オセロ
冷たい風が首元にまとわりつき、俺はトレンチコートの襟を立て肩を小さくすくめた。鞄を持つ手は、風と冷えた外気温で、すっかりかじかんでいた。
営業先の会社の扉の前でコートを脱ぎ、俺はインターフォンを鳴らした。受付だろうか、女の声がスピーカー越しに聞こえ、俺が名乗ると応答した。
「お待ちしてました。どうぞ」
扉から出てきた女は、白いブラウスに黒の上下のリクルートスーツ姿で、どこか初々しさが漂う印象だった。泣き顔のような下がった目尻と、小さな口、前髪は一直線にパツンと切られ、ふわりとした巻いた髪を耳下でツインテールしていた。
応接室に案内され、担当者との打ち合わせの間、コーヒーを入れて再び現れた彼女が、俺の前にそれを置くと、にこりと微笑みを見せてくれた。
『……かわいいな』
「野沢さん、俺のデスクに置いてあるクリアファイルに書類があるから、1部コピーとって一緒に持ってきて」
担当者は彼女に頼み、俺は彼女が野沢と言う名字だと知る事ができた。
「はい」
野沢さんが応接室を出ると、書類を待つ間短い雑談をした。フラットな性格なのだろうか担当者は野沢さんを話しのネタにしていた。俺にしてみれば、可愛い彼女の事を知る事ができたので嬉しい限りだった。
「へー……モデルもされてるんですか?」
「今、大学生でバイトで来てくれているんですけどね。詳しく分かりませんが、読者モデルって言うらしいですよ。スタイルも顔もいいですからね。それに、性格も可愛らしいから、社内だけじゃなくて取引先でも結構人気なんですよ。うちのマスコットみたいなもんですね」
再び野沢さんが現れ、担当者に書類を手渡した。
「失礼致します」
応接室を出る間際、お辞儀をして顔を上げた瞬間、俺と彼女は視線が重なった。そうして、野沢さんは俺を見てにこりと笑んだ。その笑みが、俺の胸を掴み鼓動が大きく高鳴っていた。
打ち合わせが昼過ぎまで押してしまい、俺は会社に戻らずに近くで昼食をとる事にした。丁度、サンドイッチを扱ったカフェが目に入り、手っ取り早く俺はその店に入った。
2種類のサンドイッチとブレンドコーヒーをトレイに乗せ、俺は空いている席を探した。奥の壁の方に空席があるのが見えた。丁度喫煙席らしく、俺は店内の棚に積み上げられた灰皿をトレイに乗せ、席に付こうとした。
「――――――!!」
俺の視界に、さっき打ち合わせで尋ねた会社にいた、野沢さんの姿が目にとまった。斜め前の観葉植物の物陰になっていたが、間違いなく野沢さんだった。相席しているのは、同じ会社の人だろうか彼女より少し年上の雰囲気があった。
食事を済ませたらしく、カップに口をつけた後、タバコを口にしている姿が目に入った。
『タバコ、吸うのか……』
可愛らしい雰囲気から、勝手な先入観でタバコは吸わないだろうと思い込んでいたが、その姿を目の当たりにして、少し何かがボロッと崩れたような気がした。
俺は、サンドイッチを口にしながら、斜め前の野沢さんの姿を盗み見ていた。会話が弾んでいるのか、ずっと笑顔をで、うんうんと首を立てに動かす仕草、カップを置いた手で巻いた髪の毛先をつまみ、指で絡めながら相手の話を聞く仕草。一つ一つが可愛らしく、俺はサンドイッチの味がさっぱり分からない程、野沢さんの姿に集中していた。
店内のBGMで流れるジャズと、周りの雑音に混ざりながら、微かに野沢さんの声が聞き取れた。
「……っほんと、人こき使って。客の前だからって、偉そうな態度取るなってカンジですよー。コピーくらい、お前が事前にとっておけって!」
眉間に皺をよせ、尖らせた口にタバコをつけ、煙を口から吹く様に吐き出しそう言っていた。仕事の愚痴だろうか、もしかするとさっきの担当者の事でも言っているのか……俺は、薄っすらとそう思い浮かべながらコロコロと変化する顔の表情を見ていた。
食事を済ませ、先に店を出たのは彼女達だった。丁度、俺も食事が終わり後を追うような形で店を出た。
歩きながら彼女達は何か話していた。その向こうから、一人の杖を付いた男性のお年寄りが歩いて来た。おぼつかない歩き方で、歩道の真ん中をゆっくりゆっくり歩いていた。俺は、少し車道側に寄りながらあえて道を空けていた。
しかし、彼女達は互いに顔を見合わせ話しに夢中になっていたのか、向かってくるお年寄りに気が付かない。お年よりは道を見ながら歩くのに集中している様子だった。
その瞬間――――――。
野沢さんの腕とお年寄りの体がぶつかり、お年寄りは身体をふら付かせた。
「っ痛ったーい。ど真ん中歩くなんて、邪魔じゃん……」
さっきまでの可愛らしい顔が打って変わって、鋭い視線をお年寄りに当て付け、腕を摩りながら言葉を吐き捨て、野沢さんは立ち去った。
かろうじて、杖と両足でふんばっていた様子で、お年寄りは転ばずに済んだが俺は、思わず支えようかと足が1歩前に踏み出していた。
「すみませんねぇ……」
お年寄りは、ゆっくりとした口調で平謝りしていたが、その時には既に野沢さん達はスタスタと離れて行ってしまい、その声は多分届いてない様子だった。
俺はその光景を見て、がっかりしてしまった。外面と内面が比例していたら、浮かれた気持ちでまた、あの取引先に来るのが楽しみになると思ったが、今の行動を見てしまい、上がっていた彼女の株が大きく下がった。
『可愛らしいのは、顔だけか……』
俺は彼女の一面を目の当たりにし、彼女の同僚の言葉を思い出し苦笑した。
『知らないほうが、幸せな事もある……か』
ビル風が吹きつけ、俺は身をすくめた。トレンチコートのポケットに手を突っ込んで歩き、会社に戻って行った。
外面と内面を今回は、表と裏のあるオセロで比喩してみました。
男でも女でも勿論ありますが、内面が魅力的な人は、見ていても気持ちがいいなぁ……と思います。
ここまでご覧くださいまして、ありがとうございます。m(__)m
十五夜……月、見たいなぁ。←(個人的な雑談でした)