚めたときから喉が少し痛み、風邪かな、と疑いながらも動いていた。

 しかし、今日はバイトの日。バイト帰り、コンビニから駅までの短い時間を、竹内司と歩いて帰るのを楽しみにしていた山崎瑠香にとって、多少の痛みは苦痛でもなんでもなかった。

 実際、学校に行って友達と喋っていたころには、頭痛はどこかに逃げてしまっており、忘れていた。

 仕事が終わるのが近づき、緊張からの開放によって、再び頭痛は襲ってきたらしい。

 それでも、司との時間が気持ちを紛らわせてくれ、バイトが終わり、コンビニの前に辿り着いたときには、痛みが消えた。

 普段ならば、司が先にコンビニに到着しており、店先から店内で雑誌を読んでいる司に、瑠香が手を振っていたのだが、今日はまだ姿がない。

 店内を眺めたが、やはり司の姿はない。

 遅れているのかな、と瑠香は先にコンビニに入った。

「ーーいらっしゃいませ」

 聞き慣れていた、いつもの大学生らしい男性の声ではなかった。聞き慣れない声にレジを眺めてみると、黒縁メガネの小ぶりの中年男性が立っていた。

 どうやら、いつもの大学生は今日は休みで、かわりに店長らしき男性がシフトについているらしい。

 すぐに、司は来るだろうと、瑠香は雑誌コーナーの前に立ち、司の到着を待った。



 ファッション誌を一通り読んでも司は現れず、このまま二冊目を読み続けるのは気が引けてしまい、とりあえずシュークリームを二つ買い、瑠香は店の外に出た。

 店内には瑠香しかおらず、気まずかった。

 もう三十分は経とうとしていたが、まだ司は現れず、代わりに忘れていた頭痛が襲ってきた。

 何度が瞬きをしてごまかそうとしたが、今回はしぶとく残っていた。前髪をいじってしまう。

 その間も、司に連絡を入れるのだが、まだ反応はない。

 耳の辺りに髪を掻き上げつつ、瑠香は躊躇してしまう。その間もチクチクといやらしく頭痛は続いている。

 ふと、司の誕生日のことを考えてしまう。

 以前、商店街の家具屋の前で、ピエロを買ってあげると言い、戸惑って困り顔を浮かべた司を思い出し、クスっと瑠香は笑う。

 なかば、冗談で言ったのだが、本気で困りながらも、気を遣っている司は子供みたいで可愛かった。

「なんだったら、喜んでくるかな」

 本当に贈る物を楽しんでいると、水を差すようにまた頭痛が襲い、瑠香は大きく息を吐き捨て、小さくかぶりを振った。

 弾んでいた気持ちが一気に冷めてしまった。

「ごめんね。今日はもう帰るね」

 痛みに嫌気が差し、これ以上待つのは限界だった。

 顔を上げ、誰もいない駐車場に一言残し、コンビニを去った。司にも先に帰ると伝えて。



 バイトを始めたのは高校に入ってすぐのこと。何かほしい物があるとかではなく、働くということに憧れがあった。

 そのころは一人で帰るのが当たり前であり、今みたいな静けさが日常だった。

 それなのに、今はこの静けさが孤独に縛られて寂しかった。それだけ、瑠香にとって司の存在が大きくなっていた。

 ーー 人気のないなか、ふと夜空を見上げると、三日月が淡く輝いていた。ここれだけ長く月を眺めるのも久しぶりだった。

 自宅には最寄りの駅から、さらに十五分ほど歩かなければいけなかった。駅の隣には町内でも有名な公園があり、瑠香はいつも、この公園を横切り、自宅に帰っていた。

 週末となれば、ランニングをしている人とすれ違っていたが、今日は誰もいない。

 いくつかのエリアに分割された公園。石畳の通路を、しつこく襲う頭痛にこめかみを突いて歩いていた。すると、「あっ」と声がもれる。

 通路を照らしている街灯が、一カ所ポツリと途切れている部分があった。夜を照らして闇を退けていた灯りがないと、物寂しさがあった。

 ふと、目を逸らすと、公園の茂みが大きく闇の口を広げており、どこか気持ち悪さを漂わせている。

 瑠香は横の茂みを眺めて歩き、猫でもいないか、と探してしまった。

「そうだ、猫の人形なんてあげたら、また困ってーー」

 ちょうど、街灯が途切れているところを歩いていたときだった。一瞬、ガサガサッと物音がしたあと、背中に人の気配を感じてしまう。

 振り向こうとした瞬間、急に後ろから何かで口を塞がれ、誰かに抱きつかれた。

 ーーっ。

 声を上げようとすると、口を覆っていた手に力がこめられ、さらに口を強く塞がれてしまう。

 腕を押さえ込むように、胸辺りに回された腕を振り払おうとするが、力が及ばずはがれない。

 全身に恐怖から悪寒が走った瞬間だった。後ろから抱きつかれたまま、瑠香は茂みの奥に引き込まれてしまう。足をばたつかせるが、効果はなかった。

 自分が置かれた、状況を把握した瞬間、腕を離そうと手に力を入れ、さらに足をばたつかせるが、刃が立たない。

 助けてっ。

 声が出ず、唸り声が図太い指の隙間からもれるが、振り払えない。

 離れた場所で照らす街灯がより遠退いていく。街灯が途切れたなかでも、月明かりで淡く石畳が照らされていたが、それらが引き離されていく。石畳を蹴っていた踵が次第に茂みを蹴っていく。

 公園が遠くに離れていく。茂みの奥に引き込まれ、光が背を向けようとした瞬間、茂みの奥に、広がった広場に押し倒された。

 仰向けに倒され、「キャッ」と悲鳴を上げたとき、眼前に大きな人影が覆い被さった。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 花がむしられていく。無慈悲に、乱暴に、乱暴に。

 花びらが散っていくのではない。横暴に剥がされていく。

 助けて。

 声はどこにも届かない。声をなぎ払うように、生暖かい風が茎を揺らす。

 花はベタベタとした害虫が蝕むようにへばりつく。

 剥がすことはできない。

 抵抗はできない。

 月が眺めていた。

 花が蝕まれる姿を晒すように照らしていた。

 手を伸ばしても、助けてくれない。ただ、眺めているだけ……。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……。


 痛みがあったはず。体が小刻みに揺れている。しかし、瑠香は自分がどれだけ物を言わない人形になっていたのか分からなかった。体の感覚が奪われていく。

 聴覚が奪われていくなか、瑠香のスマホが鳴った。

 電話……? 誰だろう、竹内くん?

 意識が意外にもしっかりとしていた。けれど、司の顔がどうしても浮かんでこない。ふと、視線が横に動いた。すると、コンビニで買った小さなビニール袋が落ちていた。

 遅れて来た司と一緒に食べようとしていたシュークリームが、騒ぎに紛れて無残にも潰されていた。



 いつ、家に辿り着いたのか分からなかった。

 自分がどんな格好で、どんな顔をしていたのかさえ。

 自分の姿を見て、お母さんが、お父さんが、妹の璃香が何を話していたのかさえ。

 覚えていたのは、シャワーを浴びていたこと。

 シャワーのヘッドから勢いよく出るお湯を顔に浴びせる。温度設定を静かに上げていく。いつもゆり熱めのお湯で、全身くまなく浴びていたのを。熱湯を浴びて、肌が赤くなるのも気にせずに。

 そしてお湯を浴びながら、浴室で崩れるように座り込んでいたのだけは覚えていた。



 家族が異変を察したのは瑠香が帰宅してすぐ。だが、頑なに口を閉ざし、自分の部屋に閉じ籠もってしまった瑠香は、誰とも話そうとしなかった。

 ようやく口を開き、事情を話せたのは二日後。妹の璃香にだけ話せた。

「……嘘でしょ……」

 ベッドの上で膝を抱えてうずくまり、膝に額を当てて黙り込む瑠香に璃香は驚愕する。

 腕にかかる長い髪も乱れたまま。あれから一度も整えておらず、ぼさぼさになっていた。髪を解くことも億劫になっていた。 

 月は何を照らすの? 花? それとも……。

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