欠陥
薄い板で蝋燭ほどの光量を囲う、風情を重視した灯りは村特有のものか、それとも錬金術師の趣向か。
そこそこに広い面積をもつ村の――或いは祭りだからと強引に村の外まで使っているのかもしれない――そこかしこに吊されていた提灯に似たそれが落ちるほどに、混乱が広がっていた。
当たり前だろう、とまではいかないが納得はできる。遠くから火の手があがり、複数ある広場の一角では何十人が原因不明の昏倒。更には花火の打ち上げとはまた違った、どう聞いても発砲音と魔物の咆哮にしか聞こえない戦闘音。それに子供の泣く声が混じる。
これに非武装で囲まれて平静としていられるのは、危機管理能力が欠如していると見ていい。闘いに、異変が周りで起きているという剣呑な状況。
一体、何が起こっているのか。状況のわからない恐怖は混乱と伝染する。
明らかに数が減った自警団の人員に詰め寄る群集。一際声が大きいのは、機能重視の服装からして旅人だろうか。状況の説明をしろとか、せめて自衛の装備を返せとか喚いている。
入村の際、関所で最低限の武装さえ解除されている現状、それが不安を増大させているのか。
まあ、俺としても似たようなものはある。あの焔蜥蜴戦での後遺症で、未だまともな活動ができないのだから、無力なだけに不安は不安だ。
違うのは、信頼感くらいか。
「静まれ、者共」
厳かな声が鈴のように響く。高さを抑え、さして大きくもないそれは、どこか不思議な響きを持って聴衆を静まらせた。
さながら、水の低きに就くが如く。水流が低位に流れていくような。
がやがやと騒いでいたというに、誰一人として聞き逃していないのではないだろうか。大袈裟でなく。
聴衆の視点が一点に集中する。村人の発表でも使われるのだろう、簡素な特設台の上。二つの人影があった。
僅かな光沢もない漆黒のコートを着込み、黒い長髪を後ろで纏めた長身痩躯の女。メイド服を着てないせいか、常時と段違いな迫を纏い、切れ長な目に余人が影も踏ませぬ鋭さを宿す、われらがメイド長。
それを従える主――小さな体躯、後ろに控えるメイド長どころか、そこらの子供よりも更に小さな体。
生きているのかそこに在るのか、現実味を損なわせる程に儚い容姿は、淡い月の光を夜よりも黒に近い髪に反射させて、余計にそう思わせる。
しかし。誰もがその姿に視線を止めた。子供の泣き声さえ静まり、遠くから洩れる戦闘音に、だれかが息を呑むだけの、静寂。
宙を踊る指先は爪先さえ自然に美しく、自我に満ちた表情と力ある黒瞳は、その存在が現なものだと主張し、観るもの総てに知らしめる。
年端もいかぬ童女の容姿に、女王のような魅せる笑みを刻んだ、美しいという言葉さえ陳腐に思える天上の少女――燐音様は、民衆を見下ろしながら朗々と宣言する。
「この非常事、これより俺様――月城 燐音が預かる!」
波紋が広がる。困惑と、疑問と、疑念。そしてそれ以外の何か。
「り、燐音さま? なんで」
「黙ってろ」
お忍びの身が何故、わざわざ姿を現すのかと混乱した声を出す同僚。
状況からして、おそらくは混乱をまとめようというのだろう。多分。
「現在、この村は魔物の大群によって襲撃されている。更にはこの機に乗じた不届き者が暗躍していた」
喧々囂々。自警団に向けられていた懐疑と未知への恐怖が、今度は特設台の上に向けられた。
次いであがる誰何の声。ざわめきよりは意味があるようで、厳密な意味などない。ざわめきの延長。
「月城って、まさかあの――」
「魔物?! やっぱり――」
「警備は、迎撃は大丈夫何だろうな?!」
「不届き者って、人為的な――」
「静まりなさい」
ざわめきが静まる。僅かに気を含めただけの、メイド長の声。声量だけで言うなら燐音様と同じく、その他大勢の方が大きい。
しかし不思議に透き通る――というよりは隙間を最小の力で的確に貫くような声は主従違わず、聴衆はひとりの聞きこぼしもなかった。
燐音様の御前です、控えなさい。とっさに逆らう事が浮かばない燐音様と対比すれば、逆らってはいけないという圧力を感じる。
そして当たり前のように、燐音様の弁舌が続く。年齢が二桁に、身長が三桁になったばかりな筈の少女は、熟練を思わせる語りで聴衆を引き込んでいった。
そして募られる有志。現在の襲撃に対して戦える者は力を貸せという、人が人なら反発を生むだろう言い方で命じた燐音様であったが、カリスマかそれとも別の要因か。反発も無く、無力な村人以外の祭り参加者――旅人という、旅をするための少なからぬ自衛手段を持つ人種に、協力を持ちかけ受け入れさせていく。
襲撃に対する備えの補強か。ならば、かき集める必要があるくらいの規模が……?
「……シェリー、お前は合流しろ」
皆と合流せず、何故か甲斐甲斐しく俺に付き添う……俺が負傷してるという理由があるせいか知らんが、普段からは有り得ん姿は、まあ個人としては有り難くあるシェリー。
しかし、他ならぬ燐音様が戦力を必要とされている時に、俺などに付いてるのは許されない。
「え、でっ、でも雨衣は? 世話押し付けられた私がいないと、」
「どうとでもなる」
「…………」
なぜ固まる。
牛の頭に馬の下半身、人に近い筋肉質な上半身の片腕には矛が植えられ、体の所々に蛇が混ぜられ、体躯はゆうに三メートル近くはある、錬金術の忌児。
危険色、とでも言うべき濁った色の体毛と肉はその巨躰と相俟って、闇に乗じるでなく闇の中で尚誇示するように在った。 煌々と燃える砦を背景に、不意に放たれた重低な咆哮は如何なる魔性が込められていたのか。同僚二人が早々に膠着し、馬に乗っていた片方は馬が怯えて逃げる始末。最初から乗り捨てる気だった私は即座に馬から降りて難を逃れた、が。
「え、ちょ、せんぱいいいいいいい!?」
「……っ、止まれ、止まれよ!」
後ろに載せていた乗馬経験無しの同僚が、一緒くたに遠ざかっていく。
それに気付きながら、止める余裕も余力もない。私とて無事ではないのだから。
鼓膜の上から色々突き抜け背筋にまで震えが走る咆哮はやがて止み、まだ十分な間合いが空いている地点で、血肉のこびり付いた矛が振って下ろされ――見えたのは、振るう寸前だけだが――ただ大地だけを撃った巨大な矛によるひとふりによって、爆発的な勢いで土砂を巻き上げられた。
果たして、爆発的な勢いで迫る土砂。まだ間合いの外だと油断していた――いや、思考が間近で相対した咆哮で鈍っていた。筋繊維か血液に鉛でも混じったような現状で回避は間に合わず、とっさに巨剣サイズのショットガンを盾にした、が。
「――っ」
馬蹄が地を蹴り穿つ音とリズムの近さから、巨体の急接近を悟る。
速い。当初はヒット&ウェーで撹乱し、時間稼ぎをと考えていたが、それもまともにできたかどうかという速さ。
「……計算、外っ」
デッドウェイトなショットガンを手放し、未だ土煙晴れぬ場を飛び退く。
一秒にも達さぬ刹那にして弾け飛ぶショットガン、精巧な技術の塊がただの鉄塊に変えられる破壊音。舌打ち。死が迫っている。
煌々とした火行を背に、大矛を真横に振り抜いた異形が佇む。
静は一瞬にも満たず、牛の頭が獲物を――着地した直後の私を確認し、
「――、――――ッ゛゛゛ヲ゛――ェ゛!!」
人が出せぬ歪な咆哮と共に馬脚が轟く。さながら騎馬兵の突撃が如く。
私一人を殺すだけならばオーバー以外の何ものでもない突撃は、私が数秒かけて跳び退いた距離さえ一瞬未満で潰す。
「――っ」
しんだ。
間近い咆哮に竦んだ身では、迎撃も防御も回避も、反応さえ間に合わない速さ。
思考が進まず麻痺した頭に浮かんだ率直な言葉の通り――合成獣の胴が、私の眼鏡が、弾け、え、弾けた?
「っ? 、?? は?」
刹那に発生した落雷じみた轟音で鼓膜が麻痺している。くわんくわんと軋む頭、慣れない指揮の疲れと、死を感じた冷や汗でだくだくになった身を維持する事もできず、尻餅。
眼鏡、え、あれ。なぜ返り血も浴びてな……私の方向から力が? だから吹っ飛んで? 呆然と、唐突に発生した何かが状況を変えたのだとうっすら理解しながら、煌々と燃え盛る砦から視界をさまよわせ、熱風がかねでる草の音をぼんやりと聞き流し、のろのろと辺りを見回す。
合成獣は、しんでいる。魔物特有の異様な血を臓物とぶちまけ、五体が千切れて吹き飛び肉片が痙攣していて、生命力とか再生とか一切関係なく、妥協の余地もないくらいに死んでいる。ついでに私の眼鏡も片方のレンズが砕けて転がっている。
「……あ」
羽ばたたき風切る音。その力強さは鳥のそれではあり得ないし、夜間に飛ぶ鳥もあり得ない。
ぼんやりとした視界で見上げれば――月の夜に浮かぶ、巨大な蝙蝠にも似たシルエット。
霞んだ視力でもかろうじて見える、金色の月を浴びて鮮やかな翠を雄々しく見せつけながら、長大な砲と小さな人を背に乗せ、体の半分以上もある巨大な翼をはためかせる偉容。
「……たまちゃん……司さん」
想像以上に早く、増援が間に合ったのだと、理解した。納得。
安心したからか、ようやくまともな息が喉を伝った。
DSP――対竜火器試作型一三一、サンダーヴォルト。
落雷のような砲撃音と新技術からそう命名された竜殺しの試作は、とても一人で撃てる仕様ではない程に馬鹿威力。
しかし威力を殺さず、どころか強化させた上で固定砲台の域を脱しようと足掻いた意地か、辛うじて人一人で持ち運べるサイズに落とし――そして反動を考慮から外したという、その他諸々挙げればキリが無い問題目白押しな、いっそ清々しいくらいの欠陥兵器。
それを、お前とタマ公ならば運用できるだろう、もったいないと知り合いから渡されたのは数日前の事。
飛竜の魔性、操風能力と仮称されたそれで衝撃を流さなければ、反動で砲手が死ぬ仕様。衛宮の当主さんに試射を依頼した所、痛いわと一号機が壊されたいわく付き。
死ねと言うの? と仕様書をタマちゃんのおやつにしたのも数日前。
しかし、威力だけは折り紙付き。弾頭と砲身の随所に模造オリハルコンを混ぜ、レールガンなる技術まで試験投入した意欲先走り作。
緊急の増援指示を受けて、タマちゃんに乗って急行した先。一際大きく燃えている地点――目印といにも派手すぎると視線を向ければ、窮地に陥っている誰かの姿。
仕様書にあった有効射程ギリギリからの狙撃一発、着弾。それだけで、頑丈な合成獣を四散させた。
尻餅ついたメイド姿の誰か――あ、あずきちゃんだ。無事みたい。よかった。合成獣に接近戦とか、まともな人間がしていい事じゃないからね。
一息つく間もなく、次の的を探す。僅かに月が出ている暗い夜、暗闇で的が捜せないと思えばそうじゃない。燐音さまの根回しは済んでる。
「……いたっ」
火だるまで、動きを制限されている別の合成獣を見定め、タマちゃんが殺しきれない砲撃の反動で痛めた肩の鈍痛をこらえながら次弾装填、私の体よりも大きい鉄塊を背負う。銃というより小型の大砲みたいな形、底の方をタマちゃんが尻尾で持ってくれているから重さは余りなく、照準を合わせ。
対反動用に操風のリソースを傾けたせいで横風が酷い。ゴーグルが無ければ目も開けてられないだろう。
急遽取り付けたスコープを覗き、夜でも目立つ火だるまを空から狙い、引き金に手をかける。
「撃つよぅ、タマちゃん」
横風でかすれた呟きに返答したような甲高い嘶きが、耳栓越しに聞こえた気がした。