同じ窓辺で
『同窓会』―――その学校の卒業生同士が当時を振り返るために集まる非営利なイベントごと。
単純に考えれば、旧友に逢うということは喜ばしいことなのだが、それは特別に仲が良かった友達だけの話じゃないのだろうか。昔は格好良かったアイツがこんな~とか、昔はクラスのアイドルとか言われていたあの子が今では~みたいな昔と今を妙に比較してくる奴らが必ずいる。高校デビューを果たし、見事に青春を謳歌できた俺もこの同窓会だけはあまり出たいとは思わなかった。
それほど小学校のときに仲が良かったわけではない。そもそも中学は別の所へ受験したからそれ以来付き合いがない。しかも身体が弱かった俺はある時期から学校へ出られなくなりその間に友人たちの勉学は捗る最中、俺だけが取り残されていった。闘病しながら復帰しようにもクラスメイトが恐ろしかった俺は不登校児になっていた。
あれからいろいろあって小六の夏になんとか中学受験を頑張ろうって気になって……、あれ? どうして学校へ出て来れて、どうして中学受験をしようなんて考えていたんだっけ……。
考えている間に同窓会の行われる店へと到着した。町内会の経費で一室丸々貸切だそうだ。こんな俺にまで招待状が届くわけだから、そうとう張り切っているのだろう。幹事が誰かすら分からないが。
「あ、もしかして功治か?」
突然、声を掛けられてビックリしたが、この男……こいつも恐らく本日の同窓会の参加者だよな……。ヤバい、コイツが誰だか全く分からない。しかも誰が功治だ、誰やねんソイツ。
「いや、俺は蒼梧だけど」
「え? うそ、マジで? 蒼梧って、あの金谷蒼梧?」
「あ、ああ」
俺を見て口をあんぐりと開けているこの男。ほら、出たよ。こういう反応するやつ、だから嫌なんだよな。小学校時代の級友に会うなんてさ。
「いや、スマン。ぜんぜん分からなかった」
安心しろ。俺もお前のことは知らん。誰だ。
「なんつーか、すっげぇ変わったなお前」
三度くらいまじまじと俺を見る変なやつ。ジロジロと見られるのはあまり、というか全然気分がよくない。
「前はもっと根暗だった、とか?」
「い、いや。そういうわけじゃねーんだけどさ」
図星なのが見え見えなんだよ、間違っちゃいないんだけどさ。
「……行こうぜ。もうすぐ時間になるしよ」
この場で立ち往生してもしょうがない。俺はよく分からないこの男とこれ以上喋るのも億劫だったので切り上げる。実際、時間も差し迫っているところではある。
店内に入ると団体客かどうかを問われ、肯定したのち部屋へと案内された。団体客用の大広間の前へと応接されている途中、一緒に歩いていた男は懐かしの友に逢うのが久しいからか妙にソワソワしていた。俺にはそもそも懐かしいと思えるやつも居ないからその様子は実に滑稽だった。
「ごゆっくりどうぞ」
店員の言葉に軽い会釈をし、ふすまを開ける。部屋は宴会出来そうなくらいなかなかの広さを誇っており、成る程張りきっているという理由も頷ける。中は既にほとんどが集っておりどうやら俺らで最後らしかった。俺を見る人間のほとんどが「え、誰?」という顔をしている。分かってはいたがこれはキツイな。
「おっす、久しぶり」
隣の名無し男が軽快に挨拶をする。そこで視線は俺からソイツへと移り変わった事に多少救われた、ナイスだ名無し。
「岡田かぁ、変わらねーな!」
名無し男改め岡田は、誰が見ても分かるほどに変わっていないらしい。それだと俺の記憶力が悪いように聞こえてしまうが、そんなものだろう同窓会って。
そのあとは視線が俺の方に戻り、ヒソヒソと周りで俺が誰かという話し合いをしている。奥に居る女性がふと目に留まってしまった俺はそんな周りが一瞬気にならなくなってしまう。奥の窓越しに座る女性は誰とも相談しようともせず、ただただ俺に微笑みかけていた。
「え……っと最後のヤツだから、え? お前まさか蒼梧か?」
ザワついていた周りが静まり俺の気はそちらに戻されてしまう。
「ああ、そうだけど」
誰もが驚いた表情を隠せずに俺を食い入るように眺めていた。激しい悪寒を覚え、奥の空いていた窓側の席に急ぎ足で着く。
「蒼梧って、金谷くんってことだよね?」「すごい別人みたい」「雰囲気とかも別もんだよな」「え? あの『三ヶ月の金字塔』?」
口々に俺を見やりながら周りで囁かれている。どこかで感じたことのある不愉快極まりないことこのうえない感情。早くも帰ってやろうかという気になったが、それは僅かなプライドが許さなかった。
「よ、金字塔」
目の前の女性に小馬鹿にされたようで、眉間にしわが寄ってしまう。先ほど入ったとき、俺に微笑みかけていた女性だった。しまった、こんな席に座るんじゃなかった。長い髪を後ろで括っているこの女性は、本当に俺と同い年か? というくらいやけに大人びており、そして美しかった。整った顔立ちをしているし、こんな中に一人で居るというのも珍しい。
「バカにしているだけだろ」
抵抗する気すら起きない。言いたい奴には言わせておけばいいという考えが定着していた俺は味気のない一言で返した。
「それは違うと思うけど……相変わらずの鈍感だよねぇ」
ニッと笑う女性に俺は一瞬たじろいでしまう。見た目が好みのせいか余計に相手しづらい。どうして他の男どもはこんな女性を放っておくのだろうか、もしかして俺の感性が可笑しいからか?
「ン」
相変わらず、という言葉に違和感を覚えた。それは俺のことを知っているという風だ。この世代で俺と仲が良かった奴なんて居たか? しかも女子だ、居たら絶対に覚えているはずなんだが。もしかして誰かと勘違いしているんじゃないのかと疑いたくもなる。
「私のことも分かっていないみたいだし、まあ当然っちゃ当然だと思うけど」
「それってどういう……」
そこで全員が揃ったことにより幹事からの呼びかけで話は中断されてしまう。乾杯の音頭を取る前の軽い前説が始まる。
俺はそんな事は気に掛からず、俺と関わりのある女子を洗い出そうとするが十年近く前の事を思い出せないのに負い目を感じざるを得なかった。
「乾杯!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」
周りの声で一斉に我に返ってしまう。するとお酒の入ったグラスを俺の目の前に件の女性が差し出していた。
「ほら、かんぱい」
「あ、ああ……かんぱい」
酒の入ったグラスを彼女のグラスと軽くぶつける。そして彼女はソレを一気に飲み干す、対する俺はグラスに口を付けずそっとそれを戻す。
「あれ? 飲まないの?」
「車で来ているから飲めないんだよ」
すると顔を真っ赤に染め上げた彼女がとても嫌そうな顔をした。つーか酔うのが早すぎる!!
「それは勿体ないよっ、実に、それはもうとてつもなくっ」
大人びた姿からがらりと変わり果てた状態になった女性は俺の顔を両手で挟みながらそんな事をぼやいている。
「いひはひふらい(息がしづらい)」
すると俺の顔から手を放し、頬付きながら俺を見ているが完全に目がすわっている。
「じゃあ、蒼くん家で、飲めばいいんだょ……ね……ぇ」
おいおい、完全に出来上がっちゃってるじゃないか。たった一杯でそこまでなれるとかどんだけ酒に弱いんだよ、どうして飲んじゃったんだよ。
「蒼くん、なぁ」
俺のことをそういう風に呼ぶ奴なんて……アイツくらいしか居なかっただろうに。俺という一人の人間を変えてくれた、恩人とも呼べる俺の初恋相手。
金谷蒼梧、小学五年生。僕はこの頃からストレス性の病気に陥り学校を休みがちになってしまっていた。別段、学校で虐めにあっていたり、勉強に追いつけなくなったりなどはしてはおらず可もなく不可もなくといった生徒だった。家庭が少し貧しかったことは関係ない……と思う。恐らく、いつからか感じるプレッシャーというやつに耐えられなくなっていたんだと思う。
将来の事を考えすぎて、家族に迷惑を掛けないようにと怯えて、社会へ出て行くことに対しての恐怖。ニュースを見ていても先が明るくなる様な内容は少ない。最初は頭痛や腹痛から始まり、最後に至っては動けなくなるほどの状態になってしまい、さすがの医者でも頭を抱えたそうだ。
「これは本人の考え方が変わらない限り、治る見込みは薄いでしょうな」
投げやりな一言を発せられたとき、母さんは泣きそうになっていた。自分のせいで子供が不安になっているんじゃないかと。そのせいで母さんは昏睡してやがて過労死した。それが僕の心に深く、深く切り刻まれていった。
やがては祖父母に引き取られ、両親代わりに僕を育ててくれた。だけど、僕の不安に駆られたトラウマは去ることはなかった。
本格的に学校に行かなくなってからは、祖父母の家から見える学校を数回眺めるだけの生活だった。
学校へ行きたい。だけど、行ってどうすればいいのだ。こんな僕に今さら接してくれる人なんているのだろうか。そんな考えからあの症状が度々僕を蝕んでいった。
「今日は、風が暖かいな」
窓を開け放ち、そよ風が部屋の中を行き交う。この時期になると毎日が同じことの繰り返しだという行為も四季の移り変わりで新鮮さがまた違う。散りゆく桜の花びらが寂しいと感じながらも新緑の季節になっていくことを考えると不思議と暖かさを覚える。
風にそよぐ花びらを視線で追うと、三階のある教室の窓が気になってしまった。
「本当なら、僕もあそこに居るんだろうな」
教室の中はココから見ることが叶わないなか、そんな事を夢見ている僕だけどそれはただの憧れでしかない。不安や疑念を抱きすぎて本当の気持ちをひた隠しにしてきた僕を受け入れるはずもないか。
「いっそ転校でもしてしまおうか」
そんな事をぼやいていると教室の窓から女の子の姿が見えている事に気付いた。先ほどまで見えなかったのに、休み時間だったのだろうか。じゃ、あそこはあの子の席か。
「誰だろう」
遠目で分かりづらいにしても窓から見えるあの女の子の事を僕は知らなかった。あそこは六年生の教室棟の筈、転校生でも来たのだろうか……。
その女の子は授業が暇なのだろうか、窓の外を頬付きながら眺めていた。
数日の間、窓の外を眺めると、決まってあの女の子が窓から顔を出している姿が度々目に留まった。この日も僕は相変わらずその様子をボーっと眺めていると、
視線が合ってしまった――――。
「……っ」
驚きのあまり壁側に隠れてしまった……いや、気のせいであると信じたい。意を決して僕は窓の外を再び見やった。
「あ」
完璧にこちらを見ている。距離は一キロもないくらいか……。すると女の子はあまりに暇だったのだろう。軽く手を振ってきた。僕はたじろぎながらも手を振りかえしてみた。すると女の子は授業に集中しだしたのか、ノートを真剣に執り始めた。
「まあ、そんなもんだよね」
突然窓から出会った人とのコミュニケーションなんてそれくらいが妥当だろう。むしろ知り合いだったら手を振るは愚か、カーテンを閉めてしまいそうになるけど。
すると女の子がノートの一ページ分をこちらに翳してきた。目はいい方なので視えない事もない。そこには『ここの生徒?』と書かれていた。
どう答えたものか、今この部屋ではペンもノートも簡単に用意できそうにない。とりあえず僕は両手で大きく丸を作り肯定の意を表す。
『五年生?』
僕は両手で大きく×を作る。その後人差し指を立てて上を指す。それより上だという意味を込めて。
『どうして学校に来ていないの?』
今度書かれている文章は文字が多く少し見づらかったので双眼鏡を取り出し、それを装着して文字を読み取った。しかし読み取ったところでどう答えたものか。考え出すと急に胸の奥が締め付けられる感覚が走り、咄嗟に窓枠にしがみ付く。窓の向こうの彼女が授業中にも関わらず立ち上がっているのが目に映ったがそれっきり僕は意識不明になった。
それから数日、窓は愚かカーテンさえも開けず、僕はベッドで寝たきりになった。祖母が部屋を掃除しに来てくれるが、顔を合わせられない僕は布団に潜り鳴りを潜める。いつまでもこんなことを続けていてもいけない事は分かっている。そんな時、また学校を眺め出すことで何かが変わるんじゃないか……希薄な願いを込めて僕は今日も生暖かい風に身を窶す。
「あ」
授業が終わったのだろう。生徒が教室の中を行き交う様を眺めていると窓の外を、正確には僕の事を見つめる女の子が居た。またあの子だ、僕を見て一瞬驚いた表情を魅せたが直ぐに僕に向かって手を振り出す。
『だいじょうぶ?』
既に手に取っていたノートを僕に向かって見せつける彼女。僕は、あの日以降祖父にノートを買ってくるように頼み、そして今日それを開封する。
『だいじょうぶだよ』
拙い字面ではあるが、なんとか相手に伝えることが出来た。僕は彼女とコミュニケーションを取れたことにかつてないほどの喜びを覚えた。
『ごめんね。わたしがヘンな事を聞いちゃったからだよね?』
申し訳程度に手を合わせて頭を下げる彼女に対して僕は大きく首を振った。
『生まれつきなんだ、気にしないで』
すると彼女は胸を撫で下ろし鉛筆で更にノートに何かを書く。
『横居美夏』
そんな文字を見せながら自分を指差す女の子、恐らく自分の名前を指しているのだろう。その後、僕の方を指差して笑顔を見せる美夏。僕はさらっと自分の名前を書く。
『金谷そうご』
するとチャイム音が鳴り響き、美夏は手を目の前に差し出して手を振る。
「またあとで、って意味なのかな」
何故だろう、クラスメイトと話すことさえ拒んだ筈の僕が……どうしてあの子となら対話が成立しているんだろう。距離が遠いから? 言葉を交えてないから? 分からない。だけど僕には今の状況を変える何かをあの子が握っているんじゃないかという考えさえ生み出された。
放課後、あの後美夏は一度も窓から顔を出すことをしなかった。変化しそうな僕の日常の波が一瞬にして落ち着きを見せてしまったことに戸惑いながらも、仕方なく景色を眺める。
「横居……みかって読むのか、みなつって読むのか微妙だなぁ」
窓の端に彼女の名前を書いてみる。これからは彼女の名前を忘れないようにしておこう。
ピンポーン――――
「っ」
突然のインターホンに焦った僕はカーテンを閉めてしまう。何か罪悪感が僕の中にあったのだろう、先ほどまでの自分の行動を振り返り、寒さを覚える。
再度なるインターホン。祖父も祖母も出掛けているのだろうか……、人と会うのが苦手な僕はこの時間が一番憂鬱になる。早く留守だと悟って帰ってくれないだろうか。
「そうごー」
!?
聞きなれない甲高い声が僕の名を呼ぶ。階下に向かい玄関先へとソロリソロリと近づく。投函ポストから顔を覗かせて様子を窺おうとしたら、
「「あ」」
目があった、いや目が合った。どうやら向こうもこちらを覗こうとしていたようだ。
「うひゃっ」
僕は驚きのあまり尻餅をついてしまう。
「あ、玄関開いてた」
ぬかったな祖父母よぉお!!(心の叫び)
「よっ、そうご」
横居美夏が来た。あのジェスチャーの意味はこういう事だったのか、分かる筈がない……。
「ど、どうしてココが……」
「ん? 先生にそうごの事を聞いたらプリント類くれたからついでに~と思って」
謀ったな顔も知らぬ先生よぉお!!(心の叫び)
「まぁいいや、お邪魔しまーす」
驚きを隠せない僕を余所に美夏は靴を脱ぎあがろうとしていた。
「ちょ、ちょっと待ってッ!」
ずけずけと人ん家に入ってきた辺りから予測はしていたが、この子……強引だ。
僕はそんな縦横無尽な彼女を止めようと咄嗟に両手を差し出し、彼女の腹部あたりを抑えると、
「えっ?」
段差を上がったすぐの所、フローリングの床に滑った美夏が前へと倒れ込んでくる。
「うわっ」
支えようと懸念してみたものの、尻餅をついた状態からではどうすることも出来ず、せめて彼女に対する衝撃が少しでも和らぐよう抱き留めて下敷きになる。
「ひゃっ」
瞬間、彼女の全体重が僕にのしかかってくる。耐えられない事もないが、しばらく運動をしていたわけでもない僕は実に非力で非常に苦しかった。顔部分は少し弾力がある何かが覆っており周りの状況が確認できないでいた。
「んー、んー」
「ちょっ、息を吹きかけないで……よ……」
美夏が床に手を突き上半身を上げた。その際、彼女の顔と僕の顔の距離がとても近くなる。
やばい、物凄い真顔で僕のことを見てくる……、反応しづらい。爽やかな香りと僅かな息遣いからくる温もりが余計に僕の思考を遮らせる。鼓動が早い。
「あの……そろそろ放してもらえないかな」
言われて僕は我に返った、そうか僕は彼女を抱きしめたままだったんだ。そんな状態から起き上がったら途中であんな位置になるのも仕方が無いか……。
「ご、ごめん」
慌てて僕は美夏を解放して、彼女から距離をとる。
「「……」」
互いに無言になってしまう。僕に至っては先ほどのことが恥ずかしくて美夏をみることさえままならない。
「とりあえず、上がらせてもらっていい?」
背負っているランドセルを片手に持って、プリント類があることを示している。僕は黙ったままコクコクと頷き、とりあえず美夏を部屋にあげることにした。
「……」
「……」
部屋に入ってもらい、とりあえずは椅子に座るように促したはいいものの突然の来訪にどうすればいいのか分からず、ただただ沈黙が続いた。
「さ、さっきのッ」
「え?」
「さっきの事は忘れて……ね」
耳まで真っ赤に染めて俯きながら、訪ねてきた時とは打って変わった覇気のないトーンだった。
「あ、う……わかったよ」
「うう……、一気に気まずくなっちゃったよぉ」
なんだろう、いつも僕が見ている彼女とはまったく違う感じがした。いつもはもっと自信に満ちているというか……学校の窓までの姿しか知らないけど。
「なんか、今までイメージしていたのとちょっとちがうね」
「っ!!」
僕の他愛のない一言に顔をばっと上げて涙目になる。
「や、やっぱり?」
ちょっと、と言ったがこれはだいぶイメージと違う……、とは思ったけど流石に口には出せないよね、ははは。
「わたしね、今年からこっちに転校してきたんだけど……その、あまりクラスに馴染めなくて……それ以外だったら結構自信があるんだけど」
それで授業中や休み時間、窓から顔を出していたのか。やっぱり転校生だったようだ。もしそうじゃなかったら僕のクラスメイトに対する記憶力が乏しいという事になってしまうから、そこは安心した。
「で、その……窓の外とか見て気をまぎらわせていたら、そうごを見つけたの」
「僕を……」
どことなく彼女と僕は似ている――――、そんな気がした。
「からだ、良くないの?」
美夏は細々とした僕の身体を一瞥した。僕はベッドに腰掛けて手を閉じたり開いたりしてみた。
「そうじゃないんだけど……、心の問題だって医者は言っていたよ」
「そう……なんだ」
またしばらく沈黙が続いた。お互いに踏み込んではいけない境界線というものが分からず、何を喋るか考えあぐねていた。
「ごめん、トイレ行ってくる」
一度、この空気をリセットするために僕は部屋を出る。祖父母以外の誰かと話すのは実に久しぶりだったせいか、喉も乾いたのでジュースでもないか探してみよう。
「ジュース持ってきたよ」
自室のドアを開けて片手にマグカップ二つとペットボトルジュースを器用に持ってきた僕は美夏がニコニコとしているのを見てやや怪訝さを覚えた。
「ど、どうしたの?」
テーブルにそれらを置いて僕は彼女に尋ねる。
「あそこ、わたしの名前が書いてあったから」
美夏が指差す方向を見て僕は言葉を失った。閉めてあった筈のカーテンが御開帳しておりさっき彼女が来る前に消し忘れていた「横居美夏」という文字がくっきりと残っていた。
「いや、あの。それは……えっと」
「わたしたちって、似てるかもね!」
慌てふためく僕を余所に美夏はランドセルから僕宛のプリント類を取り出すついでにノートを取り出した。
「ほら、わたしもココにそうごって書いてる。やっぱりわたしはそうごに出会って良かった」
そう言って僕の手を不意に掴む。突然の事に僕は硬直してしまった。
「わたしの事がこわい?」
そうじゃない、とは言えなかった。今まで他人との接触を拒んできた僕が、遠距離ではあるがやり取りを交わしていた事でさえ自分でも不思議に思えるのにそんな距離を迫られたら不安になるのも当然だった。
「クラスメイトはよく分かんない。だけどわたしはあなたと接してこわいとは思わない。あなたとわたしは同じような気がするから」
真っ直ぐ僕を見据える美夏、僕は堪らず目を逸らしてしまいそうになったが何故だろう。逸らそうとはしなかった。
「こっちに来て初めての友だち!」
美夏は笑顔でそう言った。
友達、当たり前でいて特別な存在。その一言だけで人と人との境界線が薄れてしまう、そんな魔法の言葉。
「初めて、なんてことは無いんじゃないの?」
「どうして?」
僕はこの先がとても言いづらかった、だけど意を決して僕は口を開く。
「他人と関わることになれている感じだし、君って可愛いからモテたりするんじゃないかなって」
「え?」
美夏は素っ頓狂な声を上げて少しの間、ぽかんとしたのち顔を赤く染めた。
「か、かわいいなんて……そんなことは、ないと思うけど」
ああ、言わなきゃ良かったかもしれない。そんな事を今さら考えてももう遅いけれど……。
「!! そうだ、そうごって学校に行けてないなら勉強とかやってないでしょ!」
突然の事でしばし考えてみたが、確かに学年ごとの教科書は貰ってはいるもののほとんど開いた記憶がない。ノートも新品が増えていく一方だ。だけど、それを正直に打ち明けるのは抵抗があった。
「そんなことは無いと思う……ケド」
「わたしの事をからかったバツ……じゃなかった、かわいいと言ってくれたお礼に明日からわたしがそうごの勉強みてあげるねっ!!」
小悪魔のような笑みを僕に目一杯浴びせた美夏。僕は、そんな彼女の進言に隠し切れないほどの嫌そうな顔で返す。
「えー……いいよぉ、そんなの」
「わたしのおっぱいに対する感想は?」
「わーい、べんきょうだいすきー」
とんだ弱みを握られてしまった。僕の静かなる毎日に終わりの警鐘が早くも鳴り響いた。
次の日から、約束のとおり(一方的な)彼女は僕の家に通い詰めた。
無論、与太話もするが本分は勉強が多かった。以外にも教え方が上手で彼女も自分への復習になるからちょうどいいと僕の家庭教師を率先して行った。
「ふぁ……眠い」
僕の朝は早い。まずは一時間目の授業が始まると同時に、窓を開けて校舎へと目を向ける。窓際の席に座っている美夏が僕の存在に気付くと、現在進行形で習っている内容のページを指摘してくる。僕は教科書とペンを持って窓越しの別授業がスタートするのだ。
習いたての公式を解説付きのデカデカ文字でノートに記し、それを僕に翳す。あれでよく先生にばれないもんだなと感心する。
学びながら教えることが出来るのだから彼女は相当に切れ者か、要領がいいのだろう。将来はその技を生かした職業に就けそうだ。
そして放課後、当然の如く美夏は僕の家に訪れる。今となっては祖父母とも親しく話したりも度々ある。夕食時になると「美夏ちゃんはええ子じゃー、ええ子じゃー」とインコのように毎日囀っている。僕の毎日に対する美夏の侵蝕率半端じゃないよ。
「ココに公式が当てはまるから……あ、じゃあコレはこっちか……」
今日も今日とて家庭教師、美夏様のご教授のもと勉強を頑張っている。共同生活しているくらいに毎日会い過ぎて抵抗感が全く無くなっていた。
「うわ、中学一年の問題も頑張れば自力で解けるようになったね!」
先に進みすぎて、小学生問題の範疇をゆうに超えてしまった。というかほとんど気付かず問題をやらされていたので、その事実に驚きだ。
「予想はしていたけどね、明らかに問題文が途中から変わったし……」
皮肉交じりの一言にも、美夏はなんら動じずむしろ愉悦に浸った顔をしていた。まさかどMじゃないよね?
「あんなひよっこだった『そう君』がここまで成長するなんて、わたしは感激だ~」
因みに、そう君とはいつの間にか付いた呼び名だ。
「ってか、なんでここまでレベルを高くする必要があったの? 僕はただみんなに追いつくだけでも良かったんだけど」
「今のそう君はクラスの人より頭がすごくいいんだよ? それは自信を持っていいって事にならないかなぁ」
口の端をニッと釣り上げた彼女に僕は返す言葉が無かった。
「じゃ、次のステップね。わたしと行こうよ、学校に」
「っ」
いずれそんな話が来るのではないかと心のどこかでは思っていた。やっぱりそうだ、あの時『罰』なんて一言で括っておきながら紛れもなくコレはすべて僕に自信を付けさせるためだけの行為じゃないか。
「どうして、僕なんかの為にそこまで……」
疑問に思っていた。僕なんかの為に彼女がどうしてそこまで気に掛けてくれるのかを。
「わたしね……誰とも会話しないんだ。その理由は簡単、お父さんの仕事の都合ですぐに転校しちゃうから……築いた繋がりが無残に消えてっちゃう。そんな事の繰り返しで、どこか諦めてたんだろうね……」
どこか物憂げに美夏は語った。
「おかしいよね、そのくせにやっぱり誰かと一緒に居たいって、寂しいって思っちゃう。そう君はそんなわたしに似てる。本心を表せないところとか」
「それは違うよ」
僕は彼女の言葉を遮った。その一言に彼女は黙り込む。
「僕と違って、君はずっと強い。僕は学校に行く事が、堪らなく怖い。人の視線に耐えられない、重圧に押しつぶされそうになる、逃げだしたくなる」
僕は俯きながらそう答える。
「ぅぐっ」
あの痛みがまた僕に襲いかかってきた。学校へ行く事に対する不安が溢れ出たせいか……。
「た、たいへん! おばあちゃんを呼んでこないと……っ!!」
どうして、心が痛むのだろう。なんでこうも僕の邪魔ばかりするんだろう。わかってる、不安な気持ちを取り除けていないから……どうやって振り払えばいいんだろう。誰も教えてくれない、それは自分自身で変えるしかないから。
「わたしのせいだ……わたしが急かしちゃったから……」
違う、君は悪くない。僕が勉強を頑張って来れたのは君のおかげなんだ。やめてくれ、自分を責めないでくれ。
声が出ない、意識も遠い。また美夏との時間を僕自身の弱さが奪い去ってしまう。
つよくなりたい。
「……」
あの日以来、あの窓から彼女が顔を出すことは無くなった。僕は何度も待ち続けた、美夏が窓から顔を出すのを、家へ来てくれるのを。
僕に負い目を感じていることは分かっている。だけど、それに納得して諦められるほど僕は大人じゃない。行き場のない気持ちを吐きだそうにも、外へ出る勇気がない自分に腹立たしさを覚える。
とうとう諦めた僕は塞ぎ込むようにいつからか窓を開けず、カーテンを閉め切った生活に耽った。
「……くそっ」
蓋をしていた感情がはちきれんばかりに溢れ出た。あの窓をもう一度開けるために僕はある決意をした。
祖父に昔使っていたという参考書などを譲り受け、暇な時間はそれらを読み漁った。家から出ることが無い僕は、筋肉を人並みに付けることを決心した。一日三食を心掛け、腕立て伏せ、上体おこしを日ごとに回数を増やしながら行った。
約五ヶ月間にわたりその行動を絶やさず行ってきた。いつの間にか十二月、卒業式もそう遠くは無かった。
僕の計画は卒業するまでに学校へ行き、きちんと美夏に証明すること。君のおかげで僕はここまで来れたんだよ、と。
TRRRRRR。
「じいちゃんたちはいないのかぁ」
家に誰かが訪ねて来ても、電話が掛かってきても居留守を使っていた僕だったが、それもいつの間にか克服してしまっていた。
「はい」
「もしもし、金谷さんのお宅でしょうか」
「はい、金谷ですけど」
間髪入れずに言う。前の僕が今の姿を見たらどう思うだろうか。
「わたくし、蒼梧君の担任を務めさせてもらってます斉藤と申します。蒼梧君はいらっしゃいますか?」
「……そうごは、僕です」
躊躇いながらも、僕は素性を明かす。こんな事で怖気づいてしまっていては、また美夏を困らせてしまう。
「あ、初めまして……そしてごめんなさい。担任でありながら君に、何もしてあげられていなくて……」
いやそれは違う。度々電話が掛かってきているのを祖父母から聞いている、その上僕が意識不明の時に訪ねて来てくれたそうだ。こちらの意識が無いときに、顔を見られるのは少しズルい気もするけど、素直に憎めない。
「いえ、原因は僕にありますので……先生は何も悪くありません。それで、どういったご用件でしょうか」
「あなた、ほんとうに蒼梧君……だよね?」
僕の淡白さに電話口でも分かるくらい、戸惑っているようだ。それもそうかもしれない、僕は感情を塞ぎ込み、人付き合いも得意じゃない。地味で暗い感じの子どもだとイメージづけられているのに対し、電話でのこの対応。本人かと疑いたくなるのも分からなくはない。
「失礼だったわね、ごめんなさい。あなたと同じクラスの横居美夏ちゃんのことは知っているよね? あの子と仲が良かった蒼梧君には伝えなきゃいけないって思って電話したの」
「美夏……が、どうかしたんですか?」
あくまで平静を保ってはみたものの、少し声が上ずってしまった僕は軽く咳払いをする。一拍おいて先生は続ける。
「話は聞いているかしら、あの子。お父様の転勤で度々転校を繰り返しているっていう話。ご家族の都合でまた転校することが決まったらしいの」
僕はあの痛みが再発しそうになった。不安に駆られるあの衝動、すべてに絶望しそうになる焦燥感。それらが引き起こす副作用。受話器を落としそうになった僕はなんとかそこで踏みとどまる。彼女のことでまた倒れてしまっては、余計に溝が深くなってしまう気がしたから。
「どうして、それを僕に知らせたんですか」
震える声で僕は追及する。向こうに僕がどんな状態かバレてしまおうが関係ない。それ以上のことが今目の前で起きているんだ。
「やっぱり聞いてなかったのね。美夏ちゃんがどうして蒼梧君の事を知っていたかは聞かないけど、プリント配達を頼んだあの日から美夏ちゃんの元気が無くなっていってね。何かあったのかなって思ったけど先生があなたのお見舞いに来たことは、ご家族の方から聞いているかもしれないけどその時、美夏ちゃんが君の容体を尋ねたの。転校することは自分が居なくなったあとに伝えて欲しいって、本人経っての希望だったけど、私があなたに話した理由はなんとなく、あなたとあの子に何かあったっぽいから。人生の先輩として、先生として、担任として、私があなたにしてあげられることなんじゃないかと思ったの」
「……」
「ごめんなさいね、長々と話し込んじゃって。あなたの事情も知ったうえで言うわ。公開だけはしちゃダメよ。それじゃ、今度は学校で会えたらいいわね」
「はい……ありがとうございます」
僕は必要以上に何かを問う事はせず、受話器を静かに置いた。そしてその場に頽れた。
転校? 美夏が……居なくなる? それじゃ、何だよ。僕が今までやってきたことってなんなんだ。全てが無駄な時間だった?
終業式――。
午前中で授業は終わるはずだ。僕は、今までやってきたことが無駄じゃないことを証明しに、最後の思い出を作りに、そう決心をして靴を履いた。
玄関に手を掛けた途端、取っ手の冷たさに筋肉が強張りそこで深呼吸をする。大丈夫、僕ならいける、あの時窓から繋がった僕たちの関係を、壊させないために僕は今から行くんじゃないか。震えるな、怖くない、大丈夫。
『わたしたちって、似てるかもね!』
そうだ、似てるって言うんなら僕だって彼女が居る場所まで辿り着けるハズだ、辿り着かなきゃいけないんだ!
母さんの事で散々後悔はしてきた、だから今度は心配を掛けたくない。
僕は玄関を開け放った。
「今日で終わりなんだね。この学校での生活も」
「今日もカーテン……開いてないか……」
「もう会えなくなるんだね」
「……そう君」
「呼んだ?」
誰も居ない教室。冬休みになるという歓喜に足早と帰宅したほとんどの生徒たち。教室に残っていたのは、ここでの学校生活が今日で最後の彼女だけ。
僕の姿を見て、床にへたり込んでしまう美夏。驚愕のあまり口が利けずにいる。
「水臭いよね、転校するのに黙ってるなんてさ」
走りまくったというのに息切れをしていなかった。トレーニングの成果が少しは出ているようだ。
「どうして……どうして……」
鼻と口を覆い隠し目に涙を溜め始める美夏。僕はゆっくりと近づいて、目線を合わせる為に目の前に座る。
「突然家に来た時の、仕返し」
屈託のない笑みでそう告げる。あの時よりはパンチの効いたサプライズではあるんだろうけど。
「わたしは……どうしてココに来たのかって……恨んでないかって、思ってたから」
やっぱり負い目を感じていたのか。それもかなりの重症だ。
「ココがどこか分かってる? 学校だよ、学校。時間が掛かったけどさ、一緒というわけにはいかなかったけどさ、確かに来れたんだよ」
僕は立ち上がり、手を差し伸べる。
「これも全部、美夏のおかげだね」
ゆっくりと僕の手を握り、よろめきながら美夏は起き上がる。
「遅すぎるよ、ばかぁ」
我慢していた感情を押し出すように、泣きじゃくり始める美夏の姿に僕はある決意をした。
「遅いついでに……っ」
僕は力いっぱい彼女の腕を引いて、腰に手をまわして抱きしめた。
「好き、愛してると言うには僕たちは若すぎるから今はこれだけ、大好きだよ」
ぬくもりを知った。母の居ない僕は誰かに抱きしめられる感触が分からなかった。だから、どういった風にするのか分からなかった。だけど、暖かい。未来に対する不安な気持ちも、辛い事や悲しい事も、美夏に対する気持ちで塗りつぶされていくようだった。
「……放して」
「え?」
涙ぐみながらの言葉でもはっきりと聴こえた。だけど、聞き返されずにはいれなかった。それが嘘であると信じたかった。だけど、容赦のない追い打ちを掛けられた。
「手、放して」
僕は、言われるがままその手から力を抜く。それと同時に美夏が僕から離れていく。彼女の姿を直視できなかった。怖くて見れなかった。
「わたしの事を見て」
その一言がひどく冷淡に聞こえてしまう。僕は逃げ出したくなる気持ちを抑える様に握り拳を作った。
「わたしの顔を、ちゃんと見てよ」
顔を上げようとしたその時だった。
「鈍感、ばか」
美夏との距離が近かった。唇に感触が、温もりが伝わってきた。目と目が合うも、お互いに恥ずかしくなり目を閉じる。そのあとすぐに唇を離す彼女だけど、僕には唇を重ねた時間がとても長く感じた。
「もう一度、抱きしめてよ」
「……へ? あ、はい」
言われるがままに抱きしめる。
「なんか、ツンツンしてない?」
僕は抱きしめながらも無粋と理解しつつそんな質問をしてみる。
「いいの、これが本来のわたしなんだから」
薄目で唇を尖らせながら、抱き返してきた美夏が堪らなく可愛く感じた。
「なんか、自信付きすぎじゃない? 喋り方とか……あ、あと体も」
「全部、美夏のおかげなんだよ。これからが勝負どころなんだけどね」
「勝負どころ?」
僕は軽く美夏の頭に手を置く。
「いつか美夏と結婚できるくらいに強くなる、みたいな」
半笑いで言ってしまい冗談っぽく聞こえるかもしれないが、至って真剣だ。それくらいの覚悟はある。
「約束してよね」
不安そうにしつつも僕の顔を覗き込みながら言ってくる。
「もちろん」
そして冬休みが明けた新年早々の登校日。校長の話を聞く、全校生徒の長蛇に一クラス分だけその話に集中できていなかった。
「なあ、アイツってさ……」「そうごだよな?」「今日から通うのか?」「ってか一人女の子が居なくないか?」
不愉快になりそうなほど、囁かれている。今日から学校に通う事にした俺は、初めて会う担任の先生から感激されそうになるなか、今は始業式に参列している。
「はぁ」
その日から、生徒の視線が度々俺におくられてくるが、それがどうしてかというと恐らく不気味だったからだろう。
「あいつ、しばらく学校来てなかったし勉強ついていけないだろ?」とか誰しも思っていたことにまさかの全教科満点を出してしまったからか、余計に視線を集めることとなった。美夏には感謝という言葉だけではぜんぜん足りないな。
おまけに仲が良い奴も特別いないから授業中は絶対喋らないし、真面目に取り組んでいる。おかげで総合点が学年一位にまで上り詰める始末。
金谷という名前の金という字をとってつけられたあだ名は「金字塔」だ。
そんな事はどうだってよかった。中学受験をして、この学校の生徒がいけないような偏差値の高い中学へ通うのが目的だからな。他のやつにかまけてる時間なんて無かった。
彼女にもらった全ての経験を活かして、それを最高の形で返すために。
それから長い年月が流れた。
「帰ってくるなら、そう言えよな」
窓際の席で、ウーロン茶を飲みながら目の前の女性、横居美夏に俺は悪態を吐く。
「だって、メアドも番号も知らないんだもん。蒼くんがいつまで経っても迎えに来てくれないから」
すっかり酔いも醒めて来たのか、語呂がしっかりしてきた美夏が俺をジト目で見ながら料理に手を付け始める。
周りの元クラスメイトも俺たちの会話が気になるのか、チラチラとこちらを窺ってくる連中も少なからず居た。
「ここじゃ、あまり込み入った話は出来ないな……」
「なに、蒼くん家行くの? わーい」
料理と酒を両手に携え喜びを全身で表すように手を伸ばす。うーん、つくづく美人が台無しだな、好きだからいいけど。
「誰が連れていくっつったよ」
「えっ!?」
そこまでショックを受けるものなのか。こういう反応を見るのも、また懐かしい。
「冗談だよ、それじゃ行くか」
立ち上がり、美夏の居る側までまわり込んで泥酔している彼女を抱えてその場を出ようとする。
クラスメイト達は一様に静まり返った状態で俺達を凝視している。
「悪いな、俺ら急用できたから今日はココで帰るわ。招待してくれてありがとう」
それだけ言い残して、部屋を出て行くと、静まりかえった部屋から様々な声が飛び交っていた。やっぱり俺らは不要な存在だったのだろう。
「それは違うよ、蒼くん」
抱きかかえられながら、俺が何を考えていたか見透かしたように口を開いた。
「蒼くんが来るまで凄く声を掛けられてたんだ、私」
美夏は「えへへ~」と照れている。その姿を見て俺は少しムカッとした。
「へー、そりゃ良かったな」
「言っとくけどお互い様だからね」
少し怒ったような表情をつくり、俺の頬をパシパシ叩く。
店を出て車の前まで来た俺は、足元に注意しながら美夏を降ろす。車のキーをポケットから取り出し開ける。
「なんだよ、お互い様って」
助手席のドアを開けながら俺はつっけんどんな態度で訊ねる。
「だから鈍感なんだよ~」
車のボンネットにつっぷし、ぼやきながらバンバンと叩いている。
「エアバッグ出るからやめい」
暴れる美夏を助手席に乗せて俺は車を出す。
「こんな形での再会なんて、ムードが無さすぎるよな」
嘆息吐きながらチラと隣に座ったままむっすーとした美夏を見やる。
「まだ怒ってんのか?」
口を利こうとしてくれない。言わずもがなってことか……。
「お前以外の女になんて興味ないから安心していいぞ」
赤信号に引っかかった俺は、ハンドルから手を放し美夏の肩をぐいとこちらへ寄せる。
「え!? ……あ」
俺の行動に身を任せる様に目を閉じる美夏。体温を感じながら唇と唇が触れあおうとした瞬間。
「酒臭ッ!?」
俺はすごい勢いで顔を背ける。
チラと美夏を片目で見ると、顔を真っ赤にして頬を膨らませていた。
「冗談だってば」
そして約八年ぶりの感触と味を思い出す。
「私ね、近いうちにこっちに返ってくるんだ」
「え……」
俺は、その言葉の意味を理解するのに少々時間が掛かった。
「だから……ね」
「ああ……じゃ、結婚できるな」
「え~、こんなところで今それを言っちゃう? 普通」
俺はそんな美夏の様子に我慢できず笑ってしまう。俺の方がムード感を大事にしなかったな。
「本番は近いうちにな」
「ふーん。うん、楽しみにしてる」
家に着いてお互い車から降りると、美夏が上を見ている。何事かと同じ方向から見上げるとある部屋の一角、閉め切られた窓が見えた。
あの部屋のカーテンと窓を、そろそろ開けてもいい頃合いかもしれないな
「こんな同窓会だったらむしろwelcome!!」そんな想いを込めました。