夏の終わり
紺碧色をした薄暗い部屋の中に、すすり泣く声だけが聞こえていた。
両膝を抱えて顔をそこに埋めたまま、胸が痛く苦しくなっていた。
涙が止ることなく、ぼろぼろ目から流れ落ちる。時々、床に置いたティッシュを手探りで取り、鼻をかんでは、隣に置いたゴミ箱に捨てる。
網戸にした部屋の窓から、涼しい風がそよぐ。
――――――!!
遠くで、大きな爆発音が聞こえ、私はそれが花火の音だと分かった。
今日……だったんだ……。
市の花火大会は河川敷で、毎年夏の終わりに行われる。花火の音を引き鉄に、私の中のアイツとの思い出が、一気に溢れ出した。
真冬の海に、ふざけて入り、デニムのパンツを膝までびしょびしょに濡らして遊んだ事。
CD屋さんで、二人でヘッドフォンを片方ずつかけて、試聴した音楽。
バレンタインに手作りしたチョコレート。お返しにって、マシュマロを作ってくれたけど、不恰好であまり甘くなかった。
夜景の綺麗なイタリアンのお店で、デートしたこと。向かい合ったテーブルでアイツに見つめられて、ドキドキした。
手を繋いでお散歩した公園で、シャボン玉を飛ばして遊んだ。
どんどん、アイツとの思い出が鮮やかに蘇る。思い出せば思い出すだけ、胸が苦しくなって大きな溜息に消えていく……。
虚無感が追い討ちをかけるように、私の心に襲い掛かってきた。
――――――もう、終ってしまったんだ……。
2時間前。
タイムカードを打刻して事務所を出た私は、会社のあるビルの前で立ち止まった。
道の向こう側にあるカフェの窓ガラスに見えたのは、アイツと私の友達のナオだった。楽しそうに話す二人は、知らない人から見ればカップルのようだった。
その光景を目の当たりにして、私の胸の奥が締め付けられた。薄っすらと、霧がかったような不安は前からずっとあった。それが、アイツとナオの距離感だと知っていたけれど、気づかないようにして、現状から逃げていた。
デートしても会話が少なく、ぎこちない空気が続いていた。一緒に居ても、楽しくなかった……。でも、それでも、私はアイツが好きだった。
視線に気がついたのか、二人が私の方を見た。すると、席を立ち店の外に出てきたのはアイツだった。
表情が暗く、私と視線を合わせずに歩いてくる。私じゃなく、アイツの背中を見つめるナオの視線を私は見た。
暗雲が、どんどん私の胸の中に広がってくる。大きく溜息を吐いた後、私は息を止めた。
アイツが、私の目の前に立ち止まった。いつもと違う香水のラストノートの香りが鼻についた。
「ごめん……」
アイツは、静かに言った。その一言が、胸に大きく響いた。喉の奥が熱を発して苦しくなっていた。
ぎゅうっと、スカートを掴んで私は俯いていた。先の尖ったアイツのブランド物の革靴を見つめていた。
「もう、別れよう。俺が、悪いんだ。お前じゃないし、ナオでもない」
「…………」
アイツの言葉が、私との終わりの鐘を鳴らしているみたいに、頭から胸の中まで響く。堪えていた涙が零れ、ぽたぽたと石畳に滲みこむ。
「ごめん……。もう、何もしてやれない」
泣いている私を見て、アイツの低い声が聞こえた。私は、俯いたままぎゅっと下唇を噛んで苦しさを堪えた。
そうして、ゆっくりと先の尖った革靴が後ろに下がり、動き出すと、ナオの待つカフェへ戻って行った。
2時間後。
アイツとナオは同じ職場のチームで、一緒に居る時間はナオのほうが多くて、私との恋愛相談をアイツがナオにしていて……。
一年前に、アイツとナオと友達数人と出かけて見た花火。
もう、あの頃からアイツはナオに気持ちが変わってしまっていたのも、薄々気が付いていた……。
家路に着くまで涙を必死に堪え、パタンと部屋のドアを閉めた瞬間、私の涙腺が緩み、涙が滝のように溢れ出た。
恋愛の終わりが近づいている感覚。
不安感。苦しさ……。
楽しかった夏から秋になる切り替わりを、ちょっとなぞらえてみました。
恋しい人との思い出は、終ってしまうと甘くもあり、切なくもあり……。
ここまでご覧下さってありがとうございます。
今週は、2作投稿してしまいました。
これからも、よろしくお願いします。m(__)m