件の男
目を覚ますと世紀末救世主っぽくなっていた。
窓の景色からして多分廃墟の五、六階。
手触りから分かる隆々たる体、でかい手のひら、大きな拳、手首……腕。
何革か分からない革ジャン革パンにごついブーツ。
前腕には例によって包帯が巻かれているが……前から不思議だったけど何で巻いてるんだこれは。怪我? いや、ぐりぐり動かしても別に痛くない。何となく軽い獣臭がすると思ってたけど、さほど臭くもない。
それより寒いな。そう、寒くて目が覚めたんだ。毛布一枚じゃ耐えられない。革ジャンの下は何も着てないのか、と胸元を見ると、なんてこった。あるよ、七つの傷跡が。
待て待て待て。
何だよこれは。どういうことだ。現実感ないけど夢じゃないぞ。
何で俺は廃墟で寝てたんだ。
もし悪戯なら、酔わせて川に放り込むとか、公園に放置するくらいのはずだ。
窓の外は見渡す限りの世紀末、不毛の大地。悪戯で溶けたビルの卒塔婆が並ぶ荒野にわざわざ運んだりするわけがない。準備するだけで大変だ。岩石砂漠の遠く向こうでは煙が数本のぼっている。これが撮影セットとは思えない。吹き込んでくる風の感覚も間違いなく本物だ。
俺はごく普通の生活をしていたはず。仕事から帰って、風呂入って、ビール飲みながらゲームする、そんな社会人だった――
いや、学生だっただろうか?
引退した爺だったかもしれない。
それともこの世紀末が現実で、朧げな日常の記憶こそが夢だったのだろうか。
蝶の夢を見た男の話。虎になった男の話……。
いかんいかん。くだらん事を考えてる場合か。食べ物もないし、こんな所に居たらいずれ死んでしまう。サバイバル能力は皆無で飯ごうが使えないレベル。今はその飯ごうすら無い。
しかし何処へ行けばいいものやら。コンクリ剥き出しの部屋には何もない。部屋の隅に雨水でも溜まっていないかと見てみたが、ただ無機質な砂埃が溜まっているだけ。
途方に暮れてただ窓の向こうを見る。
あ、そうか。煙がのぼってるなら人が居るはずじゃないか。時間はかかるだろうがこれは行くしかない。幸い階段はしっかりしている。さっそく下に降りよう。
寒さ、空腹、不安から少しだけ解放されて階段へ駆け寄る。が勢い余って階段を踏み外した。
……どころか大きく宙に飛んでいた。
はるか下に見える地面があっという間に近付いて、砂利や砂粒まで見える程近付いて――
……着地!!
なんだ!? 体が軽いぞ。
そうか、世紀末覇者っぽくなってるからか。
凄いな。階段を二セット無視しても足が痛くない。
調子に乗って
「ホアァッ!」
右脚が高々と上がる。体がすっごい柔らかい。
もういっちょ、今度は左脚で
「ホアァーーッ!」
おぉ~。いい。すごくいい!
「ヒャッハァーー!」
これはちょっと違うけど。でも爽快だ。この叫び声っていい気分になれるんだな。だから皆叫ぶのか。
少し気分を持ち直して下まで降りきると、これまたごついバイクが停めてあった。重心の低いアメリカンな代物。正直歩くのはしんどいと思ってたからこれは助る。
……まぁよく考えたらこういうものが有って当たり前か。荒野のど真ん中の廃墟まで歩いてやって来る訳がない。連れて来られて置き去りの刑なら、絶望的に町から遠く離れた所に連れてこられるか、あるいは建物に縛り付けるかされていただろう。
キーは付きっ放し。それは良いが、バイクに乗った事が無い。確かギアチェンジするんだっけ。原チャなら車の免許取った時に乗ったが、それも一度きりだ。
取りあえず乗ってみて、地面に足を付けたまま(脚が長いな)キーを回す。よし、エンジンはちゃんとかかった。そして左のグリップを少し回すと……あれ、進むぞ。何これ、原チャなのか。この親玉専用的ななりで原チャ仕様なのか。まあいい、まあいい。これなら乗れる。
もう一度両足をついて、深呼吸をしてからゆっくりとグリップを回す。重心の位置を確認しながら足を離すと、馬鹿でかい原チャリが苦しそうに進み始めた。
控えめに土埃を上げながら荒野を進む。ぶいーんと軽快な音を上げて進む。歩いていたらさぞ大変だっただろう。
……だけど、いまいちこう、気分が乗らないな。安全だし心地よいけど、直前気分が昂ったせいで物足りない。もっと簡潔に言うと、猛スピードで走りながら絶叫したかった。そんな気分になれないのがもどかしい。
つらつら考えているうちに町が近付いてきた。この外見でこのスピードじゃあちょっと気恥ずかしいと思いつつ、降りて歩くのは面倒でそのままぶいーっと進む。
と、男が一人、じっとこちらを見ている。
「やあ。随分安全運転で来たもんだな」
「凸凹して危ないですから」
話しかけてきた男によく分からない言い訳をしてしまった。と同時に涙が出そうなほどほっとしていた。俺以外に人が居てくれたんだ。
「あの、一つ聞きたいんですが、ここは何処なんですか? どうも記憶が飛んでるみたいで。私は……」
礼儀正しく名乗ろうとしたが何故か名前が出てこない。
「あれ? あの私は……」
自分の名前が思い出せない。
「名前、思い出せんのだろ? 記憶を消されているからね」
そんな話があるか。名前……俺の名前……何で出てこない。鉛筆、ノート、消しゴム、上履きに何度も書いた苗字が思い出せない。ひらがなも漢字も。運動会のゼッケン、朝顔の鉢に刺した札、写真に写った俺の名札……。
顔も思い出せない。咄嗟に何か映るものを探す。そうだハンドル。顔をハンドルに近付けてみるが、くそ、歪んでいてはっきりしない。
「ここは地雷原なんだよ」
「は? 地雷?」
「そ。君は、というか皆だけど、金持ちの機嫌を損ねた罪でここへ放り込まれたんだ」
「……何なんですかそれ。意味が分からないですよ」
「正常な反応だ。分からなくて当然だよ。ここはある漫画を模して造られた電脳空間だ。我々はそこへ意識を放り込まれている」
「なんでそんな面倒なことを」
「だから悪趣味な金持ちを怒らせたからさ。……と、偉そうに言ってるけど俺も記憶が無いからな。今の話は人づてだ。自分ではまっとうな人間だと思うんだけど、何かやらかしたんだろう。誰かの保証人になったとかかもな。ここへ来て直ぐの頃は思い出せる事柄も多かったけど、少しずつ忘れていく。モデルになってる漫画で何が重要だったか、何が致命的だったか思い出せなくなる。そうしている内に先の展開を知らない、漫画の登場人物そのものになっちまうんだ。君はどうだい? その漫画が何か分かるかい? やっぱり人が死ぬ漫画なのかな」
「そりゃあ世紀末でごっついバイクが出て来て胸に七つの傷があるんだからアレですよ。マッドマックスのオマージュで……あれ?」
「出てこないか」
「いや、分かりますよ」
誰だって知ってる漫画だ。絵柄だって思い浮かぶ。でも、題名だけ出てこない。
「俺達のこんな姿を見て、サディスィックな金持ちが喜んでるんだとさ。自分の素性を思い出す事が出来れば無事にログアウト出来るらしいが……その前に死亡フラグを立ててしまうと脳を焼かれるそうだ」
「……焼かれるとどうなるんです」
「そりゃ死ぬよ。ここでは体が破裂したり輪切りに成ったりして死んじまうんだ。そう表現されて、そして煙の様に消えてしまう。噂じゃ脳を焼かれるんじゃなくて、失格判定後にもっと酷い実験に使われるとか、そんな話もあるけどな」
男は穏やかな顔で淡々と語った。辺りを見回すといつの間にか他にも人が集まっている。それが皆、彼と同じような穏やかな表情。ここにいるとそうなってしまうものなのか。考えようによってはここは平安な世界と言えるのか?
「いやいや違う。俺らはただおぼろげな記憶を頼りに、『こういう表情をしてる奴は死なずに助かった』と思って真似してるだけなんだ。皆が無口なのは無駄口叩いて死ぬ奴が多いから。行動より言葉の地雷が多いらしい。そこでみんなで知恵を絞ってね、少しずつアウトな発言を記録していくことにしたんだ。少しでも長生きして記憶を呼び戻す確率を上げるためにね」
「……もしかして、バイクにのってヒャッハー!って叫んでたら危なかったんでしょうか?」
「フフ。それはかなり危険な臭いがするな」
汚いボロを纏った男がゆったりと話す。それが取り繕った穏やかさだと聞かされても、密かに人としての魅力を感じた。冗談を言ったのは二人で少し笑いたかったからだ。こんないい男が一体何をしでかしたというのだろう。
「しかし、君はまだゲーム開始前だから大丈夫だったろうな。君をここに放り込んだ金持ちは、さっきも言ったけど酷く嗜虐的でな。ゲームのルールをちゃんと君に伝えて、助かる方法を教えた上で、君が悩んだりする所をみて楽しむんだそうだ」
「じゃあ人づてって言ったのは」
「そのルールを説明するメッセンジャーの事だ。道をまっすぐ行った突き当りの建物にいる。さあ行っておいで。今後の事を話したいが、まずは彼に会ってからだ」
男が指差す方には、低い塀で囲まれた三階建ての建物がある。元は役所か何かだろう。
「あぁ、ちょっと待った。スタート直後にやられる奴が多いんだ。気を付けろよ」
そう付け加えると男はバイクから離れた。
彼に礼を言って、またぶいーっと進んで行く。
建物に入った。床に大きな病院や駅のごとく『メッセンジャーこっち』と矢印が描かれている。不愉快な親切さだ。ようこそこんな世界に、早く馴染んでいただけるよう努力しましたってか。
迷うことなくメッセンジャーの部屋までたどり着き、ノックの後、失礼します、どうぞ、という短いやり取りをして中に入る。正面に小さな椅子があり、そこに性格の悪そうな、比較的小柄で姿勢の悪い男が座っていた。見た目だけで判断するのは良くないが、あまり感じの良い男では無い。
「どうぞ遠慮なさらずお座りください」
と、彼はやけに低い声で、見た目に似合わない役人的な事を言った。
「先ほど通りの人と話をされていましたね」
「ええまあ。ここが電脳世界で助かる方法があると」
「その通りです。三つほど補足させていただきます。まず、私と会った時点から、このいわゆる罰ゲーム開始となります」
「ちなみにもし会わなかったらどうなってました?」
彼はにたっと笑って面倒臭そうに頭を掻いた。
「荒野から街まで移動してここへ来るよう様々な工夫がされていて、必ずここへ来てしまう様になっていましてね。もっと言うならば、ここに来るまでに大まかなキャラクター付けがされるようになっているんです。一子相伝の暗殺拳の使い手をイメージしたなら、胸に七つの傷のある眉の太い男。弱気になりつつも希望を捨てないなら、種もみを大事にする爺さん。刹那的な快感に実を委ねようとするなら下っ端のモヒカン。他にも無数にありますが、ありふれているのはこの辺りです。現実世界の性別は関係ありませんから、女性キャラとして活動している男性もいますよ。その場合は途中でさらわれてこの街に連れて来られる、といった感じです。ここへ来てからも言動によって見た目等が変わったりしますが、それは微調整と言ったところですか。いずれにせよ私と会わずにいるというケースは今の所ありません。もし仮にそういう方がいたとしても、疑似空腹による疑似餓死か、発狂という結末となるでしょう」
わざとなんだろうか。丁寧だけど少しねちゃっとした嫌な感じがする。
「そうですか。まあそうでしょうね。すみません、続きをお願いします」
「二つ目は死亡フラグについてです。原作、アニメ問わず、任意のキャラクタが放つ死の直前のセリフを言ったり、特定の行動をとってしまうと、現在眠っている本体の生脳を刺激して作品中のそのシーンの記憶を人為的に呼び起こし、本人による死亡フラグの承認の後、失格となります」
「あのー。その作品が思い出せないんですけど」
「キャラクター付けが終わって徐々にその記憶がカットされているんですよ。でも大丈夫。判定はこちらでやりますから」
「……思い出せなくても、兎に角アニメとか漫画でこのシーン確かにあった、しまった、と思わせてから失格にするということですか」
「慧眼ですね。その通りです。オーナーの強い意向で」
「失格になるとどうなるんです」
「さぁ、そこまでは私も。より酷い人道に反するような実験等にまわされるとか色々なケースがあるようですが、基本的には非常に苦しい目に遭われると思われます」
酷い事をさらっと言いやがって。何かいちいち不愉快な奴だ。さっき気持ちの良い男と話をしたせいで余計気分が悪い。今の体なら相当な無茶が利きそうだが、メッセンジャーをぶん殴ったらさすがにまずいか?
「それから三つ目、この罰ゲームのあがりについてです。御自身で記憶を取り戻し、本名とそれプラスもう二つ個人情報を申告する事でこの世界から解放されます。ここで言う個人情報とは、現住所、勤め先、生年月日、学歴、職歴、家族構成、好きな食べ物、愛読書、ペットの名前等々様々ですが、申告時に内容について簡単な質問をされます故、それに答える必要があります。記憶が戻っている場合間違う事の無い簡単な質問です」
「思い出せって言われても、記憶を消されてるでしょうが」
「一つテストをしてみましょう。私が誰かわかりますか?」
「その今のキャラの名前って事ですか」
「そうです」
「……分かりません。絶対知ってるはずなんですけど」
「そりゃあそうでしょう。原作を知っているからこそこの世界に放り込まれたのです。知らない世界でただ失敗しても詰まらないですから。良く知っていたはずなのに言ってしまった、やってしまったー、という顔を見るのが堪らなく愉快なのです。私では無いですよ、あくまでもオーナーが、です」
だんだん露骨に厭味ったらしくなってきた。これはこのキャラが元からそうなのか、中身の性格が悪いのか。
「思い出せませんか? では一つヒントを差し上げましょう」
咳払いを一つして男は笑みを消し、髪をかき上げてオールバックにして、ぐぐっと姿勢を正した。そして
「退かぬ」
「え?」
「媚びぬ」
「え? ……あ! 省みぬっ!」
最初のたった二言が呼び水となって一気に思い出した。すると目の前の見知らぬ男は、見覚えあるおでこにぽっちのある男に変わった。ああこいつ……あの男だったのか!
「このように刺激によって思い出す事も出来るのです。つまり完全に記憶を消されているのではなく、脳の化学的処理によって人為的に非常に思い出しにくくなっていると考えてもらえばよろしいでしょう」
……あっぶねー! 無敵のからくりを知らないと絶対倒せないインチキキャラじゃねーか!
手を出した時点で死亡フラグ、反撃確定、即死。これがさっきの男が言ってたスタート直後のアウトか。怪獣みたいな馬に乗った怪物キャラもいた気がするが、それなら怖くて歯向おうとは思わない。一方こいつはやや小柄で、こちらに手を「出させ」やすい。
問題はこいつが姿勢悪く座っていた事だ。明らかにこちらを油断させようとしていた。
何のために? それはもう手を出させるため、としか考えられない。つまりこの世界には罠を張る人間がいるのだ。
こんな罠が一体いくつあるんだろう。女に声をかけたら駄目とか、料理を注文する時に言ってはいけない言葉とか、そういうものが一体どれだけ設定されているのだろう。俺はここで生き延びる事が出来るのか……?
しかし、何かヒントさえあればあんなに簡単にはっきりと思い出す事も出来たんだ。
ヒントさえあれば……。
「フフフ。どうされました。急に黙り込んでしまって」
「……自分を思い出すって、どんなふうにすればいいんだ」
「当たり前かもしれませんが、まずは生き延びて、多種多様なものを見る、聞く、触れるということでしょうか。御自身の事を思い出す鍵は必ずこの世界に有ります。わざわざ置いてあるんです。その、折角わざわざ置いてあるヒントに気付かず右往左往する愚か者を見るのが、何より楽しいのです。私がではなく、オーナーが、ですよ」
コケにされてるのは分かってる。それに対して何も言い返す事が出来ない。反論がアウト判定かもしれないのだから。
もし生還したら、まずこいつをぶっ飛ばしてやる。話し方からして中身は若い奴だろう。そんな若造に今は言いたい放題言わせるしかない。
……待てよ。俺は今こいつの事を若造って思ったな。ある程度の礼儀をわきまえていて調子に乗るくらいの若造……二十代後半から三十代前半くらいか。それを若造と言うなら、俺は三十後半から四十、五十代ってことか?
目覚めた時は自分が子供だった様にも爺の様にも感じた。子供の頃の記憶は誰にでもあるが、爺になってからの記憶は爺にしかないはず。いやしかしな……脳に細工をされているのだから、そう単純な事でもないのかもしれない。
そうだ、ゲームから推測するのはどうだろう。俺は小さい頃からずっとゲームが好きだった。子供の頃俺はどのソフトで遊んでいたか。半裸の男が飛んだり跳ねたり鉄槍投げたりするやつ、羽の生えた戦闘機のファンシーなシューティングゲーム、セーブデータが消えるとぞっとする音のするロールプレイング、対戦格闘ゲームブームの火付け役になったあれ、リアルなアニメーションの麻雀、髭の配管工。それらをやっているのは……青年の俺だ。年代がいろいろ違うはずなのに全部いい年こいた俺がやってる、そんな光景しか浮かんでこない、上手く記憶をたどれない。
さっきみたいに、今いるこの世界で刺激を受けないと記憶が鮮明にならないということなのか。
考え込んでいる間、一体俺はどんな酷い表情をしていたのだろうか。目の前の若造の顔にはいつの間にか憐れみが混じっていた。疲れているようにも見える。
「実は別の方法がもう一つあるんです」
「別の方法?」
「これは数年生き延びた人向けの措置なのですが……現在罰ゲーム内にいる方の名前を読み上げるというものです。記憶が戻っていなくとも、読み上げられた名が自分のものだと思ったなら、これが自分の名前だと宣言し、実際に一致していたなら解放されます」
「ここで出来るのか!? なら今すぐ」
「間違っていたならその時点で失格となります。先ほど申した通り、数年間ここにいたプレイヤーのための措置です。数年いたけれど、どうしても自分の名が分からない、素性の影さえ見えないと嘆くプレイヤーに、一発逆転のため用意した手順です。非常にリスキーな手段なのです。話しておいてなんですが、いきなり勝負に出る事もありません。まずはここでしばらく生活してみてはいかがでしょう」
そう言って男は窓の方を見た。
窓ガラスは枠に微かな痕跡を残すのみ。代わりに木製の両開きの戸が取り付けてある。開け放たれた窓から街のはずれが見えた。あの穏やかな男と(それに無言の聴衆と)会った場所だ。
「行っておいで」と彼は言った。そして戻ってきたら話をしよう、と。
彼らと生きて行くのも悪くないだろう。他にも気の合う奴、楽しい奴がいるかもしれない。同病相哀れむ。同じ境遇の、話が通じる者同士で一つの目標を持って生きて行くというのは、ある意味では理想的な生き様ではなかろうか。無駄や飾りを排した本質に近い、人としての生き様。元の世界で俺はどんな生き方をしていたかは分からないが、ここまで簡潔で十分なものだっただろうか。一面的にはこちらの世界の方が良い部分もあるのでは――
しかし一方で、本能が悲鳴を上げている。
ここから逃げ出したい、生きていたい。それが頭蓋の中で反響して、心がかき乱される。
目の前の男が正体を現した時、俺は直感した。きっとこの世界を生き抜く事は出来ないと。さっきのはほんの小手調べに過ぎない。本当にはめようとしていたなら、もっと入念に準備をしてこちらを誘導していただろう。そしてそれは恐らく可能なのだ。俺はさっき嬉々として『省みぬ!』と言ってしまったけど、それがアウト判定だったならすでに死んでいるのだから。
仕掛け人をログインさせて罰ゲームプレイヤーを誘導する。親切に話しかけて罠にはめる悪魔の様な手段。極端な事を言えば、最初に出会ったあの男がオオカミ少年かも知れないのだ。大量殺戮のためのキーパーソンかも知れないのだ。
かと言って、いきなり大勝負をしていいものか。これこそが「スタート直後にやられる」パターンではないのか。
じゃあここで暮らすのか? しかしここはまさに地雷原。自分の言動全てが地雷になり得る。
……俺はここで生き延びる事が出来るのか?
どうすればいい。
どうしたらいい。
「ご自身の名前についてはかなり広範囲にわたって処理されておりますから、『これだ!』という『偽の直感』がしばしば起こるようで、このチャレンジによって失格になる方は多いのです」
「……数年経たないと駄目か?」
「いえ、そういうルールは無いと言ったでしょう」
「なら今ここでやることも出来るんだな」
「待ってください。現時点で約百名のプレイヤーがこの空間にいます。間違う確率のほうがはるかに高いのですよ? 百発入るリボルバーに弾丸を九十九発込めてロシアンルーレットなんて……」
「弾が入ってない所を自分で選べるじゃないか。この世界にある死にフラグは百どころじゃないだろう。それに……あんたみたいな刺客だっているんだろう?」
「確かにそうです。だからと言って――」
質問の形式をとっていたが、俺にとっては最後のお願いだった。否定して欲しい、そんなに多くないですと言って欲しい、そんな奴はいないと言って欲しい、もう勘弁して欲しい、そういう懇願。しかしそれがあっさりと拒否されてしまったとあっては、もう全精神を集中して、全脳力を振り絞って自分の名前を感じ取るしかない。それが一番生き残る確率が高いと感じた。これは自分の情報じゃない、培ってきた自分の感覚だ。数年後は分からないが今なら。まだ微かに記憶が残る今なら、自分の名を嗅ぎ分けられるかもしれない。
いや、嗅ぎ分ける!
「当ててやる。言ってくれ」
「待ってください。もう少しだけ考えてください」
「あんたは金持ち側の人間じゃないか。何で止めようとするんだ」
「確かに私はあなたとは敵対する立場にいるが、それでも目の前で死なれるのは気分が悪い」
「どうせ雇われだろ。俺が要求すれば参加者名を読み上げる、そうだろ?」
「分かってるよ。だけどこんなリアルな世界で目の前で人死にを見たいか? 俺はもう見たくないんだよ!」
突然男の口調が変わり、目に見えて弱気になった。そのあまりに落差に心が沸く。
自分の身はどうなってもいいからこいつを追い詰めたい。これも自分の感覚だ!
考える前に、猫が玩具に反応する様に、俺は夢中で相手に掴みかかっていた。「省みぬ!」と言った時の様に高揚していた。殴る蹴るだけはしない様に気を付けながら、絶望的なギャンブルをやらせろと怒鳴っていた。
胸倉をつかみながら
「いいから! 言えよ!」
「どうせお前は死ぬんだ」
「そんなのわかんねーだろ!」
「頼むから俺の見てない所で死んでくれよ。ログアウトして、泡吹いて痙攣してる死にたてを片付けるだけでも、もううんざりなんだよ」
「いいから言え!」
「嫌だ! 今死ぬな、俺以外に殺されろ! そのうち死ね!」
男が俺の手を振り払い、走り出した。
「おい、逃げるな!」
その脚に飛びついた。ひっこけた相手を無理やり引きずって部屋の奥へと押し込める。逃がすものかと、男の前に仁王立ちで立ち塞がって
「おい、お前! 俺の名を言ってみろ!」
その瞬間男はにたりと笑い、眉毛の太い男に変身した。
俺はいつの間にか悪趣味な鉄兜を被っていた。伝説の暗殺拳の前では何の役にも立たないフルヘルメットを。
ちくしょう。上手くやりやがって。
ぎりぎり二次創作ではないと思って投稿しました。
出オチです。