二 悩 ~ ピエロは笑う ~ (2)
衝動的に動いてしまう。例え、それが噂や幻であっても。
2
七月上旬。足早に真夏が居座ろうと、すでに三十度以上に気温を上げて人を苦しめようとするなか、とある病院にいた。
午後六時をすぎたところ、診察の受付を待つ人がロビーの長椅子に押し寄せるなか、病院のいる口付近に、ポツンと司は立っていた。
正面玄関を一歩入り込んだところで、消毒液の臭いがすでに充満しており、針で刺されたみたいな痛みが鼻を突いた。
鼻がムズムズしてはいるが、頭が痛いわけでも、体がだるいこともなかった。至って体は健康であったが、司は病院に来ようと駆り立てられた。
半ば走っていたので息を整え、平静を装っていた。何度も手で額の汗を拭いながら。
冷房のお陰で、五分も経てば体の熱は治まってくれた。周りの人に注目されずに済むまで落ち着くと、フッと息をこぼした。
どうしても今日、この病院に訪れたかった。
一限目が終わったあとの十分休憩での出来事。先日、恋人に別れを告げられたことを友人に茶化されてしまい、ふて腐れて机に突っ伏していた。
あたかも恋人に未練を残して凹んでいるふりをしていたが、実際大きな痛手を負っているわけではない。
しいていえば、ファミレスで本心を突かれたのが痛かった。
そんなときてある。話しかけられたのは。
「この前、久しぶりにあいつを見たんだって」
「あいつって?」
「ほら、山崎だよ。一年のとき、すぐに学校を辞めた奴、いただろ」
意識が飛びそうになったとき、枕代わりにしていた手を、ギュッと握ってしまう。
「あぁ、そういえばいたな。でも、元々影が薄かっただろ」
「まぁな。けど、二組の谷口が見かけたんだって」
「ーーで、それで?」
「いやぁ、なんか、久しぶりで話しかけたんだって。けど、そのとき様子が変だったんだって。なんか、無視されたって」
「ただ、聞こえていなかっただけじゃないの」
「いや、それで何度も呼んだんだって。そしたら、今度は面倒そうに睨まれたんだって」
「それは、谷口がしつこかったんじゃないの」
「まぁ、それもあるんだけど。でも、山崎の奴、結構雰囲気が変わっていたんだって。なんか、変な気迫で、別人みたいだって言っていたんだ」
別人。
「まぁ、でも、本人なんじゃないの。あいつって、学校を辞めようとしたときから、変な噂もあったみたいだし」
「んで、どこで見かけたんだよ」
「あぁ、病院だって」
「病院って、なんでまた、そんなところで?」
ビルとビルの間を風にあおられ、危なっかしく綱渡りをしているような、気持ちが落ち着かなかった。
ただの目撃情報だと罵る気持ちが心の奥底で訴えている。しかし、あやふやな話に胸が熱くなっているのも事実である。
山崎がいる。
確かめたくなった。だからこそ、司は病院に足を運んでいた。
汗が引き、辺りを見渡す。
長椅子に座る人。通路を進み、各科に向かって歩く人の背中。見るからに違っているのに、瑠香ではないのか、と捜してしまった。
目を伏せてかぶりを振る。当然、ともいうべきか、どこにも瑠香の姿を見つけることなどできなかった。
「やっぱ、無理か」
そんなに簡単に会えるわけがないじゃないか。
微かにでも、会えると思ってしまった軽率な期待を叱責し、唇を噛んだ。そもそも、病院になど、頻繁に来る場所ではないのだから。
もしかして、入院? それなら、受付で聞いて……。
またかぶりを振る。一瞬浮かんだ行動を掻き消すように。
どんな顔をして会えばいいんだ。あのとき……。
大きくため息をこぼす。
あとのことを考えずに受付に行き、聞けばよかったのに、そんな簡単やことさえ不安になり、足がすくんでしまう。
どうして戸惑うの? 動くの? あのとき、途切れたはずなのに。




