8.人間の街へ1
その日はそのまま、エルとわたしとで、互いの身体を寄せ合って眠った。
それ程に寒さは感じなかったが、さすがに夜中は冷えるだろうと、毛布か断熱シートでも作ろうかと思っていたら、エルが翼でわたしの身体を覆ってくれた。
エルの身体の感触はビロードのように滑らかで手触りが良く、温かい。
先代竜の知識によれば 幼竜の現在はまだ鱗は生えておらず、いずれ成竜になったら身体が立派な竜鱗で覆われるようだ。
つまりこの滑らかな感触を楽しめるのも、幼竜である現在のうちだけ、というわけだ。
竜のウロコは魔素を多く含んでいて、武器や防具や様々な便利な品の素材として人気が高い。
だが幼竜の皮も、幼い時期にしか取れない高級素材として、どうやら需要が高いらしいのだ。
この世界には冒険者と呼ばれる職業が存在し、魔物や魔獣を狩る事を生業とする。
冒険者は全て冒険者ギルドという組織に所属し、この組織が依頼を受け付けてそれを冒険者に発注したり、魔物の素材を買い取ったりする。
もしも『幼竜の皮が欲しい』という依頼があれば、その依頼を請け負った冒険者によってエルは付け狙われることだろう。
そんな事をさせるわけにはいかない。わたしがエルを守らなければ──と決意を新たにしながら、わたしはエルと身体を寄せ合って眠りについた。
夜が明け、少しばかり足元が冷える感覚に目が覚めた。
明け方の空気は冷たく、野宿には少しばかり身に染みる。
夜中の間じゅう、エルの翼で包まれていたおかげで、身体は冷えることもなくぐっすりと眠ることが出来たようだ。
エルはまだすやすやとよく眠っていて、起こさないようにそっと翼からすり抜けて、側を離れる。
そう言えば、昨日から殆ど食事をしなくても平気だし、トイレに行きたくもならない事に、今さらながら気が付いた。
エルが魔素さえ取り込んでいれば生きて行けるのと同じような事が、わたしにも言えるのだろうか?
或いは体内に取り込んだ魔素により、無自覚に創造魔法で栄養にして、更に体内で発生する老廃物も再分解して、エネルギーに──って、どこのSFのサイボーグだ。
便利だが、不自然な気がしてあまり気分的には宜しくない。
とりあえずは、今はこのままで良いけれど、そのうち人間の社会に行ったら何とかしなければ。トイレに行かないなんて、絶対に不審がられる。
とりあえず、その時のことはその時のこととして──先ずは洗浄魔法で顔を洗い、創造魔法で歯ブラシも作って、口中も洗浄する。
それから、大きな姿見を作成してみた。
家にあったのと同じ形のスタンドミラーが光に包まれて出現する。
そういえば、先代竜が『創った』という、わたしのこの今の身体を、こうしてじっくり見るのは初めてだ。
──鏡の中では、見たことのない一人の少女が、少しばかり吃驚したような表情をして、目をぱちくりさせてこちらを見ていた。
年の頃は十代前半のローティーンと思われる。先代竜は十三才程度と言っていたから、それで間違いないだろう。
顔立ちは整っていて、少なくとも現代日本人の美的感覚で見れば、かなりの美少女と評して差し支えないと思われる。
わたしの生前の容姿も、決して不美人ではなかった…と思う…が、これはすれ違った野郎共が十人中九人は振り向くのではないかと思えるほどだ。
髪も瞳も黒ではなかった。髪は薄い茶色っぽく──亜麻色という奴か──瞳は濃い茶のように見える。
髪の長さは肩にかかる程度で、それほど長くはない。
亜麻色の髪の乙女とは、日本人的にロマンを感じる響きだが、風になびく程に長くないのは残念というべきか。
わたしは長年食べ物を扱う仕事をしていたのもあって、もともと髪はいつも短くしていたから、贅沢は言えない。
わたしの目で見て美少女とは言っても、この世界の人間の美的水準がどういうものかはまだ分からないので、とりあえずヌカ喜びは止めておこう。
年齢イコール彼氏居ない歴の三十五才喪女は、そう簡単に過度な期待を抱いたりはしないのだ。…うぅ、むなしい。
決して生前のわたしの容姿が劣っていたということはない! ──と、思う。これでも高校時代は演劇部のスターで、後輩女子にキャーキャー騒がれる程度の見た目ではあったのだ。男子からの人気はどうだったって? ええい、聞くんじゃない。
どうせ男は背が小っちゃくて、ムネの大きい女の子が好きなのだ。そのどちらも無かったからといって、わたしの責任じゃない。
それだけじゃないのは分かってるけどね。うん、どうせ可愛げ皆無の女だよ。
おばちゃん達にもよく『そんなんじゃ男は引いちゃうよ? 少しは男を立てることも覚えなきゃ、嫁き遅れちゃうよ!』と言われたものだが、弟を育てるまで結婚なんかする気は全く無かったからいいとして、そもそも男を立てようにも、その男との接点がまるで無かったわけですが。
うん、思い返せばわたしの人生、異性関係はホントむなしい。はぁ…。
今更そんな事で落ち込んでもしょうがない。今のわたしは、中身はともかく十三才の(多分)美少女で、エルダードラゴンの可愛い幼竜と道連れで、これからずっとこの仔の面倒を見ていく役目があるのだ。
気持ちを切り替えてがんばろう!
エルはまだ眠っていて、よく見るとむにゃむにゃと、眠ったまま口をもぐもぐ動かしたりしていた。
もしかしたら、昨夜のコロッケをまた食べている夢でも見ているのかも知れない。
その様子があまりに微笑ましくて、わたしはエルを起こさずに、再びその場を離れた。
念の為に、眠っているエルに隠蔽魔法をかけておく。探知魔法に引っかからなくなるだけで、姿が見えなくなる魔法なわけではない。
夜の内に張った障壁魔法は既に解除したので、更に念の為にエルの周りを障壁魔法で覆っておく。これで、もしも魔物か何かが側に来たとしても、寝込みを襲われるのは防げるだろう。
周囲に探知魔法を張り巡らせた限りでは、直ぐ側に危険な気配は無さそうだが…あくまで、念の為だ。何しろエルはまだ、昨日卵から孵ったばかりの赤ちゃんなのだ。幾ら警戒してもし過ぎるということはない。
わたしは先ほど作ったスタンドミラーを収納魔法にしまってから、少し離れた場所に行くと、手頃な樹木を探して、幹にダーツの的を取り付けた。
エルのブレスは強いけれど、すぐ魔力切れで連発が出来ないのでは、戦力としてアテにしてはいけない。
わたしは膨大な魔力を持っていて、攻撃魔法と呼ばれる魔法も、恐らくは先代竜の知識に照らし合わせれば、ある程度は使えるだろう。
だが魔法というものは属性による相性というものがあり、火に耐性が有る相手に対して火魔法で攻撃したとしても、大した効果は望めまい。
一目見てそうした特性が分かる敵ばかりなら良いが、殆どは分からない方が多いと思う。
それにエルダードラゴンは戦う相手の属性など気にする必要もない程に、圧倒的な力を持っていたからなのだろう、この世界の魔物や魔獣についての弱点の情報なんて殆どがno data状態だ。
だから、いざという時に身を守る手段として、やはり慣れているダーツを使うのが良いのではないか──と、わたしは考えたのだ。
昨日のワイバーンとの戦いは、とにかく必死で、結果的に上手く撃退出来たから良かったが、もうあんな危ない真似はしたくない。
敵を倒す時は先ず自分の安全を確保し、確実に倒せる状況をセッティングしてから、自分の最も慣れた武器を持って戦闘に臨む。これは全ての戦いに於いて基本だろう。
──と、弟と一緒に遊んだアクションゲームの教官役のNPCが言っていた。わたしも全面的に同意する。
…まさか、それを現実に実践する日が来ようとは思わなかったけど。
創作魔法で作ったダーツを幾つか手に持ち。上半身でスナップを効かせて
的に射る。投矢は過たずに全部、的に命中した。
さすがに全部中心に当てられる程の腕前ではないが、それでも大きく外れることはない。
次に、今度は倍ほどの距離から投擲してみる。
距離が離れればそれだけ威力が落ちるので、風魔法に乗せて威力を補ってみる。──自分の力だけで投げるよりも深く、投矢が的に突き刺さる。
風魔法に乗せた分、威力が増したようだ。
この調子で練習して行けば、きっと充分に武器になるだろう。
そう思って気を良くしていると、突然──声がした。
「こんな場所に──何者だ?」
驚いて声の方を振り返る。
そこには、一人の男性が──わたしと同じくらいに吃驚した顔をして──立っていた。