休日出勤
爆音をかき立ててるイヤフォンから、音が漏れる。
会社のドアのセキュリティーロックを解除し、鍵を開け、タイムカードを押さずに俺は事務所の窓を開け、淀んだ空気を入れ替えた。
秋風が開放した瞬間入り込み、爽やかで涼しい空気が俺の頬を撫でた。
音楽は鳴り止まない。激しく叩くドラムの音に、思わず身体が踊りだしそうな気分だった。
自分のデスクに腰をかけ、パソコンの電源を入れる。立ち上がるまでの間、仕事に必要な書類やノート、筆記用具を出して並べていると、どこからかふわりと風に乗って、ドリップされたコーヒーの、深みのある香りが漂った。
『……いい匂いだな』
至福とさえ感じられるその香りが、窓の外ではなく事務所の中からだと気づき、俺は席を離れて事務所奥の小さな流し台に向かった。
「あ、おはようございます。コーヒー、飲むでしょう?」
コーヒーメーカーから、出来立てのコーヒーをカップに注ぎいれ終え、同僚の深澤さんが俺の顔を見上げた。いつも、優しそうに笑んだ顔を添えてくれる。俺は、深澤さんに休みの日まで会え、笑顔を見て嬉しさの余り、顔が綻び胸が温かい気持ちになった。
俺は、ハッとしてイヤフォンを耳から外した。そうして、ようやく気が付いた。休日出勤の事務所が、こんなにまでに静かな事に。普段は、電話や同僚たちの会話する声、キーボードを叩く音、コピー機の作動する音、パーテーションで仕切られた、他部署の雑音とかが聞こえているのだが、今は深澤さんを目の前にして気持ちが高ぶってしまい、自分の鼓動の音が、耳の奥でうるさいくらい大きく響いていた。
「すみませんっ。俺の分まで、ありがとうございます」
「いいえ。そっかぁ、音楽聞いてたから返事なかったのね?」
肩に垂れ下がったイヤフォンから漏れるロックが、深澤さんの耳まで届いて小さく頷いていた。
「すみませんっ。休みだし、誰も来ないと思って。休日出勤の時はいつも、音楽聞きながらやってんです。客も外線来ないし」
苦笑いする俺を見て、深澤さんは小さく笑んだ。
「仕事、溜まってるの?」
深澤さんが、小さく首をかしげた。さらさらした黒く短い髪が動くと、耳につけたプラチナのピアスが、姿を現した。それは、深澤さんに似合っていて、彼女の上品さを引き立てていた。
「そうなんです。今週半ばまでに出さないといけないヤツあって。何かと今週も詰まってるから……」
「ふふ。営業だと、なかなかデスク付く時間無いものね」
「はい……。あ、深澤さんが休日出勤なんて、珍しいですよね?」
彼女は営業部の事務を担当しているため、俺達の流れ作業的な部分で何かと足を引っ張らせてしまっている。俺は、まさか自分のせいで深澤さんにわざわざ休日出勤させてしまっているのではないかと、不安になった。
「うん……。実はね……」
深澤さんの表情が、少し曇り俯いた。長いまつ毛が綺麗に整い、薄く塗られたブラウンのアイシャドウが瞬く度にくっきりとした二重を見せていた。
「もう、上司には報告しているからなんだけど……」
深澤さんの溜めて言いかけた雰囲気から、俺の身体が少し強張り胸が緊張していた。
「私、年内に結婚するの。だから……少しずつ、仕事引継ぎできるように、整理しようと思って……」
「そうでしたか……。おめでとうございます。会社、辞めてしまうのは、残念です……」
暗い顔と声になってしまい、あからさまにそれが伝わったのか、深澤さんは小さく笑んだ。
「ありがとうございます。すぐ、去るわけじゃないですから。ちゃんと、皆さんの仕事も居る間は、処理させて頂きます。提出期日、ギリギリは困りますけどね。……はい。どうぞ」
そう言って、深澤さんが差し出したコーヒーの入ったカップを受け取った。彼女の左手の薬指には、小さく煌くダイヤの指輪が光っていた。
憧れと言うか、社内の高嶺の花的存在の深澤さんが、結婚する現実を目の当たりにした俺は、その指輪をつけた細く長い指を見て、何かを諦めるような、少し残念で、それでいて物淋しい感覚が、胸の中に広がっていた。
憧れの人。高嶺の花。
とうてい、手は伸ばせずそこにたどり着かないけれど、どこかで想いが叶ったら……。淡い想いが崩れてしまったお話でした。
タイトル通りに昨日(祝日)にちょっと投稿しようかとも思ったのですが。今日になりました。
休日出勤の時だと、気持ちにゆとりが出て、普段気が付かない物に気付く……。そんな所も、少し表してみました。
ここまでご覧下さって、ありがとうございます。m(__)m




