祭りの夜に 下
空気が澄み切っていた名残が見受けられる、家並みまばらな一農村。角度を変えれば田園風景が遠くに見え、村に複数ある広場に面するこの場は、素朴に煌びやかに彩られている。
気分転換に、あわよくばマグナと二人で楽しみたかったお祭りの催しは夜店に歩き食い、目を付けていた花火など。
「ふむ、この焼き鳥は塩気と生臭さが強すぎるな。マグナ、食うか? 遠慮するな、私はいらない」
「アルカ。おれいい加減お前から押し付けられた食いかけで腹いっぱいなんだけどな」
「マグナ様! つぎ、次はあれをお願いします!」
「さくら。確かに輪投げはちょっと得意だけど、流石にあれは輪が入らないからね。宣伝というかハッタリというか、そういうあれだからね。そしてまずは両手のぬいぐるみを置いてきなさい」
お邪魔虫が付いた現実でも、それなりには楽しかった。でも後で泣かそうと思う。
しかし、少し冷える。人口密度は昼の街並みだが、土地柄的なものだろうか。やや寒い。寒いの嫌い。
「朔、鼻水。ほら」
ぷしーっ。差し出されたハンカチで鼻水を拭う。
「……ありがと、洗って返す」
いいよと優しいマグナは笑うが、替えのハンカチを買う事を決意しつつ、保存用のハンカチを懐にしまう。
「寒がりなんだから。ほら、マフラーいる?」
「いる」
「貴様のは一枚しかないだろう。私のを貸そう」
銀チビ……余計な事を。マグナのでないのに多大な失望を覚えつつも、肌を刺す寒気に耐えきれず、悪魔と契約を結ぶような心地で銀チビから受け取ったマフラーを、元から巻いてた上に巻く。
そしてさくらが手持ちのぬいぐるみを置いて戻ってきやがった頃。ちょうど花火が打ち上げられ、感嘆の息がそこかしこからあがり始めた。私は初見じゃないからさほど。
色とりどりな三発目が打ち上げられ、なんとなくちらと観察してみれば、マグナは可愛らしく口を半開きにして目を輝かせ、アルカの銀チビは花火よりもマグナを見て頬をだらしなく緩ませ、さくらは子供みたいな表情でわああ、と息を吐く。
銀チビは希少な友達という月城 燐音にでも押し付ければよかったか、と思考を巡らせていた五射目。
……空気が変わった?
祭りの喧騒と熱気が一定の秩序をもった空白。
打ち上げ花火の作り出した産物に、妙なものが紛れていると隠密の習性が囁く。
「朔? どした?」
穏やかな声に、無意識で鋭くなっていた目尻が緩みかけた。
見上げれば、癖毛を僅かに傾け、いつものように暖かい眼差しを向けてくれている大切な人の姿。
なんでもない……とは言い切れない。長年、現場で磨き続けてきた感性だ。捉えたのが誤報であると言い切れる筈がない。
視線を巡らせれば、私に向けていた警戒を他に向けている白衣の銀チビの姿。
銀チビと番犬の繋がりは、具現してない現状でもそれなりにある。探知網に何か引っ掛かった?
それにしては反応が散逸。ならば点ではなく面か、しかしそれならば首筋を突く針のような悪寒と矛盾してる。
ならば、私たちでさえ接近しか感知できない隠行を行う個体。と推測するのが自然。
「……なにか、いる」
「何?」
曖昧な第一警告を口にするとマグナが目元を細め、花火に見惚れていた名前だけ女みたいなさくらが露骨に気を張る。
しかし、私や番犬に未だ気取られ――え?
何かを口にしようとしたマグナの背後から、手が回された。
細く、祭りの灯りに照らされて尚色白と断言できる腕。同年代より小柄な方のマグナよりも更に小さな、屋台で売られているような面を額に掛けた人影。
目を見開いて硬直するマグナ。
私とて驚いてる。そこに居るのに、まるで存在感がない。亡者のような希薄さが漂う、異物。
「――認識阻害だ!」
銀チビが小さく強く警告する。それより速く動いてた体が、ゆったりとした和着から投具を取り出し、投擲。
寸分違わず、マグナの肩に顎を乗せた図々しい異物の眉間に的中し――静止した。
避けた防がれたとかでなく――届いてない。
常軌を逸した、理解不能な――では、ない。見覚えのある非常識な現象に総毛立ち、息を呑む。
銀チビが呟いた認識阻害の効果か――今の今まで、その白いのがなんなのか、判別できなかった。
「ひゃっひゃっひゃ、久しぶりに顔を出してみりャ、随分尖ったもんを返すじャねェか?」
「なっ、あ!?」
嘲り笑う声に一拍遅れ、ようやく気づいたのだろう。装備が没収されたために無手で構えたさくらが、戦慄くように顔を青ざめさせた。
空に咲く火の花が、裂けたような笑みを浮かべる白いのを映す。
「きれいなもんだなァ? 虫螻も偶に愉快なもンを思い付きやがる。この面なンか、なかなかイイとは思わねーか?」
「趣味が悪いな」
「テメェにャ聞いてねェンだがなァ、感性の違いッてヤツかァ?」
銀チビにも自慢するように、のっぺらした極彩色の面を片手にちらつかせる。寄りかかられたマグナは――対照的に凍り付いた表情。
「……お前」
「あァ、ようやく反応したかィ」
打ち上げられる花火。泥酔と陶酔を足して割らない、吐き気を催すものを刻むのが見えてしまった。
歯の軋む、辺りの喧騒からは酷く場違いな音が火薬の炸裂に混じり、消える。
……ん? 今、何か遠くで……
「……なん、で、お前が、ここに居る……っ! 雪深、冬夜っ」
別の場所に意識を傾けている間にも話しは進む。
どす黒い灼熱が宿る薄紫の目に、白い虐殺者は甘味にとろける乙女のようなものを目元に透かせる。
手が出かけたのは私だけではないが、皆理性でそれを圧し留めた。物理攻撃全般が何の意味もない白濁の焔を、下手に刺激する訳にはいかない。
特に沸点が低いさくらに目伏。ここに居ても役割は無い。もう片方の異常に向かうよう、私同様気付いてた銀チビが小声で囁く。
「思い出の場所が近いからなァ……どッかの虫螻が、巣を踏み潰されて、気紛れに見逃されてェ、そして踏み潰す側に回ったキッカケの廃墟がなァ」
「……ッ!」
踵を返し、銀チビの指示通りさくらが走り出すと同時。危ういモノが充満した形相が、白い腕を振り払う。
あれの異能を考えたらできない事だが、非力な少女の抵抗を悦ぶ屑の心境なのか。白いのは余裕そうに見送っていた。
「お前が……テメェがそれを……!」
「マグナ。ここで暴れると被害が」
銀チビが憎悪を吐きかけたマグナに手をかける。
その他大勢の被害者などどうでもいいと思ってるに違いない銀チビだが、それで摩耗するのが誰か。解りきっているが故の釘打ち。
それでなんとか堪えるマグナだが、険しい――激しい怒りに彩られた眼孔は緩む筈もなく。
「――あァ、イイねェ……! 熟成された憎悪に、同類からの怨念が、こうまでクるもんだとは……!」
繊細な顔立ちを醜悪なまでの歓喜に歪め、自らの二の腕に回した指先で爪立てる。
この場が広場の端じゃなければ、この時点で認識阻害が無意味になっていたかもしれない。それだけに気色悪い。
「……気持ち悪いな。視界から消えて速やかに死ね。それが無理なら今すぐあの世に逝け」
噛み締め過ぎた歯から変な音を出すマグナの前に出て吐き捨てる銀チビ。
今回ばかりは心からの同意と賞賛を送りたい。
しかし、所詮は口頭。物理的な意味は無いし、というか苦し紛れ以外の何物でもない。
それを受け流すくらいには上機嫌らしく、白いのは花の咲いた空を扇ぐように両手を掲げる。
「くかか。今日は楽しく愉快な蟻螻共のヲ祭りの日じャねェか。喧嘩は無粋ッてェもんだろ?」
「ふざけんな゛がぁぶあ……!」
「……だめ。騒いだら混乱が起きる」
怒鳴りかけたマグナの口を手で塞ぐ。
注目はマズい。認識阻害、白いののそれがどの程度かは未知数だけど、私たちの劣化模造品は、何だろうあれと意識された瞬間に無意味になる程度でしかない。雑踏から個として注目されれば終いなのだ。
今でさえ剣呑な空気を噴出していて危ういのに、怒鳴ったりなんかしたら完全にアウト。それでマグナだけ気付かれるならまだしも、白濁の焔まで気付かれたら?
なし崩しに大混乱になる。それに面白がった白いのが攻撃を仕掛けないという保証はどこにも……いや。もうこの段階で決壊寸前のダム状態か。
冷や汗が流れる。諜報活動とはまた味の違う、率直に大切な人が傷つくかもしれない、厭な汗。
「大変だなァ? 俺の気まぐれ一つで潰れる虫螻の心配しなきャならンとはよォ」
「それをすれば、貴様を心置きなく駆除できるがな」
マグナが――後天的異能力者が心置きなく全力さえ出せれば。相性も含め、先天的異能力者である白濁の焔が生き残れる要因は消え去る。
挑発的に釘を刺す銀チビに、白いのは肩をすくめ、やる気は無ェよと表明。
「挨拶にきてやッただけだ」
「白目と区別つかん瞳に墨でも入れて出直して来い漂白野郎」
ここぞとばかりに罵る銀チビは、声の冷気に相応しい冷淡さで淡々と、空間を撫でるように指先を踊らせた。
「――戦る気が有ろうと無かろうと、」
空間が変わる。位相がズレる。世界が変容する。
「私たちの前に立った時点で、」
人の耳では捉えられない高音。番犬が、隔てられた空間の向こうで私達を喚び招く。
音にない、界を渡る咆哮。
「生きて帰れると思うな」
刹那の間に、場が変わっていた。
人が住まう世界から、薄皮隔てた異界に。周辺からは雑踏と、咲きはじめていた空の花が消え、私達と白いのを除いた全てが色落ちして、現実味のない悪夢じみた情景ばかりが広がる異界。
「そりゃア、どちらかと言えば俺のセリフじゃねエかァ?」
閉鎖された異界で私達三人に囲まれた異能力者は、極彩色の面を指先で弄くると、飽きたようにそれを燃やした。
白い災厄の残滓が目に付き、欠片も残さず消える。
「うるせえ、」
憎悪に彩られた声。聞くこと自体は初めてではない、けど。それを誰が発したか、
「殺す」
理解が遅れて、背筋が冷える。胃が縮んで心臓の辺りが苦しくて、鼻の奥がつんとする。
前後不覚になりそうな感情が、マグナに触発されたみたいに次々と沸いてきて――邪魔、と小さく呟き、感情に蓋をした。今、この場は。
「雪深 冬夜っ、白濁の焔! テメェはっ……!」
詰まった声の純然たる殺意が、空気を振動させる憤怒を通り越した気が、異能力者としての性質を――世界を穢す存在を膨張させる。
「――ハ、」
整った顔に愉悦が浮かぶ。憎悪に歓喜するように、殺意に狂喜するように。
犬歯を剥き出し、涎を散らし、極限まで瞼を開き、
「あひゃい、いァひヒはひゃ、あ゛ー、いイ、イイねェぇ! さいッこうにイイぜぇエっ!! 存分に、思いッ切り最高に最低に最悪に、殺しアいに、コいやアアアアアアーッ! マァあグナァアアアアアアア!!」
ダンスを熱望するかのように伸ばされた手、五本の指が曲がりきり、熱狂するように喚き、腕が振り下ろされる。
閃光にも似た魔性の焔が、現実味のない空間で破裂した。
「……なにか、すこし空気がおかしいです」
「……泉水さん?」
黙り込んで、視線を伏せていた泉水の妹さん。
最初は、様子がおかしかった泉水のお姉さんを追わなかった事に関して責めているのかと思いましたが、なにか違うような。
「……なにか……言葉にできないですけど、なにか。へんなんです」
「ええっと……」
車椅子の上、手袋に包まれた小さな両の手がきつく握られています。
ともすれば、不快な何かを懸命に堪えるようにも見受けられ、言に窮しました。それは一体どういう事なのか――基本的な事さえ聞くにはばかられ。
「こんばんは」
「ふぇ?!」
声が掛かります。さほど大きくはないけれど耳に通りのいい、大人な女の人の声が袖を軽く引かれるのと一緒に。しかし背後からのそれは、随分と下の方から聞こえました。
――月城?
響きは兎も角、似ても似つかぬ成人した声を、何故月城と思ったのでしょう? 半ば混乱しながら声の主に振り向きます。
小さい。身長が三桁に届いたばかりの月城より少しばかり大きいくらいの女の人。しかし、その顔は。
「つ、きしろ……?」
呆然と呟いた名前は、先程以上の混乱の呼び水。泉水の妹さんが息を呑む音が、遠くの破裂音に交えて消えます。
麦藁の帽子から流れる艶やかな夜色の長髪。記憶に刻まれたそれよりも穏やかでいて、同じように魅了作用がありそうな目。雪色のワンピースに、それ以上に白く細かい肌。緩やかな曲線を描く、蕾のような唇。
月城と瓜二つな――しかし、微妙でいて明確に違う印象を抱かせる姿。
夢か現か。口を半開きにして魅入るしかない私に、そっくりさんはふんわりと魅力的に笑います。
「初めまして衛宮 鈴葉くん。私の名前は、月城 聖です」