波紋
主、燐音様に予見されていた地下襲撃は発生した。
しかし、内容はずさんなもの。
張り巡らされた地下通路に穴を空けて侵入してきたはいいが、あらかじめ警護に回されていたメイド長と、特別に配置された外部協力者の二人であっさり鎮圧・確保できる程度の規模でどうするのか。
まあ奇襲を予測されていた時点で破綻するものだと思えばそれまでかもしれないけど。
侵入経路については、異能力者がやったと思わしき痕がありはした。しかし襲撃者の中に異能力者は居ない。
これはどういう事なのか、首を傾げる他ない事の顛末。
しがない下っぱとしては、上が何をしているのか想像するくらいしかできない。
呆気なく終わった地下襲撃事件。ひょっとしたらただの経過なのかもしれないと漠然とした予感は覚えつつも、メイド長の尋問が終了する待ちの間、地下の点検陣頭指揮に勤しむ現状。
ふと感じた隠そうともしない人の気配に、丸眼鏡を上げる。
「浮かない顔だねぇ、あずきちんや」
「……ユア」
狐のような同僚は点検のノルマを終えたのか、枝分かれした通路の一つから、サイドテールに小銃を肩に揺らし、歩み寄ってくる。
何時もの人をくった表情からはそれ以上のものも見当たらず、そこからは行っただろう点検に異常が無かったらしい事が伺える。
人をからかうのを絶やさぬ酔狂な性質をしてはいるが、生死を分ける任務の最中にまでそれを持ち込む愚か者ではない。
「何をお悩みかね? お姉様に話してごらんなさぁい」
別に姉妹になった覚えはないし殆ど年齢も変わらないが、黙秘の必要は感じない。
妙なしなをつくる同僚に苛立ちは感じたが自制し、口を開く。
「……襲撃者の意図に関して」
「んー、まああのメイド長の所に担がれてったしなー。洗いざらい吐かすことは間違いなくできるんだろうけどなー」
「それは、情報を知っていたらという、前提が必要」
尋問だろうと拷問だろうと、中にあるものしか搾りだせない。林檎をいくら搾っても林檎の果汁しか出ないように。林檎からキウイの果汁はとれない。
「二人ほど私も顔だけは知ってるのがいたけど」
「……しりあい?」
首を傾げ問う。悪い事を聞いたろうか。いや自分から言ったし、えらく平静だから違うのか。
「んや。手配書で見ただけ。ハシタだたね」
懸賞金が少なからずともかかる犯罪者……完全に、足をつけないための措置。
侵入者たちの装備を見たが、中央の武装錬金術師ギルドモデルのやや古い型式のサブマシンガンや、一昔前に皇国の制式から外された突撃銃を筆頭に、寄せ集めというか使い古された自前臭い品ばかり。
メイド長の見解からしても、どう考えても捨て駒レベルな連中だという。同じ装備なら私でも鎮圧できるだろうという(メイド長談)お粗末な襲撃者。
捨て駒なら搾りとれる情報もたかが知れている。というかアテにすらならないかも。
でもトラップの位置や難解な道筋を前に迷い無く進んでいたとかいうことから、内通に近い情報提供があった事は間違いない。
後ろに間違いなくいるだろう黒幕は、どうなんだろうか。どんな意図があってそんな……
「おーい、点検班長ー」
「……なに?」
無意識に下がり始めていた視点を戻し、ひらひらと手を振りつつ唇を尖らせた同僚を見た。
「考え込んじゃってるうちに、シェリーとおまけが帰ってきたぜぃ」
「だれがおまけだ」
サイドにまとめられたユアの髪が猫の尾のように揺れる。
通路の奥から声がして、一番短いルートを担当していた、外部協力者の男とシェリーの足音が響く。
ほどなくして、曲がりくねった細い通路の先から姿を表したのは、心此処に在らずといった風情で目元に影を作るシェリーと、表情をしかめ白髪をかきむしる青年の、共に同じ型式の小銃を肩にさげた二人。
「……異常は?」
視界の端のユアが何か口にしかけたのを遮り、確認。
双子の妹との関係から、特にあの気だるげな青年に攻撃性を露わにする同僚より先んじる必要があった。
無駄な言い争いはごめんだという一念。
「特に異常は無かったが……」
呆れと苛立ちが混ざった男の目が、俯き表情を消したままのシェリーを射る。
人手が足りないからという名目で連れて来たが、随分と体調が悪そうで。二人セットで組ませたのだが。
「このガキが、五回程トラップに引っ掛かりかけた」
「……そりは」
流石のユアも言葉を無くす。
月城家秘匿の一つに該当する地下通路には、単純な地形の複雑さに加えて、致死性が強いトラップが数多く仕掛けられている。
それに五回も引っ掛かりかけるということは、五回も無駄に死にかけたということ。二人セットにしなければどうなっていたか。
予めトラップの説明と注意点を言い含めておいたというのに。不注意で済ませる問題じゃない。が……
「つぅかなんだ。男が死にかけたくらいで、別に死ぬわけじゃな、」
長身痩躯に二つの小さな拳が突き刺さり、声が濁り端正な顔が歪む。
えぐるようなボディだった。絶妙な肝臓打ちだった。
言うにはばかられることを言ってしまった野郎の末路は、痙攣しながら土下座するように地べたに突っ伏、という惨めなもの。
「……ういがしぬとかいうなよ」
「……いい加減デリカシー学べや、小僧」
それぞれ、追い詰められた餓狼が如き形相のシェリー。極悪な表情で比喩じゃなく唾吐くユア。
各々が静かに、呪詛のように平坦な言葉を口にした。というか小僧って。あからさまに私たちよりは年上なのに。
疑問には思ったが、関係のない私ですら背筋が冷える異様に、元々無口で口のうまくない私に口出しできる道理はない。
「いこうぜぃシーぽん。仕事のノルマとりあえず済んだし、愛しの雨衣サマのお見舞いでも……後よろしく、あずきん」
「……了解」
私の返事におどけ笑うユアに、素直に応じたシェリーは、足元で悶えてた青年を二人して落ち葉のように踏み付け、くぐもった苦痛を背景に私の横を通り過ぎ、地上へ続く道筋に消え、去っていった。
まあ、ノルマは果たしたし。緊急性は無いから良いか。
「……大丈夫?」
再度手持ち無沙汰になり、敵意を抱いてるユア曰わく"ろりぺど野郎"で、今地べたで悶絶してる青年に声をかける。
言ってなんだけど、客観的に見て大丈夫じゃ無さそう。気絶しても可笑しくない一撃だったし。
「……ぐっ、ーんんの野郎……手加減抜きに殴りやがって……!」
「……あなたの言い方も悪かったと思う」
上体だけ起こし、青い顔色で腹をさする青年。
成る程……雨衣を一撃で倒し、この地下へ通されるくらい燐音様に信用されている手合い。
どの程度かと観察してみれば、確かに虚弱体質者ではあるのだろう。腕立てをしようとして骨折した経験を保つ燐音様ほどじゃないにしても、細く白い体は練磨されたそれではない。というか筋力量なら一般人以下にすら思える。
しかし単純な身体的スペックの低さを補い余りあるものがなくば、この男がこの場に居るはずがない。
実際、あの二人の一撃を急所に受けて意識を保っているし、その呼吸の仕方は消耗を抑える事を熟知したそれを感じさせる。そしてインパクトの瞬間、僅かに上体を傾け衝撃を逸らしたのを確かに確認している。
断定するにはまだ早急だが、尋常なやり手では無さそうだと直感の範囲で思うに足る。
「……おい、なにじーっと見てやがる」
「……きれいな顔」
怪訝な声に答えると、シワが一つもない白く整った顔が、何故か盛大にひきつった。
首を傾げ、どうしたのかと視線に込めると、
「……天然か」
苦虫を噛み含めたような声でそう言われた。
――これが、衛宮 優理の消息が途絶えたと知る数時間前である。
灯火のような電光、常人には理解できない文字列が滑るモニターを背に回す。
告げられた情報に息を呑む音。
正面のそれは戸惑いの強い動揺が見てとれた。
「優理が行方不明になったって、一体どういう事だよアルカ?!」
「落ち着けマグナ」
三度戦い、ねじ伏せただけの元敵に何らかの感情でも抱いていたのかと首を傾げる。
珍しく掴みかかって来そうな剣幕のマグナをいさめ、薄暗いデータベースの中、発光するモニタを一瞥する素振りを見せ、肩をすくめる。
衛宮 優理が行方不明になった。
「燐音からの情報だ。単純な行方不明と毛色が違うことは間違いあるまい。自らどこかに行ったのではなく、何かがあったのだ」
しかも、衛宮 優理が急行し戦闘があったと思しき地点で異能の残滓が途切れているという。そして近辺には赤竜の惨殺死体。
共に尋常では起こり得ない事だ。
更に前者は異能殺しに該当する能力が行使された事、後者は赤竜が惨殺――いたぶられた後で首を断たれた竜の死体という、下手人がかなり限られる証拠が遺されていた。
前者も後者も衛宮 優理単独のスペックと性質では有り得なくはないが、考え難い。
「そんな……一体、なんで優理が」
俯き下唇を噛むマグナは悲観を口にする。人の生き死にに敏感だから感情的になっている。
竜をいたぶれた、更には竜鱗を消したということから、白濁の焔が関与しているかも知れない、とは言わない方が良いだろう。
過去、彼の虐殺者に故郷を灼かれたマグナは、未だ怨念を抱いてる。少なくとも、その犯人と面を合わせる度に殺し合うくらいには。
「それでどうする。予定通り燐音と合流するか。それとも残留して見に回るか」
嘆くよりもやれる事があると促す。こいつはそれで動ける。
元々は祭りに――少なくとも名目上は花火とやらを観に行くつもりだったのだが、現状ではどうなるか。
大体の返答を確信しつつも、問う。聞かなければならない事項。
「……合流しよう。兄が居なくなった鈴葉が心配だし、状況が分からないなら現地に直に見て、協力すべきだ」
少しだけ考え、確信通りにマグナが言う。
生の食料と同じように、情報には鮮度が大事だ。
確かに黙っていても燐音から情報連絡は入るが、それには現地程の質は望めないだろう。
第二世代相当の異能力者が――取分けそういった問題が少ない衛宮 優理が行方不明になる事態は、尋常ではありえない。
事が起これば直ぐに察知できる近場に居たいというのは、助けたがりで甘ったれなマグナからすれば当然の理屈なのだろう。
正直放っておけばいいのにとは思うが、見捨てるというのはマグナの精神負担が酷いし、そも黙っていればいずれ知られてマグナに嫌われる。それだけはイタダケナイ。許容できない。論外だ。
薄い嘆息をはさみ、狭く無機質なデータベース内の片隅に置かれた着替えなど、三人分の荷物を一瞥。まあ非公式ながら帝国に貸しも作れるしと打算を働かせつつ。
「準備は既に出来ている。今からでも往くか」
「ああ。と、朔は」
「……ここに」
陰気な声と唐突に、平坦な足場からというよりマグナの影から小柄な狐面が生え、現れる。
忍と言われる能力者相当技能の無駄遣いだ。
マグナはわずかに頬を引きつらせちょっと後退り、狐面と向き合う。
軽いやりとりの後、それぞれの荷物をマグナが背負い、出発の――空間転移の準備。
マグナの異能は錬金術に似ている。
全てを灰に変える蒼焔。その灰を新しい何かに変える。破壊と再誕の異能力。
灰にしたモノの質と量にもよるが、それによっては――紛い物の神器を作り上げる事も可能。
異能で形成された紛い物の贋物故に、使用者であるマグナの維持が乱れれば即座に消える程度の物でしかないが。それでも神器としての機能は使える。
空間転移はその一つ。現行の錬金術による転移方陣は文字通り陣が必須で距離制限に質量制限もあるが、神器の一つによる空間転移は距離制限も質量制限も存在しない。
保持者の精神力に依るという制限はあるが。というかそれだけが枷になってはいるが。
「それじゃ往こうか。アルカ、朔」
「ん」
「ああ」
人を三人程、中央国から帝国まで転移させる事くらいは造作も無い。
無数の幾何学模様が空間を不規則に舞い踊り、蛍のような燐光を散らす。
中心に立つマグナが、私とついでな狐面が近寄るのを待ち、厳かに構えていた蒼翠に発光する短剣の神器を一振り。
空間が、裂けた。