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初秋の花

 薬や尿臭、高齢者施設独特の臭いが入り混じったじーさんの部屋を出ようとスライド式のドアノブに手をかけた。

「泉、どこ行くの?」

 母親が、追いかけるように言葉を投げかけた。

「あー? タバコ。屋上行って来る」

「そう」

 毎月1回、家族の恒例行事。

 じーさんは、口から物を食べられない胃ろうと言う方法で、栄養を取り延命をしている。口はきけねー、ただいつもベッドに横たわってるだけ。意思疎通もなく、こうしてて老人ホームへ見舞いに行くと、目を見開いて起きているか、死んじまったよーに寝ているか。

 どっちにしても、なんか見てられない。俺は、ここにくるのがあまり好きじゃない。

 あんなに元気で、俺がじーさん家に遊びに行くと俺を膝に乗せて本を読んでくれたり、川へ遊びに連れて行ってくれたのに。

 今じゃ、あんなふうに身体が固まって、まるで映像を再生しているような静止状態。瞬きと呼吸で微かに上下する胸の動きだけが生きているような、そんな印象だった。

 必死なのか……? じーさん、そんなんでつらくねー?

 いつも、じーさんの部屋に見舞いに行くたび、俺の胸の中に込みあがる気持ち。俺が、どうしてやるわけでもねーけど、見てられなくなる。


 屋上に上がると、どっかのフラワーガーデンに来たのかと思うくらい、屋上には庭が整備され花や木が植えられていた。

 俺には、さっぱり無縁だし、名前すら知らないそれらをぼーっと眺めながら、俺はベンチに座りマルボロのメンソールに火をつけた。

 前髪が伸び、脱色した茶色の髪が陽に透けて、目の前が金色に見えた。

「……こんにちは」

「――――――!!」

 横から声をかけられ、俺は身体が思わずビクッとした。

「すみません。驚かせちゃって」

 庭いじりをしていたのか、手が土で汚れ首元にタオルを巻いていた、一人の女性が俺の前に現れた。いくつくらいだろー? 40歳くらい? もーちょい上? わかんねーけど。おとなしそうな雰囲気で、緩いウエーブした長い髪を後ろで一つに束ね、下がった目尻が柔らかい印象の顔だった。

「大丈夫っす。こっちこそ、煙、すみません」

「いいえ。ここ、喫煙所ですから。気になさらないで」

 穏やかな笑顔で女性は、俺の隣に座った。

「ここの施設の人っすか?」

「いいえ。私、ここに父が入所しているの。お花が好きなので、つい。一応、ここの施設の方にも言ってあるんですけどね」

「そーっすか……。自分も、じーさんがここに入ってるんで」

「そうなんですね。私、斎川紀子と言います」

「俺、白岩泉(しらいし いずみ)です」

 俺は、小さく首を動かし会釈した。斎川さんは、変わらない笑顔で俺を見ていた。その笑顔に、俺の胸ん中が、大きくドクンと打ち付けた。

「これ、すごいね? 痛くなかったんですか?」

 半袖のTシャツと裾を捲くったジーパンから見えた、俺の両腕両足に彫られたタトゥーを指さして斎川さんは聞いてきた。

「まぁ、痛いっすよ。けど、慣れます。こん時は、色塗りつぶしたし面積広いから他よりは痛かったけど」

 右足のふくらはぎに泳ぐ2匹の鯉を指さして、俺は言った。

「綺麗ですね。今にも動き出しそう」

 斎川さんは、ふふっと小さく笑って見せた。それを見て俺の顔が、どんどん熱くなり胸の鼓動が早く鳴り打っていた。

 ……なんだ?


 それからいうものの。

 俺は、恒例行事だけじゃなく自分から一人でじーさんに会いに行くようになったけど、それはじーさんに会いたいが為じゃなく、屋上で花いじりをしている斎川さんに会いたいからだった。

「これは、知ってるかしら?」

 斎川さんは、薄ピンク色に色づいた花を指差して俺に聞いた。

「……わかんねぇっす。なんすか、それ?」

「ふふ。コスモスよ」

「へー。これが、コスモスっすか。俺、多分、チューリップくらいしかわかんねーかも」

「チューリップは知ってるのね?」

「はい。よーちえんの時、チューリップ組だったんで」

 俺がそう言うと、斎川さんは笑った。その笑顔が、きらきらして俺の胸ん中が、くすぐったい感じがした。

「泉くんが、興味あればだけど。近くにフラワーガーデンがあるから、今度一緒に行ってみますか?」

「えっ!? マジっすかっ!? 行きますっ!」

 俺は、斎川さんの誘いに驚いたが、嬉しさのあまり即答していた。

「ふふ。じゃぁ、来週」

「はいっ!」

 斎川さんは口元を上げた。薄い唇に塗られた、ピンクベージュのグロスが艶やかに光に反射していた。


「せんぱーい。何読んでんっすか?」

 仕事の休憩時間。現場の仮設の床に座り込み、ベルトを首にかけ、首の後ろに下げた安全第一と書かれた黄色いヘルメットを脱ぐことなく、俺は夢中になって本を読んでいたところ、後輩の今田が声をかけた。

「あぁ? 花の図鑑だよ」

「……花っすか?」

「あぁ。いいよな。花」

「……はぁ。どーしちゃったんすか?」

 スポーツ飲料水の入ったペットボトルを口につけ、呆れた顔をして、今田は俺を見ていた。

「ほら、見てみろよ。これ、木に咲くんだぜ。木蓮っていうヤツ。なんか、カッコいーよな」

 俺は、図鑑の花々に夢中になり今田にもそれを見せた。

「へー。今まで、パチンコとか、スマホゲームにハマってた先輩が、花ですかぁー」

 今田は、俺と一緒になって花の図鑑を眺めながら言った。

「やべっ。先輩、そろそろ休憩終りますよ。行かないと、親方におこられっちまう」

「あぁ」

 俺は本を閉じ、鞄の中にそれをしまった。次に斎川さんに会う時に、少しでも花の名前を知っておけたら、話も楽しいんじゃねーかって思ったから、すぐに本屋に行ってあの図鑑を買った。

 

 花柄のシャツワンピースを着た斎川さんと、フラワーガーデンを歩きながら俺はずっと顔の筋肉が緩みっぱなしで、ずっと笑っていた。

「斎川さん、俺、この花知ってますよ。キキョウって言うんですよね。今の時季に咲くんです」

 俺は、紫色をした花を指さして斎川さんに教えた。

「すごい。泉くん、お花詳しくなったの?」

 斎川さんは、円らな瞳を丸くして驚いた。

「え、あぁ……。ちょっと」

 俺は、照れくさくなって色の抜けた茶色の髪をクシャクシャに手で掻いた。

「お花に囲まれると、心が癒されるの」

 斎川さんは、周囲の花々を見つめしみじみと言った。

「斎川さん、花似合います」

「あら、嬉しい。ありがとう」

 大人しい口調で、優しく笑んだ斎川さんの声が、俺の胸をぎゅうっと締め付けた。

 なんか、こう言うのいいなぁ……。

 ふわふわした気持ちで、花の中を歩いているとすれ違う客が俺を嘗め回すように見た後、隣を歩く斎川さんを見て、訝しそうな顔をしていた。

 俺は、すぐに自分の身体に彫ったタトゥーだと分かると、腰に巻いていたチェックのネルシャツを着始め、踝上まで捲り上げていたズボンの裾を下ろした。

「泉くん、どうしたの? 寒い?」

「いや、ほら、俺、刺青してるから。ここに来てるお客さん達が変な目で見るんだよね。俺は、慣れてるから全然、構わないんだけど。斎川さんまでそう言う目で見られてたのが、嫌だったから」

 俺は、力なく笑った。斎川さんは、小さく首を横に振った。

「気にしないけど。そう言うのは、捉え方次第だし。人それぞれだと思うわ。私は、泉くんのそれ、好きよ」

「――――――!!」

 笑んだ斎川さんが、俺は女神様みたいだと思った。なんで、こんなに心が広いんだろう。こんな俺と、一緒に花見に出かけてくれるし、俺の歴代の女は、『みっともないから、隠せ』とか『怖いから、消して欲しい』とか『そう言う人は、ちょっと……』なんて言って去っていった。でも、斎川さんは、それを好きだなんて言ってくれたっ。

「ありがとうございますっ!! 嬉しいっす!!」

 俺は、顔をくしゃりとして笑った。すげー嬉しい。嬉しすぎる。こんないい人がいるなんて。

「今日は、ありがとう。楽しかったわ。花に癒された。いつも、父の事が気になって心がギスギスしてたから」

 斎川さんは、ほっこりした笑みを見せた。

「俺のほうこそ、すげー楽しかったっす」

「じゃぁ。さようなら」

 小さく手を振る斎川さんに、俺は深く頭を下げ挨拶をした。

「さよーならっ!」

『また、行きましょう』

 そんなコト、言える訳ねーけど、言いたい気持ちだった。


 それから、何度も施設に行ったけど、屋上の庭で斎川さんに会う事はなかった。

 施設の人に尋ねたら、入所していた斎川さんのお父さんが、あの花を見に行った翌日亡くなり、施設を退所する形になったからだ。


「あれ、先輩、もう花図鑑、読んでないんすか?」

 休憩中、スマホを片手にゲームしていた俺を見て、今田が声をかけた。

「あぁ。花はな、散っちまったんだよ」

「? なんか、詩人みたいっすね」

 今田が隣に座り、俺のゲームを眺めながらポツリと言った。

今回は、少し長いお話になりました。


書いててとても書きやすく、楽しくかけました。

初秋の花が、咲き始めてます。足元にふと目を留めるのも、良いかもしれないです。


ここまで、ご覧下さってありがとうございました。m(__)m

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